剣の丘に花は咲く
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第十三章 聖国の世界扉
第五話 世界ガ悪魔ニ壊サレル前ニ
前書き
急ぎの仕事があるわ、上司に怒られるわ、残業が多いわ……ちょっと勘弁してくれ。
ジュリオの先導によりようやっと大聖堂に到着した士郎達一行は、到着して直ぐに主であるアンリエッタに到着した旨の報告をしたのだが。初めは笑みを浮かべて士郎達を迎え入れたたアンリエッタだったが、士郎から紹介されたティファニアの隣に立っていたセイバーを目にした瞬間、目を見開き驚愕を示した。突然呆然と立ち尽くすアンリエッタに、ルイズ達は驚き慌てふためき心配気に声をかける。ルイズたちの声にはっと意識を取り戻したアンリエッタは、落ち着き無く辺りを見渡すと、突然『きゅ、急用を思い出しましたので、す、少し失礼しますっ』と言うと士郎達を置いて何処かへ去っていってしまった。取り残された士郎たちは、同じく取り残されたアンリエッタの近衛であるアニエスが、戸惑いながらもこれからの予定について説明を始めた。
「そ、その、お疲れさまでした。晩餐が用意されていますので、どうぞこちらへ。ああ、ミス・ルイズ、ミス・ティファニア、それと……ミスタ・シロウはこちらへ」
用意された晩餐会は、二つの部屋に分かれていた。アニエスが口にしたルイズとティファニア、そして士郎は、後からやって来たジュリオに連れられ教皇ヴィットーリオが出席する大晩餐室と、それ以外の者に用意された少し広めのただの部屋であった。
士郎たちが連れられていくのを憮然として見送ったキュルケたちだったが、無駄に騒ぐ事なく用意された部屋に大人しく入ったいった。しかし、そこで出された料理の余りの質素さに、キュルケは遂に不満が爆発してしまう。
「ッ何よこれっ! 苦労して来たってのに、これが歓迎の晩餐だって言うつもりっ!? このスープなんかほうれん草しか入ってないじゃないっ!」
「今日は精進日」
「……あたし、精進日をきちんと守ってる晩餐なんか初めてよ」
黙々と質素な料理を口にしながらぼそりとタバサが呟いた言葉に、キュルケはがくりと机の上に崩れ落ちた。
「……アルトは良くこんなまずい料理を食べれるわね」
ぺたりと机に頬を付けながら、じろりとパクパクとまずい料理を口にしているアルトを睨めつけた。
「んぐんぐ……んん。キュルケ、この料理は決してまずくなどありません。きちんと調理されている―――雑な料理ではありません」
「これでまずくないなんて……あなた一体どんな料理を食べた事があるのよ……逆に興味が沸くわね」
はぁ……と溜め息をついたキュルケは、そこで先程から料理に手をつけず黙り込み何か考え込んでいるコルベールをチラリと見る。
「どうかしたのコルベール先生? 料理に手をつけないで……確かにまずいけど、食べなかったら―――アルトに全部食べられてしまうわよ」
「ははは……確かに、早く食べないと彼女に全部食べられてしまいそうだね」
キュルケに声を掛けられたコルベールは、苦笑いを浮かべながらチラリと給仕の少年に精進料理のおかわりを催促するが断られてしまい、先程からチラチラとまだ手が付けられていない料理を覗き込んでいるセイバーに視線を向けた。
「で、先生の悩みの種は、もしかしてそのルビーの指輪が関係しているのかしら?」
「ん? ああ、コレのことかい?」
キュルケの視線の先にある、机の上に転がっているルビーの指輪を見下ろし、コルベールは苦笑いを浮かべた。
「まあ、そうだね」
「へぇ……なに? もしかしてそれって昔の女のものとか? あらあら先生も隅に置けないわね。そう言えば大聖堂についてから様子が変だったし……あ~そっか、その女ってのが教会関係者だったとか?」
「……否定はしないよ」
ルビーの指輪を持ち上げ、目を細めるコルベールに何かを感じたのか、キュルケは続く言葉を飲み込むとそっと視線を逸らすと、重くなりかけた空気を変えるために丁度粘り強い交渉の末手に入れたお代わりを食べ終えながらも、まだ満足出来ないのか、チラチラとコルベールが今だ手に付けていない料理に視線をやっているセイバーに話しかけた。
「そう言えば、アルトってもしかして陛下の知り合いなの?」
「え? いえ、そんな事はありませんが」
未だ満たされない腹をワインで誤魔化していたセイバーが、グラスをコトリと机の上に置きながら首を傾げる。
「でも、随分あなたの事を気にしていたようだけど?」
「本当に覚えはないのですが」
「……そっかぁ~」
不思議そうに疑問符を浮かべるセイバーに嘘を言っている様子が見えなかったことから、キュルケは諦めたように再度ベタリと机の上に突っ伏した。
「本当に一体どうしたのかしらねぇ……あのお姫さまは……」
キュルケが質素な料理に部屋の廊下を挟んだ隣の部屋―――大晩餐室では、士郎達が独特な重苦しい空気が満ちる中、黙々と机の上に並ぶ料理を口に運んでいた。もそもそと質素な精進料理を咀嚼しながら、士郎は両隣に座るルイズとティファニアを見回す。ティファニアは緊張しているのか、カチャカチャとフォークとナイフの音を必要以上に響かせている。ルイズはルイズで随分マシになったが、未だにそわそわと挙動不審なアンリエッタをじ~と見つめて、一度も食事を口にしていない。隣に座っている銃士隊長のアニエスも心配気にアンリエッタに頻繁に視線を横に向けている。
そんな微妙な空気漂う中、テーブルの上座に座るヴィットーリオが、ジュリオからの本日の報告を受けている。
士郎はアンリエッタから視線を外すと、ヴィットーリオへと視線を向けた。
教皇聖エイジス三十二世―――ヴィットーリオ・セレヴァレ。
ある意味ではこのハルケギニア最高の地位にいる人に初めて会った際の士郎の感想は―――『厄介そうだ』であった。
士郎たちを出迎えたヴィットーリオは、人外の美しさを持つハーフエルフのティファニアにも勝にも劣らない美貌を持っていた。圧力を感じる程の美貌を前に、ルイズやティファニアは圧倒され、言葉もなく立ち尽くしていたが、その波乱万丈な人生経験から、様々な桁の外れた美しさを目の当たりにしてきた士郎の反応は、その美しさに感心したようなため息をついた程度であった。
しかし、ヴィットーリオの特筆すべき点は、その美しさ以上に身にまとう雰囲気である。誰もが自然に足を折る慈愛のオーラ。確かに、この姿を見れば誰も彼がこの若さで教皇の地位についた事に対し疑問を抱かないだろう。それほどの『力』を感じさせる程であった。公爵家と言う大貴族に生まれ、これまで様々な地位の人間を見てきたルイズも、自然と小さな子供たちに囲まれ育ってきたティファニアも同じように尊い存在であると感じさせる『何か』を、確かにヴィットーリオは持っていた。
とは言え、そんな聖人を思わせる人物を見た際の士郎の抱いた感想は『厄介そうだ』ではあったが。
士郎が心中で様々な思いを巡らせていると、ジュリオからの報告を聞き終えたヴィットーリオが顔を上げた。
「さて、どうやら色々とわたくしの使い魔がご迷惑をおかけしたみたようで。本当にすみませんでした」
こほん、と一つ咳をしてルイズたちの視線を集めたヴィットーリオが深々と頭を下げた。
その突然の謝罪に、ルイズたちは驚きを見せる。
それはブリミル教の頂点に立つ教皇が頭を下げた事もあるが、それ以上に原因は口にした言葉にあった。自分が耳にしたものが聞き間違いではない事を確認するために、ルイズが恐る恐るといった様子で口を開く。
「あ、あの、せ、聖下? い、いま『使い魔』とおっしゃられましたか?」
「ええ。確かにそう口にしましたが?」
「「……………………」」
ヴィットーリオから間違いないとのお墨付きを受けたルイズとティファニアが、ギギギと錆び付いボルトを回したかのようなぎこちない動きで互いに顔を見合わせると、無言で見つめあう。
動かなくなったルイズとティファニアの姿に口元を綻ばしたヴィットーリオは、親しげな笑みを浮かべた。
「お気付きになられた通り。わたくしはあなた方と同じく“虚無の担い手”です。つまり、わたくしたちは血の繋がらぬ“兄弟”とも言えますね」
「そんな……まさか……」
「と、言う事は、ぼくとあなたも“兄弟”と言う事になりますね」
ルイズとティファニアが驚愕に打ち震える横で、ジュリオに笑いかけられた士郎が静かに口を開いた。
「つまり、お前が“神の右手”―――“ヴィンダールヴ”か」
「ほう」
「へえ」
士郎が口にした『ヴィンダールヴ』の言葉に、ヴィットーリオとジュリオが感心の声を上げた。
同時に、士郎を挟むように座っていたルイズとティファニアがはっとしたように顔を上げた。士郎に向けられる視線の中には、戸惑いが多々に含まれている。士郎の纏う雰囲気が、明らかに変わっていた。
素人目でも分かる士郎の変化に、しかしヴィットーリオとジュリオは気にした風も見せず、飄々とした態度を崩さないでいた。
「どうしてぼくが“ヴィンダールヴ”だと思ったんだい? 虚無の使い魔は四つ。“ヴィンダールヴ”以外にもいる筈だよ」
「考えるまでもない。お前の噂はあの戦争の時に良く耳にしたからな。『貴族でもないくせに、誰よりも巧みにドラゴンを乗りこなす男がいる』―――と」
『ここまで言えば分かるだろ』、と視線でジュリオに告げる。視線にジュリオはにこやかな笑みを返す。ジュリオからの返事に口の端を曲げた士郎は、そのまま視線をヴィットーリオへと向けた。
「さて―――今、この場には三人の虚無の担い手、そして二人の使い魔がいる。伝説と言われる虚無の担い手のほぼ全員を集めた理由が、ただ挨拶がしたかった―――とは流石に考えられない」
テーブルに肘を乗せ、組んだ手の甲に顎を当てながら、士郎が探るような視線をヴィットーリオに向ける。真意を暴こうとする力ある視線に、常人ならば息が詰まる程の圧力を感じるだろう。だが、流石にこの男は只者ではない。汗一つかくことなく涼しい顔で士郎の視線を受け止めていた。
「そろそろ教えてもらっても良いだろうか―――俺たちを集めた理由を」
鋭い刃のような鋭い視線を、ヴィットーリオは跳ね返すでもなく受け止めるでもない―――包み込むような笑みを浮かべ受け止め、口を開いた。
「ふふ……勿論挨拶がしたかったというのもありますが、確かにそれだけではありません―――あなたがたに、一つ協力をしてもらいたい事があるのです」
ヴィットーリオが口にした『協力』についての説明を聞き終えた士郎たちは、一様に黙り込んだ。重苦しい空気が大晩餐室を包み込む中、最初に声を上げたのは―――やはり、衛宮士郎であった。
「つまり、簡潔に言えばこういうことか―――エルフから聖地を奪いたいから力を貸せと」
「っふ―――簡潔に纏め過ぎだよ。確かにあなたの言う通りですが、幾つか訂正させて頂きたいね。そう、まずは奪うのではなく取り返すんだ。“聖地”は元々ぼくたちのものだったんだからね。そして、別にぼくたちはエルフと戦うつもりはないよ。虚無の力はエルフから聖地を取り戻すための“交渉”に使わせてもらうだけさ」
「……そこまでして、聖地を回復する必要があるのですか」
声を上げたのは、士郎でもジュリオでもなく―――ルイズであった。
士郎たちの視線が一斉にルイズに向けられる。
ルイズの問いに答えたのは、この話の中心であるヴィットーリオであった。
「ええ、勿論です。何故ならば、“聖地”こそが我々の唯一共通の“心の拠り所”だからです。その“拠り所”が我々には何よりも必要なのです。考えても見てください。我々は万物の霊長であります。その我々が何故、同族である人同士で殺し合うのか? 些細な誤解で迷い、惑い、狂乱に陥ってしまうのか?」
一旦言葉を切ったヴィットーリオは、一度ぐるりと士郎たちを見回した後、口を開いた。
「答えは一つ―――心の拠り所を失っているからです」
微笑むヴィットーリオ。その身に纏う雰囲気は、何処までも優しく柔らかく、温かく包み込まれるような。
「人は大切な何かを失った時、それが取り返しの効かないものであればあるほど、その代わりのもの―――代替品を探します。それは別に目に見えるものだけではなく、心でも同じ事が言えます。つまり、“聖地”という“心の拠り所”を奪われた我々は、心に空いたそのあまりにも大きな損失を埋めるため、無意識に代替品を探すようになってしまったのです。ですが、失ったものは比べられるものなどない“聖地”と言う“心の拠り所”そのものです。一つ二つの代替品で埋めれるようなものではありません。財宝、美食、美女、名誉、土地……空いてしまった穴を埋めるための代替品を奪い合い、この数千年、一体これまでにどれだけの血が流れたのでしょうか……」
悲しげに顔を伏せるヴィットーリオに同調したのか、ルイズやティファニアたちも顔を曇らせている―――ただ一人士郎を除いて。
「だからこそ、これ以上血が流れる前に、我々が力を合わせ、聖地を取り戻すのです。そう、神と始祖ブリミルがわたくしたちに授けた伝説の力―――“虚無”を持ってして。そして、聖地を取り戻した時こそ、我々は真に目覚め。その時をもってハルケギニアは“統一”されることになりましょう。“統一”。つまり、完全な平和。そこでは一滴も血が流れることはなく、悲しみに溢れる涙もありません」
淡々とヴィットーリオが話す言葉の中に、聞き逃せない言葉を耳にしたルイズが、思わず口からその言葉をこぼしてしまう。
「―――とう、一?」
「ええ、その通りです。ハルケギニアは統一されます。何も不可能なことではありません。何故ならば、わたくしたちは共に始祖ブリミルを祖に抱く兄弟なのですから」
両手を大きく広げ、暖かな声で宣言するヴィットーリオ。口にした言葉は荒唐無稽に程があるが、ブリミル教の信者ならば、いや、信者ではなくとも、今のヴィットーリオを見れば疑いようもなく信じてしまうほどの力がその宣言にはあった。
思わずルイズが頷いてしまいそうになる程に。
だが、その威光が全く効かない人物がいた。
それは―――。
「―――一つ、聞きたいことがある」
士郎はテーブルの上で組んでいた手を解くと、顎に手を当てヴィットーリオに問う。
「何故、今なんだ?」
「―――今、とは?」
一瞬の間。返信の間としては、全く不自然ではない程度の僅かな問いかけに対する反応の隙間。だが、その一秒にも満たない間に見えた、微かな動揺を士郎は見逃さなかった。
「何故、今聖地を取り戻そうとする? “虚無”の力で聖地を取り戻すと言うが、別にそれに拘る理由はないはずだ。確かに“虚無”を利用すれば、短期間で“聖地”を取り戻せる可能性はある。だが、その分危険性も高い。下手をすれば、泥沼の戦争状態が数十、いや、数百年続く可能性がある。エルフは長命で力が強く賢い。それがどういう事か、少し考えれば誰にでも分かるはずだ」
静かに、しかし、強い言葉に圧せられたかのように、晩餐室の中が静まり返る。そんな中、最初に声を上げたのは、問いかけられたヴィットーリオではなく、
「―――確かに、そうですね」
アンリエッタだった。
士郎たちを出迎えてから不自然な様子を見せていたアンリエッタだが、今は落ち着いた様子で集まった視線に応えていた。
「何故かは分かりませんが、エルフは“聖地”に拘っています。“聖地”を奪われてからこの数千年、各国の王たちが“聖地”を取り戻そうと数え切れないほどの戦争、交渉をエルフに行いましたが、その全てをエルフは跳ね除けています。長命な彼らにとっても、数千年は長いはずです。なら、彼らにとって“聖地”が重要ではなければ、何かを見返りにし“聖地”を返していてもおかしくはありません。ですが、彼らは数千年も“聖地”を守り続けている。固執していると言ってもいい程に。それに何よりも、彼らは“聖地”を奪ったのです。そのことからも、エルフはかの地を重要視していることが伺えます。ならば、例え“虚無”の力を見せたとしても、素直に渡すとは考えられません。交渉が無理となれば、戦いになります。つまり“聖戦”―――殺し合いです」
淡々と、何の感情も込めず事実だけを述べるアンリエッタ。だが、最後の言葉だけは、冷たく酷薄な薄ら寒い冷気が帯びていた。
聴衆がびくりと身体を震わせる中、アンリエッタの淡々とした言葉は続いている。
「―――そうなれば終わりですね。最終的に“聖地”を取り戻したとしても、互いに多くの血が流れた後となるでしょうし。そこから生まれた憎しみや悲しみを糧とし、エルフは復讐を始めるでしょう。わたくしたちとは比べ物にならないほど―――長命で、力が強く、そして賢いエルフが」
アンリエッタの視線が士郎に向けられる。アンリエッタが何を求めているかを直ぐに察した士郎が口を開く。
「エルフとは一度戦ったことがある。ビダーシャルと名乗ったあのエルフがエルフの中でもどれほどのものなのかは分からないが、それでも、エルフが並の、いや、一流のメイジよりも強大な力を持っていることは確実だ。他にも、エルフの薬と言うものがあるな。人の精神を狂わせる薬だそうだが……偉大と呼ばれるメイジでもその薬が一体どうやったら作れるのか想像も出来ないらしい」
「……それだけの力を持ったエルフが復讐を始めたら一体どうなることでしょうか。エルフの寿命は数百年はあると聞きますが、それが真実であるならば、一人のエルフがその生を全うするまで復讐を続けるとなれば、それこそ数千、いえ、数万の犠牲者が出ることになるでしょう」
透明で薄く―――深い青をたたえた瞳で、アンリエッタがヴィットーリオ、そしてジュリオを順に見る。
「わたくしのような若輩ものでも簡単に想像できる事が、聖下が予想していない筈はありませんが、聖下はどのようにお考えなのでしょうか? “聖地”を奪った後の事を―――憎しみに染まり、復讐に生きるエルフにどう対処するおつもりなのでしょうか?」
淡々と、静かに、一見すると優しげにさえ聞こえるような声音で、アンリエッタはヴィットーリオに疑問を投げかける。問いに、応えはなく、ただ沈黙が広がるだけ。沈黙という答えに対し、童女がそうするように桃色の薄い唇に指先を当てたアンリエッタは、僅かに口角を上げ目を細め僅かに口を開く。
まるで笑っているかのような顔で、薄く開いた唇から―――どろりとした声が溢す。
「―――殺すのですか? 一人残らず、男も女も、老人も子供も―――エルフを一人残らず殺しますか?」
ひっ、と押し殺した誰かの悲鳴が微かに大晩餐室に響き。沈黙の中にその余韻が消えると、アンリエッタは続きを口にする。
「エルフを全て殺せば、確かに復讐はありません。ですが、それはとても難しいことです。逃げ切られる事もあれば、兵士の誰かが見逃すかもしれません……。何よりも、わたくしたちはエルフについて全てを知っているわけではありません。もしかすると、“サハラ”以外にもエルフがいるかもしれません。もしかすると、それはわたくしたち人間よりも数が多いかもしれません……そうなれば、数に劣り、力にも劣り、賢さにも劣るわたくしたちに勝ち目はあるのでしょうか?」
「―――つまり、あなたは反対と言うことですかアンリエッタ殿?」
沈黙を続けていたヴィットーリオが最初に口にした言葉は、アンリエッタへの問いかけだった。表面上は変わらず慈愛の笑みを浮かべたままのヴィットーリオだったが、今になっては、それはもう本心を隠すための仮面のようにも見える。
「わたくしは賛成も―――そして反対もしません」
「賛成も、反対もしない? それは一体どういう事でしょうか?」
アンリエッタの予想外の返答に、ヴィットーリオだけでなくルイズたちも疑念を向ける。視線に促されるように、アンリエッタは静かに口を開いた。
「わたくしは未だ未熟の限りです。国を収める王としては半人前も良いところでしょう。何が正しく、何が間違っているかの判断すら出来ない愚か者です」
『ですから』と続けながら、アンリエッタは顔を上げ士郎を見る。様々な感情に満ちた、しかし強い視線。士郎を見つめながら、アンリエッタは言葉を続ける。
「―――シロウさん。あなたに全てを託します。この“聖戦”に賛成するも反対するも、わたくし―――アンリエッタ・ド・トリステインは、あなたの決定に従います。その結果生じたあらゆる事柄に対する責任は全てわたくしが請負います」
「ちょ―――姫さまっ!?」
「殿下っ?!」
驚愕、非難、動揺―――様々な感情が込められた呼びかけに、アンリエッタはチラリと目を向けるも、直ぐに士郎に顔を向ける。
「どれほど無責任な事を言っているのか自分でも承知しています。非難も甘んじて受けましょう。ですが、撤回はしません。わたくしは、シロウさんの決定に従います」
アンリエッタと、士郎の視線が交わる。士郎を見つめるアンリエッタに、誰かに縋ろうとするような弱さは見えない。腕を組んだ士郎は、目を閉じ黙り込んだ。
誰も声を上げない、大晩餐室に息を吸い、吐くだけの音が響く。形となって誰かの耳を揺らすものがないまま、時間だけが過ぎていく。
そして、数秒か、それとも数分かの沈黙の後、静かに士郎は口を開いた。
「―――“聖戦”に参加するかどうかは、まず先程の問いの答えを聞いてからにしたい」
瞼を開き、ヴィットーリオを見た士郎は、再度問い掛ける。
「―――なぜ、今なんだ?」
嘘や偽りは許さないとばかりの強い目に、思わずヴィットーリオは苦笑を浮かべた。テーブルの上に置いた手の先、指で鍵盤を叩くようにヴィットーリオは硬いテーブルをトントンと鳴らす。
「“聖戦”となれば、その結果の如何に問わず、先程の説明でも分かるとおり、多大な犠牲が出ることは理解している筈だ。それなのに、何故だ? 今はガリアの件もあって、平和とは言いづらいが、そこまで人心が乱れているとは思えない。そう“聖戦”を起こしてまで“聖地”を取り戻さなければならない程の切羽詰った状況ではないはずだ。荒れた人心を癒すため、平和のためにと、聖地を求めるのは良い。時間がかかるが、争いが起きる可能性が低い方法はいくつもあるからな。だが、あなたは“虚無”を利用し、更なる混沌を呼び起こす危険性がある方法を取ると言う―――何故だ? 何を焦っている?」
―――トンッ! と一際強くテーブルを叩く硬い音が響いた。一瞬の静寂の後、声を上げたのヴィットーリオだった。
「……焦っている、ですか」
落としていた視線を上げたヴィットーリオは、士郎を見つめる。その顔に先程まで浮かんでいた微笑みは―――なかった。
「確かに、わたくしは焦っているのかもしれません」
「……それは―――」
「―――理由は二つあります」
問いを遮り、ヴィットーリオは立てた二つの指を士郎に突きつける。
「そして、その二つとも今のあなたがたにお話しすることはできません」
「―――え」
「な」
「それは」
「……」
士郎に突きつけていた手をテーブルに当て、立ち上がったヴィットーリオは、後ろ手に組んで大晩餐室の中を歩き始めた。コツリコツリと靴音が響くのに、ヴィットーリオの言葉が混じる。
「話せない事情は数多くありますが……そうですね。話せない理由ですが、一つ目の理由については、もしその『話せない理由』が漏れてしまえば、国の境なくハルケギニアの全てが混乱の坩堝となる恐れが強いためです。ですから、ある程度対策の見通しがつかない限りは、あなたがたにお話することは難しいでしょう」
「ハルケギニア全てが―――」
「―――混乱?」
ルイズたちが困惑と恐れが混じりあった奇妙な声で疑問を口にする。が、それに対する応えはヴィットーリオからなかった。大晩餐室を歩き回っていたヴィットーリオが足を止めると、振り返って士郎を見る。その視線の中には、探るような意思が感じられた。
「―――二つ目の理由について教える事ができないのは」
じっと士郎を見つめるヴィットーリオ。士郎のどんな些細な反応も見逃さないといった様子だ。ヴィットーリオの傍に控えるジュリオもまた、士郎に観察するような視線を向けていた。
「―――わからないからです」
「「「「は?」」」」
ヴィットーリオが口にした言葉を聞いて、緊張に表情を固めていたルイズたちが奇妙な間の抜けた声を上げ。士郎も同じように、真剣な表情を浮かべたまま、ガクリと微かに身体を傾げさせた。
「……その、聖下。それは一体どう言うことでしょうか?」
「そのままの意味ですよミス・ヴァリエール。わたくしが虚無を使ってまで“聖地”を取り戻そうとする理由の二つ目は―――『わかない』なのです」
「わからないって……」
混乱したのか疲れたのか、頭を抑えながらルイズがテーブルの上に突っ伏してしまう。それを横目にしながら、士郎はその言葉の真意を問いかけた。
「何が『わからない』と」
「……全てです。実はですね。二つ目の理由に関係するモノと言うのが、遥か太古のものなんです。数千年も前の資料であり、また、その内容の余りの荒唐無稽さに、わたくしたちの中でもただの物語か何かではないかとの意見が多数を占めている程です。ですが、もし、これが真実であるならば、このままでは……」
じっと士郎を見つめるヴィットーリオの瞳に、一瞬だけだが恐れのようなものが過ぎった。
ゴクリと何時の間にか口中に溜まった唾を飲み込みながら、息を詰めヴィットーリオの言葉を待つルイズたち。
そして―――告げられる。
「―――世界が終わります」
「「「……は」」」
唖然、と言うよりも、間の抜けたような顔をルイズたちは浮かべていた。だが、それも仕方のないことだろう。ハルケギニア最大の宗教組織の長が、突然世界の終わりを予言したのだ。間の抜けた顔の一つや二つ浮かんでも仕方がない。しかし、士郎を除いて、であるが。
「―――その根拠となる事についてだが、説明はして……もらえないか」
「ええ……本当に残念ですが。特に二つ目の理由については、未だ真偽が定かではないこともありますし。それに―――」
士郎から目を離したヴィットーリオは、ルイズたちに背を向け窓を見上げた。
「―――事はハルケギニアだけでなく、この世界全てに係わることです。誤った情報をお伝えしてもいけませんからね」
「世界が終わる、か……一体どんな理由なのか……」
片手で覆った口元から誰に言うでもなく疑問を口にした士郎に、期待していなかった応えの声があった。
視線を感じ顔を上げると、窓から差し込む光を背にしたヴィットーリオが士郎を見つめていた。
「そういえば……先程お話した二つ目の理由について、その内容が余りにも荒唐無稽と言いましたが、実は、最近入手したあるモノの中の一つに、このような事が書かれていたんですよ」
突然何を言い出すのかと疑問を浮かばせる士郎たち。理由は話せないと言った直後のこの言葉。何を考えているのかと、眉間に皺が寄るほど強くした視線でヴィットーリオを見る。だが、光を背に背負ったヴィットーリオの顔は、逆光で全くどのような顔を浮かべているのは判然としない。眩しさに士郎たちは反射的に目を閉じ。その時、偶然全員の瞬きの瞬間が一致する。一瞬だけ現れた闇。一秒にも満たないその闇の中、士郎たちはその一節を耳にした。
『カノ悪魔ガ立ツハ無限ノ剣ガ突キ立チシ枯レ果テタ大地―――世界ノ終ワリヲ予見サセシ赤キ空ニハ歯車ガ回リ―――彼方カラハ鉄ヲ鍛エシ音ガ響ク―――』
見開いた目の視線の先、光の中に顔を隠したヴィットーリオの口元が歪んで見える。
『―――急ゲ―――世界ガ悪魔ニ壊サレル前ニ―――』
後書き
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