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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百六十四話  憂鬱




宇宙暦 798年 7月 15日  イゼルローン要塞  ヤン・ウェンリー



「では地球教とフェザーンの繋がりは未だ分からないと?」
『レムシャイド伯はそう言ったようだ』
「……」
『帝国からは地球教の残党がフェザーンを目指すのではないかと懸念が出た。同盟には注意して貰いたいと』
スクリーンにはグリーンヒル総参謀長が映っている。表情は何処か鬱屈しているように見えた。まあ確かに面白くない報せだ、相変わらず地球教とフェザーンの繋がりが見えない。

『フェザーンのクブルスリー提督にも話したが彼も困惑していた。軍人というより警察の仕事だからね』
難しい仕事だ、地球教徒と一般市民の見極めが難しい。一つ間違うと同盟はフェザーンで市民を抑圧している等と非難が出かねない。

『政府からは帝国がフェザーンでの混乱、騒乱を望んでいるのではないかと疑念が出ている。それを利用して戦争に持ち込もうとしているのではないかと……、貴官は如何思うかね』
「有り得るでしょうね」
『我々も同感だ』
グリーンヒル総参謀長が頷いた。我々という事はボロディン本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官も同意見という事か。

『狙ったと思うかね?』
「……」
『政府、軍の中には帝国が故意にフェザーンを火薬庫にしようとしているのではないか、そんな声が有る』
総参謀長がじっと私を見た、暗い目をしている。疑心暗鬼、そう思った。

「可能性は有ると思います。最初からそれを考えてフェザーンをこちらに委ねたわけではないでしょう。しかしどの時点からかは分かりませんが帝国は地球教を利用してフェザーンを混乱させる事を考えたのだと思います。地球教の本拠地を討伐したのは帝国が外征する準備が出来た、そういう事でしょう」
『つまり、全面攻勢を考えている、そう言いたいのだね』
「はい」

グリーンヒル総参謀長が頷いた。帝国は同盟とは違う、信教の自由などどうでもいい事の筈だ。何時でも地球を討伐出来ただろう。なかなかそれを行わなかったのは時機を見計らっていた、そうとしか思えない。内乱終結からもうすぐ一年半になる。国内は長期遠征に耐えられるだけの体力を持ち安定しているということだろう。

私がその事を伝えると総参謀長がまた頷いた。
『現状では七個艦隊を以って帝国軍の迎撃に当たる事になる。もう一年、時間が欲しかった。そうすればもう一個艦隊の編成が可能だったんだが……。編成を急がせるが間に合うかどうか……、間に合ったとしても練度は低いだろう』
「……」

『それに比べて帝国軍は二十個艦隊は動員するはずだ。その大兵力がフェザーン、そしてイゼルローン回廊の二方向から押し寄せてくる事になる』
膨大な兵力だ、思わず溜息が出た。
『主力はフェザーンだろうと思うが貴官の考えは?』
「私もそう思います」
総参謀長が苦しげな表情をしている。二正面作戦を強要される、そう考えているのかもしれない。政府の方針を私も聞いていないわけではない。

「アルテミスの首飾りの件、市民に公表すべきではないでしょうか」
私が提案すると総参謀長が微かに頷いた。アルテミスの首飾りは役に立たない、帝国内ではヴァレンシュタイン元帥により何の効果も無く破壊されている。一度最高評議会内部で討議されたが防衛体制が整わない今、公表すれば市民はパニックを引き起こしかねないと却下されたらしい。

『アイランズ国防委員長に相談してみよう。委員長は戦争が始まればイゼルローン、フェザーン両回廊で膠着状態に持ち込む事で和平をと考えている。帝国がもたついている時こそ和平のチャンスだがそれを理解しようとしない人間も出るだろう、特に議会とかね。自分は安全な場所にいると思って無責任な事を言い出しかねない。アルテミスの首飾りが役に立たないと分かればそういう人間も少しは考えるだろう』
総参謀長の口元が僅かに歪んだ。

『これから防衛計画を策定しなければならない。貴官にも参加してもらう、宜しく頼むよ』
「承知しました」
何も映さなくなったスクリーンを見て思った。二正面作戦、少ない兵力をさらに分割する事になる。膠着状態を狙うと言うが危険ではないのか。失敗したら各個撃破されることになる……。兵力を有効に使うのなら帝国軍を同盟領奥深くへ誘い込み全兵力を以って決戦という考え方も有るだろう。

問題はイゼルローン要塞、フェザーンを放棄するという事が如何いう影響をもたらすかだな。それを同盟市民が受け入れられるか、政府が混乱を抑えられるか……。しかし膠着状態にして和平を結んでも状況からしてイゼルローン要塞、フェザーンの帝国への返還は免れない、となれば放棄しても問題は無いとも言えるが……。



帝国暦 489年 8月 5日  オーディン ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



リビングでお茶の用意をしていると夫が不思議そうな表情をした。カップが二つしか出ていない事に気付いたのだろう。
「ユスティーナ、義父上は書斎かな」
「いいえ、先程在郷軍人会へお出かけになりましたわ。何か御用ですの」
「いや、そうじゃない。カップが二つしか出ていないから如何したのかと思ってね」

「たまの休みだから二人でゆっくり過ごしなさいと仰られて……。気を使って下されたのです」
夫がちょっと困ったような表情を見せた。だから反対したのに……。
「そんな事はしなくて良いのに……。ユスティーナ、義父上に遠慮は止めて欲しいと伝えてくれないかな」

「私も言ったのですけれど……」
「駄目だったか」
「はい、貴方から仰って頂けませんか」
「一度言ったのだけどね。義父上は頑固だから……」
夫が軽く息を吐いた。養父は夫と私を出来るだけ二人だけにさせようとしている。夫が多忙で休みが取れない事を大分気にしているようだ。

夫にはココアとクッキーを私には紅茶とクッキーを用意した。ココアの甘い香りが部屋に漂う。久しぶりの休日、夫がこうして家で寛ぐのは本当に珍しい事だ。いつもは休日とは言っても人と会ったり自室で仕事をしている事の方が多い。あまり無理はして欲しくないのだけれど……。

「貴方は養父と一緒にいるのは苦になりませんの」
「……何故そんな事を?」
「養父の前では誰もが緊張していますから。貴方は如何なのかと思ったのですけど」
夫はココアを一口飲んでから“余り苦にならないな”と答えた。

嘘ではないだろう、夫はごく普通に、私よりも自然体で養父に接している。本当に血の繋がった親子のようだ。
「義父上は如何なのかな。私と一緒に暮らすというのは苦にならないのかな」
「そんな事は無いと思います。喜んでいらっしゃいますよ。……何故そんな事を?」
私が問い掛けると夫が曖昧な笑みを浮かべた。

「義父上にとって私は使い辛い部下だったのではないかと思ってね」
「まあ」
「考えてみればかなりの問題児だったと思う。良く我慢して使ってくれたものだ。義父上と同じ立場になって分かったよ。人を使うのは難しい、つくづくそう思う」
しみじみとした口調だった。

苦労しているのかもしれない。夫は未だ二十台半ば、世間一般では青二才と言われてもおかしくない年齢なのだ。それなのに夫は帝国でも屈指の実力者になっている。周りにいる部下は皆夫よりも年上だろう。気の休まる時は無いのかもしれない。沈んだ表情でココアを飲んでいる夫を見ると胸が痛んだ。

「御無理はなさらないでくださいね」
「ああ、大丈夫、無理はしないよ」
夫が柔らかい笑みを浮かべた。嘘だと分かっている。夫の立場では無理せざるを得ない事の方が多い。軍だけではなく内政にまで関わっているのだから。私は無理をしないで欲しいと出来ない事を願い夫は出来ないと分かっていても無理はしないと答える……。

意味の無い会話なのかもしれない。それでも私に出来るのは心配している人間が身近にいるのだから無理をしないでくれと訴える事でしかない。なんて無力なのか……。夫が困ったような笑みを浮かべているのも私に対する罪悪感からだろう。周囲から冷徹と言われても心の冷たい人ではない。無理をしないで欲しいと思うのは健康面だけの事ではない……。

「済まないな、ユスティーナ。君には心配ばかりかけてしまう」
私が抗弁しようとすると夫が首を横に振った。
「身体が弱いのに忙しくて碌に休みが取れない。おかげで夫婦らしい事は何一つしてやれない。本当なら今日も一緒に出かけたり買い物にでも付き合うんだが……」
夫が溜息を吐いた。

そんな事は出来る筈がない。夫の命を奪おうとしている人間は多いのだ。今も屋敷の周囲には警護の兵士が大勢居る。私だって外出は出来るだけ控えている。キュンメル事件を忘れる事は出来ない。もう少しで夫は殺される所だったのだから。
「これでは何のために結婚したのか……、義父上が出かける筈だ、情けない夫だよ、私は」
俯いて首を振っている夫が愛おしかった。外では弱い姿を見せられない人が私の前では見せている。それだけで愛おしかった。

「私は後悔していません」
「ユスティーナ」
「幸せですよ、私は。貴方とこうして一緒にいられるんですから」
言ってから恥ずかしさで顔が熱くなった。夫が困ったような表情をするのが分かってさらに熱くなった。でも本心だった。夫と結婚した事を後悔はしていない。

「もうすぐ宇宙は平和になるだろう。そうなれば少しは時間が取れるようになると思う。もう少し我慢して欲しい」
「はい」
戦争が近付いている、そう思った。夫がそれを口に出した事は無い。でもなんとなく分かる。最近自室でじっと考えている事が多くなった。その時の表情はとても厳しい。戦争の事を考えているのだと思う。宇宙を平和にするための戦争。本当に平和になって欲しい、そう思った……。



帝国暦 489年 8月 5日  オーディン ミュッケンベルガー邸  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



お茶の時間が終るとリビングには俺だけが残った。ユスティーナは片付けとは言っているが本当は俺を一人でゆっくりさせたいのだろう。彼女には寂しい思いばかりさせている。済まないな、ユスティーナ。何時か必ず埋め合わせはしよう。

義父殿は在郷軍人会か……。参るね、あそこは年寄りが多いからな。親近感が有るのかもしれないが話題になるのは孫がどうしただの曾孫が生まれただのって話が多いんだよ。そうなるとミュッケンベルガーも孫が欲しいってなるんだろう。俺には言わないがユスティーナには時々訊いて来る時が有るそうだ。まあ時々だし軽くではあるそうだが。

子供か、今は拙いよな。ユスティーナが妊娠したと知ったらアホ共が何を考えるか……。俺にダメージを与える事が出来るなんて考えてユスティーナの命を狙いかねない。避妊すべきかな? でもなあ、ユスティーナが悲しむだろうし……、それを考えると避妊も出来ない。

今から妊娠したとすると出産は来年だよな。今年の年末は出兵準備で忙しい筈だ。そして年が明ければ同盟領に向けて出兵となる。軍事行動期間は大体半年から一年。出産、子育て、一番大変な時期に傍に居てやれない。おまけに帰ってくれば直ぐにフェザーン遷都だ。やっぱり子作りはフェザーンに行ってからかな?

避妊、ユスティーナに相談してみようか。多分彼女は嫌とは言わないだろう。でも悲しそうな顔をするだろうな。見たくないんだよ、ユスティーナのそんな顔は。今だって心配かけまくりなんだから。……頭が痛くなってきた、ミュッケンベルガーに相談してみようか。

地球を制圧してから一カ月か。そろそろ地球教の残党もフェザーンに集結したころだろう。帝国の出兵を可能にするには同盟がフェザーンの中立性の維持に失敗した、或いは反帝国的な活動を行ったとするのが妥当だ。地球教がどう動くか、ルビンスキーがそれをどう利用するか……。

地球教は現状のフェザーンには満足出来ない筈だ。フェザーンを思うように動かせない。何と言っても自治領主であるペイワードは思い通りにならないし自由惑星同盟軍が駐留している。言ってみれば占領統治下にある様なものだ。自治領主を傀儡に任せ同盟軍を撤退させる事を望む筈だ。

フェザーンの自治を回復する。帝国の自治領に復帰するか、或いは現状を利用して同盟の自治領を目指すか。そしてフェザーンを根拠地として再度地球による宇宙支配を考える。帝国と同盟の国力を考えれば帝国に戻るだろう。だが地球教にとって同盟の方が与し易い、そう思う可能性が有る。或いはルビンスキーがそう誘導するかもしれない。その方向で混乱が起きれば十分に出兵は可能だ。同盟はフェザーンの中立性を維持せず自国の利を図った、そう非難出来る。

同盟を頼るのは無理が有るかな。ペイワードの力が強くなりかねない。地球教の望むところではないだろう。となると帝国の自治領を目指す可能性が高いか……。しかし何をやるにしても邪魔になるのがペイワードだろう。地球教は必ずペイワードを排除するか取り込もうとするはずだ。

取り込むのは難しいだろう。ペイワードは自分の後ろ盾が同盟だと分かっている。その同盟が地球教を否定している以上ペイワードが地球教を受け入れる事は無い、となると排除だな。どうやって排除する? 謀殺か? 上手い手ではないな、同盟は地球教が動いたと認識するはずだ。地球教に対する追及は厳しいものになるだろう。帝国としても地球教の追及なら文句は言えない。

いや、可能性は有るか。ペイワードを謀殺して次の自治領主を長老委員会で選ぶ。当然だが地球教の操り人形だ。長老委員会がまだ地球教の影響下にあるなら可能性は有る。同盟は認めないだろう、となると混乱が生じる、中立性の維持に失敗したと非難が出来れば帝国に出兵のチャンスが生じる。ルビンスキーが誘導する。

待てよ、殺すまでも無いか。同盟から押付けられた自治領主と非難してリコールすればいいわけだ。先ずフェザーン人の間でペイワードへの不満、同盟への不満を煽る。その上でペイワードのリコールだ。同盟もペイワードも受け入れるのは難しいだろう。こっちが本筋かな。まあ中立性の維持を争点にするならそんなところか。

レムシャイド伯はオーディンに戻した方が良いな。フェザーンはこれから混乱する、同盟側に沈静化の協力など求められても詰まらん。それに場合によってはレムシャイド伯の命が危ういという事も有るだろう。高等弁務官の暗殺なんて反帝国活動の最たるものだ。リヒテンラーデ侯に相談してみよう。


 
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