ユミルは、余分に十人分は作った馳走の山を、一人でなんと半分近くも平らげた。
その間にも目から涙が止むことはなく、一口食べるたびに「おいしい」と何度も何度も連呼した。それを見て俺達はもれなく揃ってそれぞれ意味の違うであろう微笑みを送ってしまい、マーブルはそんな俺達も含めて全員を温かい微笑で見守っていた。
ついに最後のシチューの盛り付けられた一皿まで平らげたユミルは、きちんと手を合わせ「ご馳走様」と呟いた後……まるで人形の糸を断ち切ったかのように、コテンと俺の肩に寄りかかってきた。
一瞬、氷点下に冷えた視線三つが俺目掛けて突き刺されるも……真横の金髪から香る、微かに甘さの混じる柑橘系の香りに内心どきまぎしながら、何事かとその顔を覗いてみれば……
ユミルは、事切れたかのように
昏々と眠っていた。
今ではその頭はマーブルの膝の上に移され……それはそれは純粋無垢に他ならない、天使のような寝顔を晒していた。
その小さな口元は、すうすうと定期的で安らかな寝息をたてている。
「よっぽど疲れていたんですね……。きっと、長い間、ずっと……」
シリカが目を細めながら、穏やかに言う。
ユミルの目尻の睫毛にはまだ涙の雫が残っており、それになんとも言えない感情が俺達の心を胸打つ。なにより微笑ましいのは、そんなユミルをマーブルが慈しみに溢れた顔で見下ろし、心の底から愛おしそうな手付きで優しく、優しく彼の髪を撫でていた事だ。そんな彼女は本当に嬉しそうで……その情景は、母が子を子守唄で寝かし、その寝顔を愛でている絵画の一枚のようだった。
「……あなた達は、本当にすごいわ」
髪を撫でる手を止めることなく、マーブルが口を開いた。
「この子は私と居た半年間、一度も心の内を見せてくれなかった……。だけどあなた達が来て、たった一日。たったそれだけで、あなた達は信じられないほど多くのユミルの顔を私に見せてくれた。この子の心を……少しだけ、垣間見せてくれた。この子は、本当はこんなにも……無垢な子なのだと、信じさせてくれた。それだけでもう、感謝してもし切れないくらい……」
「いえ……そんなこと、ないです」
それにシリカが首を振りながら言う。
「それに、感謝されるのは、まだ早いですよ」
アスナがそれに続く。
「お礼の言葉は、ユミルくんが心を開いて、あたし達の友達になってからにしてください!」
リズベットが空気を明るくするかのように、ぐっと手を握りながら言う。
ここで最後に俺も続くのがスジというものだろう。
「そうですよ。全てが終わったら、またここで晩餐会をしましょう。マーブルさんの手料理、すごく旨かったのでまた作ってください」
そう言って、きっちりとトリを締めくくる。
「あなた達…………ふふっ、そうね……」
マーブルは指で浮かびかけの涙を拭い、ついでに服の袖で眠るユミルの目の雫を拭き取った。
湿っぽい空気が苦手なのか、なおも場を明るくしたいらしいリズベットが、ニヤリとさせた口に手を当てながら言う。
「その時は、マーブルさん……もうこの際、ユミルくんと結婚でもしてみたらどうです~?」
「えっ? な、なによ突然~?」
突然の提案に、さしものマーブルも流石にキョトンとする。
「ユミルくんならきっとオーケーしてくれますよ、マーブルさん超美人ですし。それに、そうしたらあのナンパ男みたいな連中からも絡まれずに済みますよ? どうです、年下の彼氏のカップルってのは?」
「…………うふふふっ、リズちゃんったら、すごい事考えるわね。うん……そうねぇ」
マーブルは膝の上のお婿候補を見下ろしている。髪を撫でている手が止まり、今度は柔らかそうな頬を指先で
玩ぶように撫で始めた。すると一瞬ピクッ、と頬をヒクつかせて、むにゃ……と可愛らしい寝言を漏らしたユミルに、彼女はさらに笑みを深くした。
「――私は……この子のこと、好きよ」
そして出た、どこか艶を帯びた声を聞いた途端、女性陣から黄色い声が上がる。
「ってことは……!?」
「でもダメ。残念でした♪」
だがマーブルはカラッと何事もなかった風に、手を金の髪を
梳かす仕事に戻らせた。
「好きっていっても、その意味が違いまーす。それに……なにより、私はこの世界じゃ誰とも結婚しないと、最初から決めてるのよ」
「へぇ……理由を聞いてもいいですか?」
興味深そうにリズベットが問うと……何を思ったか、マーブルは両手を頬に当て、やんやんと気恥ずかしそうに身じろぎした。
「決まってるじゃない。だって私――……現実で、既に結婚しているもの……♪」
「「「……………!!」」」
一斉にこちらの女性陣の目が光り、尊敬の眼差しが送られる。
「私は今だって変わらずあの人を愛してる。あの人に身も心も捧げてるの……だから、この左手の薬指も、あの人だけのものなのよ……」
彼女らは揃って、おぉ……! と声を上げながら拍手を送り、
「あっ、でも……私達、まだ子供は作ってなかったんだけど、そうね……この子、ユミルみたいな子供が欲しいなぁ~……」
そして頬を真っ赤にして「キャーッ!」と
耽溺する高い声を合唱コーラスで叫んでいた。
なんだこれは……。
その後は二人の馴れ初めから始まる、マーブルの恋愛トークにフェードインし、この中で唯一、なんとも華やかな空気に馴染めなかった俺は、いそいそと食器を片付けにカウンター奥へと単身向かってフェードアウトしたのだった。