大阪球場
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2部分:第二章
第二章
「うちとあんたは。野球で知り合うたんかな」
「そうかもな。いや」
衡平も妻の言葉に頷きかけた。しかしここで言葉を少し変えることになった。
「それはちゃうと思うな」
「ちゃうんかいな」
「そや。わし等が会うたんは野球のおかげやあらへん」
そう妻に述べる。
「じゃあ何のおかげや?」
「ここおかげやろ」
丁度かつてのマウンドがあった場所に立つ。そこで多くのピッチャーが投げてきている。杉浦も稲尾も鈴木も山田もだ。それだけの歴史があるのだ。
「ここのかいな」
「だってそうやろ」
衡平はまた言う。
「ここにおったからわし等は会うたんや」
「ここに二人がおったから」
「そや。この球場におったからや」
マウンドから周りを見る。すり鉢状の球場が見えている。今の二人には。
「わし等がな」
「あの時にやね」
「この球場にな。まあ野球でわしは機嫌よおなってたけど」
にかっとした笑みになる。自分でもそれは否定はしない。
「けど。ここに球場がなかったら」
「うち等は一緒になってへんか」
「そやな。それ思うとこの球場はわし等にとってはあれやで」
「あれ?」
「そや、何ていうかな」
衡平はここで言葉を慎重に選びだした。
「ううんと。言葉が少し出て来んけど」
「じれったいなあ」
小枝子はそんな衡平を見て少しいらいらしたものを感じた。彼女もせっかちな性分だが衡平も実際のところそうなのだ。だからそんな彼を見るのも珍しいことだったのである。
「言うことははよ言いや」
「わかっとるがな。だからあれや」
衡平は口を尖らせて小枝子に言い返す。彼も妻の言葉に少し怒っていた。
「結びの神様や」
「縁結びかいな」
「そういうことや」
やっと言葉が出たことに対して満足した顔になる衡平であった。
「ここに球場があったからわし等は一緒になれたんやで」
「そやな。それはな」
小枝子も今の言葉にすぐに頷いた。
「その通りやな。やっぱりここがなかったら」
「わし等は。会うこともなかったな」
「そう思うたら不思議な話やで」
今度は小枝子が足を前に出す。行くのは球場の外であった。
「あそこで。スパゲティを食べることもなかったやろうし」
「スパゲティ?ああ」
衡平は小枝子の今の言葉にふとした感じで応えた。顔もそうした感じであった。
「あったなあ。量がたっぷりあって」
「二人で食べたやん。ワインも飲んで」
「そやそや。何かしょっちゅうここに来てたんやな」
「野球だけやあらへんかったんやで」
小枝子にとってはむしろ野球以外のことが重要な場所であったのだ。これは衡平とは違っていた。しかし感じているものは二人共同じものであるのだ。
「色々。二人で楽しんだんやな」
「そうやねんな。今それがわかってきたわ」
衡平も今それがやっとわかったのだった。自分でもそれが不思議だった。
「ここで。二人で」
「二人の思い出の場所やねんで」
小枝子はにこりと笑った。それを今感じたからだ。
「ここは」
「もう。なくなったけれど」
そう語る衡平の顔も明るさはあれど暗さはない。
「そやな。思い出の場所やな」
「そうやで。なああんた」
あらためて夫に声をかける。
「何や?」
「またここに来よ」
夫に対してこう言葉をかけるのであった。
「ここにかいな」
「そや。もう野球はやってへんけど」
「ああ」
それはもう言うまでもない。実際には球場ですらなくなっている。大阪球場はもうないのだ。少なくとも今ここにはなくなってしまっている。
「それでも。ええやん」
「そやな」
そして衡平も小枝子のその言葉に頷くのであった。
「思い出の場所やしな」
「二人の」
二人の言葉がここでまた合わさった。
「そやから。また」
「わかったわ。じゃあまたな」
「うん。二人で」
「ただ。二人でやで」
衡平はここでこう注文をつけてきたのであった。小枝子はそれを聞いてふとした感じの顔になって夫に対して問うのであった。
「二人でやの?」
「アホ、じゃああれか?」
一旦妻をアホと言ってからまた言う。
「ここに子供等連れて来るんか?どや、それは」
「アホ言いなや」
今度は小枝子がアホという。顔はまた笑っている。
「デートに子供連れて来る人がおるかいな」
「そやからや。ええな」
また妻に対して言った。
「二人で来るで、また」
「わかったわ。そやったら二人で」
「そういうことやで」
二人でお互いの顔を見るがその顔はお互い笑っている。二人はまたマウンドの上にいるがそこで顔を見合わせているのであった。そうして何時までも見合っている。二人の思い出の大阪球場の中で。あの時はじめて会った時のように明るく朗らかな笑顔で。
大阪球場 完
2008・2・5
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