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バス停で

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第三章


第三章

「どうなるかと思ったけれどね」
「いい感じじゃない」
「そうね」
 紙子の方でも笑いながら彼等に言葉を返した。
「まさかこんなことになるとは思わなかったけれどね」
(本当にね)
 心の中で彼女だけが思っているこんなことと周りのそれは違う。しかしそれがわかっているのは彼女だけだ。それは微妙な違いであった。だが完全な違いでもあった。
(どうしてかはわからないけれど)
 思いながらちらりと見たのは芭蕉の葉であった。その緑の大きな葉を。
(芭蕉・・・・・・)
 まさかと思った。しかしここで。
 バスが彼女達の目の前に来た。扉が開く。
「乗ろう」
 それを見た義巳が紙子に声をかけてきた。
「今からね」
「うん。それじゃあ」
 自分から義巳の手に自分の手を絡ませる。これも自然に出てしまった。
「二人でね」
「乗りましょう」
 こうして二人の交際がはじまった。それがどうしてかは紙子にはわからない。しかし。こうした話になっていくのであった。不思議な方向に。
「あの芭蕉の場所で告白するとね」
「成功するらしいよ」
 そうした話になるのであった。
「どういうわけかわからないけれどさ」
「絶対実るらしいわよ」
 そういうことになった。紙子からはじまったのであるが皆それを信じて告白して恋を実らせていった。何時の間にかそれが伝説になるのだった。
 それから三十年。今では。
 バス停ではなくなりそれは別の場所に移っていたが。芭蕉はそのままだった。
 そして彼等と彼女達も。今ではありとあらゆるカップルの告白の場になっている。皆そこで告白して恋を実らせていた。そしてそれを見ている二人のそろそろ初老になろうという男女がいた。
「ここだったよね」
「そうね」
 見れば色白の男性と黒髪の細長い顔の女性だ。義巳と紙子である。
「ここで告白したわよね」
「そうだったね」
 昔の面影をそのまま残した爽やかな顔で。義巳は妻の言葉に頷くのだった。
「あの時にね」
「あの時ね」
 紙子は晴れやかな空の下にある芭蕉を見ながら夫に述べる。あの明るい笑顔ではなく穏やかで静かな大人の微笑みをその顔に見せている。
「実は私断るつもりだったのよ」
「そうだったんだ」
「ええ。けれど」
 夫に対して語る。その笑顔のままで。
「断らなかったのよね」
「どうしてなの?」
「自然に言葉が出たのよ」
 あの時のことをそのまま述べるのだった。三十年前の告白の時をだ。今でもはっきりと覚えている懐かしいがそれでいて昨日のことにも思えるあの日のことをだ。
「本当にね。自然にね」
「そうだったんだ」
「どうしてかはわからないわ。心とは裏腹に」
「言葉が出たの」
「最初は戸惑ったわ」
 その時のことを正直に述べ続ける。懐かしむ顔と共に。
「自分でも止めようと思っていても言葉は出るんだから」
「僕もそうだったけれどね」
「あなたも?」
「実はね。そうだったんだ」
 彼もまた昔を懐かしむ顔になっていた。穏やかで優しげでそれを感じながら浸っている顔であった。その顔で妻に対して述べるのであった。
「あの時。確かに告白するつもりだったよ」
「じゃあ同じじゃないじゃない」
「それが違うんだ」
 彼もまた芭蕉を見ていた。見ているものは妻と同じものだ。考えていることもまた同じである。今は二人は同じになっていたのである。
「心の中はおどおどして。どう言えばいいかわからなかったけれど」
「言葉が自然に出たのね」
「そうだったんだ。多分君と一緒だね」
「そうよ、同じよ」
 夫の言葉に頷いて答えた。
「その通りなのよ。言葉が自然に出て」
「どうしてだろうね」
「さあ。けれど」
 紙子はずっと芭蕉を見ている。その芭蕉を見ながら夫に対して話すのだった。今は言葉と心が同じものになっている。それを自分でも感じながら。
「ひょっとしてね」
「ひょっとして?」
「それは何かが言わせてくれたのかも知れないわ」
 目をこれまでよりもさらに細めさせ優しいものにさせたうえでの言葉であった。
「何かがって?」
「それはわからないわ」
 芭蕉を見ながら語る。
「けれど。それで一緒になれたのよね」
「そうだね。それは本当だよね」
「ええ。それはね。本当ね」
 青い空からは黄金色の太陽の光が差し込んでいる。その光が芭蕉にもかかり芭蕉もその下にある大地も照らして生気を与えていた。それも二人には見えていた。
「そして私達みたいに」
「こうして告白して」
「結ばれるのね」
 今も芭蕉の側には多くのカップルがいる。そうしてそこで告白しているのだった。あの時の二人と同じように。何かに導かれて幸せになる為に。芭蕉の下で。


芭蕉の下で   完


                 2008・3・2
 
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