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或る皇国将校の回想録

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北領戦役
  第十一話 苗川攻防戦 其の三

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊次席指揮官。大尉へ野戦昇進する。
     側道方面の防衛隊を指揮する。
  
杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 予備隊長 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官

金森二等兵 側道方面防衛隊所属の少年導術兵



シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校
ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十三日 午前第十刻 小苗陣地 丘陵頂上付近
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


 猟兵達が渡河を挑み苗川は朱に染まってゆく。
 砲兵陣地から放たれる砲弾が降り注ぐ中でも、〈帝国〉砲兵は決死の覚悟で兵達の渡河を援護せんと装填を行っている。
 ――此方に余力は欠片もなし、と。
指揮所から出て、兵站幕僚――というよりも事実上の副官である米山中尉と共に最前線を眺め、馬堂少佐はうんざりと呟いた。
「西からは騎兵大隊、北からは〈帝国〉猟兵旅団、間をとって北西からは鬼でも攻めて来るのか?」

「大隊長殿、鬼門は北東です」
「‥‥‥そう」
「‥‥‥そうなのです」
 北領の風は冷たかった。

「渡河した騎兵を排除すれば追撃の戦力が厳しくなる。
これ以上の部隊の渡河は大規模にせざるをえない。数で圧倒する為には工兵によって架橋を行わなければならないだろうな。現状は我々の目的である時間稼ぎには最高だ。
 ――だからこそ問題は側道だ。ある程度の築陣は行ったがこの苗川の様な地の利は除雪していない隘路位しかない、たとえ此方が有利に戦闘を終わらせてもあちらとこちらでは頭数が違いすぎる」
 大隊長が心配そうに側道方面へと顔を向けるのを見て米倉中尉が力強く励ます。
「だからこそ、この大隊では随一の戦上手を当て、戦力も割きうる限りを配置したのです。
新城大尉殿ならば必ずや」



同日 同刻
小苗渡河点陣地より後方半里 西側道 防御陣地 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 側道防衛隊長 新城直衛大尉


「此処で殲滅すれば敵も鈍るのだがな」
 除雪されていない隘路、疲労した馬に兵、考えうる限り騎兵が戦うには著しく不利な状況である――だがそれでも帝国の胸甲騎兵部隊は精強であった。
 砲声が轟き、騎兵であったものが同胞達に降りかかる、それでもなお精兵達は怯まずに突撃する。最早先頭は半里程度の距離しか無い。
予備隊約二百五十名を配置した壕、その五十間前方に馬防柵を設置してあるが、それも足止め程度にはなるが決してそれ以上では無い急拵の物だ。

しかし、予備隊の主力である鋭兵二個中隊と剣虎兵小隊は皆が施条銃装備である。
これが新城に与えられた唯一の贅沢である。

「大した統率だな。この悪路で叩かれても尚も退かない。」
 新城の不機嫌さを感じたのか彼の猫である千早が顔を寄せ彼女の眉間を揉みながら様子をみる。
  ――敵は分隊規模の横列で縦隊を組んで突進しているが、この隘路では密集せざるを得ない。

「軍曹、もう一度撃ったら馬防柵付近への集中砲撃の用意をさせろ。」
「はい、大尉殿。」
そう答え、観測結果を伝える声の方を向きぐったりとしている金森を気遣わしげに見た。
 ――見た目はまるで子供の様に見える、新兵だ、恐らく十七才だろう。軍曹は四十路前だ。
近い年頃の子供がいてもおかしくはない、心配なのだろう。

 金森の顔色は蒼白で、導術兵の象徴である額の銀盤も疲労の度合いを示し黒ずんでいる。
導術兵達は皆この様な状態であった。 導術は乱用すると消耗する、酷いときには死を招く事は大隊本部の中で最も導術部隊と接していた情報幕僚であった馬堂少佐も理解していた。
 だからこそ、交代制を取っていたのであるが交戦が始まると加速度的に術師達は消耗していくことは必然であった。
 じくり――と新城の良心に痛みが走る、だがそれを無視して指揮官である新城は前方の戦況に心を向ける。
 ――現在攻撃を行っている敵の戦力は二個中隊だ、残りの二個中隊は後方一里に控えている、糧秣を優先して配分させたのだろう。
 本格的な行動の前の威力偵察のつもりか、それとも逼迫した兵站事情が稼働率を下げたのか――
 ――何方にせよ此処で予備部隊が拘束されている状況は好ましくない、頭数から何もかも兵站事情以外は帝国に水を空けられているのだから。
 ――畜生め。守原大将が少しはまともな指揮をとっていればこんな面倒は無かったのだ。いやいや、どうにもならない事を愚痴っている僕も言えた者ではないな。

馬防柵に殺到した部隊が予備隊の銃撃で倒れながらも、柵に槍斧や鋭剣を叩きつけ、破壊しようとしている。
 新城が命じた通りにその頭上に四度、霰弾が炸裂し騎兵達が薙ぎ倒されていく。
着弾の衝撃からか馬防柵が根本付近がへし折れ、倒れると、後続部隊が次々と戦友だったものと柵を乗り越えてなだれ込む。
「総員、撃て!」
 指揮官達の掛け声が聞こえ、再び銃声が響く。施条銃から放たれた弾丸が襲いかかると騎兵達の隊列が激しく乱れた。
 そして――猛獣の咆哮が響く。
 剣虎兵達が突撃を開始したのだ。馬が捕食者の声に反応し怯え出す、二方向からの猛攻、そして馬の混乱。 部隊は混乱から壊乱へと成りつつあった。
 常識通りならば、このまま300名の精兵達は200名もいない烏合の衆へと成り果てるはずだった。
 新城の耳に、勇壮な帝国語が微かに聞こえるのと同時に、彼は中央の一部で秩序が戻り始めるのに気がついた。
――不味いな。向こうには優秀な指揮官がいるらしい。此処で統制を取り戻され本隊まで戻られると危険だ。
「装填、まだか!」
 
「お待ちを――全門、装填完了しました!」
 権藤軍曹は優秀な下士官らしく、既に行動を開始していた。
「軍曹、中央、距離二百間」
「はい、大尉殿」
 迅速簡潔な言葉と正確な命令の実行により、統制を取り戻した部隊は赤く染まった。



同日 午前第十二刻 小苗川防衛陣地 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐

「発、転進司令本部
宛、独立捜索剣虎兵第11大隊
本文
貴官等ノ奮戦ニヨリ北領鎮台転進作業ハ本日夕刻ニテ完遂スル見込ナリ。
転進支援本部ハ大隊ノ転進ヲ、25日正午マデ待ツ用意、アリ。
本日、午後第五刻マデニ返信サレタシ」
導術兵の言葉を書きとめると、米倉は馬堂少佐に手渡した。
馬堂少佐はそれに目を落とし、苦笑する。
「良い知らせだな」
 ――だがタイミングが悪い、側道の部隊をどうにかせねば撤退できない。
そう考えていると今度は正面の鋭兵中隊から敵襲の報告が入る。
 ――どうやら向こうは二正面作戦を強制させたいようだ、面倒ばかりだ。
「ったく、向こうに導術兵がいないのが救いだな。あの数だけでも面倒だと言うのに」
愚痴を喉元で押し留めつつ自分の戦場へと意識を向けた。
――問題は現在、新城が相手をしている騎兵大隊だ、騎兵は追撃の専門家であり、勝利の象徴、戦場の華、銃兵が徒歩で撤退する相手には最悪である。

「大隊長殿、今は前のことを」

「――あぁ、そうだな中尉」
米山中尉に促されて少佐は思考を切り替える。
 ――撤退許可が出た日に焦って全滅なんて最悪の冗句でしかない。
だが――もう、我々の神経となっている彼らも限界だ。
 本部に附いている導術達は座り込み、ぐったりとしながらも連絡網を維持している。
 ――無理をさせて導術兵を死なせるのは気分が悪い。
ふと漆原の事を思い出し、唇が捻じ曲がった。
― ―いや、戦争で気分が良くなる事など無いか。この地獄で笑うのは自棄になった奴か魔王だけだ。


同日 同刻 側道防御陣地 側道防衛中隊
中隊長 新城直衛大尉


 思わず笑みが浮かぶ。
 ――ひょっとしたら分かりやすい形で勝利らしき物を得られるかもしれない。指揮官には命中しなかったようだが砲撃の効果は十分だ。指揮官は統率をとれなくなり、瓦解した後方から兵は逃げ出し、前方は銃撃で瓦解している。

「軍曹、次は敵の後尾を狙え。これを最後にする。
金森二等兵、砲の斉射後、剣虎兵小隊に突撃を許可しろ」
 壕に戻り予備隊に集合をかける。
「予備隊総員、装填及び着剣。砲の斉射後、もう一度射撃をしたら突撃する。」

 ――さすがに剣虎兵一個小隊のみでは厳しいだろうが指揮系統が瓦解した相手だ。
これで終わる。

「攻撃は馬か騎手の足を狙え。
逃げ出したら深追いはするな。」
剣牙虎を見せれば混乱は恐慌となる、数で勝るこの情況なら圧力としては十分だと新城は考えていた。

 砲声が響き後方で砲弾が炸裂し、施条銃の銃撃により騎兵たちが倒れる。
敵が恐慌寸前となったと見てとった新城は鋭剣を抜き、振り下ろす。
「突 撃!!」
手が震えるが不思議と足はもつれない、そして、脇を千早が駆け抜ける。


同日 午前第十三刻 苗川防御陣地 側道方面後方約二百里
東方辺境領胸甲騎兵第三連隊第一大隊第三中隊 中隊長 ゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン大尉


 東方辺境領胸甲騎兵第三連隊第一大隊第三中隊を率いるゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン大尉は自身の危機にどこか達観した様子で分析していた。
 ――此方の部隊は既に200名を切り、私の指示も先程の砲撃で周囲の者を排除され、届かない。そして横腹を猛獣使いの部隊に突かれ、分断された我々は正面から部隊長らしき猛獣使いを先頭に250近い銃兵が前進しつつある。
猛獣の咆哮で馬が恐慌に陥り騎兵が振り落とされている者も居る中で我々は衝力を失い孤立している。

騎士は怯える馬を宥めながら周囲を見回す。

――猛獣使い達は明らかに実践慣れをしている、やはりあの夜襲の生き残り達か!

バルクホルンは忌々しい事実を認めざるを得なかった。
――奇襲時の猛獣使いは騎兵の天敵だ。

「集結!集結!」
それでも尚、バルクホルンは再起の為に最後尾の騎兵達を取り纏めに行く。
彼の従兵であり猛者であるアンリ・ロボフ軍曹が数名を従え駆け寄ろうとする。
その時
「――――!!」
将校らしい若者が三人の兵と二匹の猛獣を従え突撃してきた!!
さらに乱戦を行っていた猛獣使い達が集結しつつある。
それを邪魔する者は既に粗方いなくなっている。

「軍曹!状況は!?」
「我々の中隊は半壊し混乱に陥っております!
先行した第二中隊は銃兵部隊の突撃を受けております!」
それにこの部隊も前方は突破されつつある・・・。
だが、あの将校を討ち猛獣使いを突撃すれば何十名かは救える!

「何人動ける!?」
「20名・・・いや、30名いけます!!」
「よし!私に続け!残りは退却の許可を出せ!」
 後方の銃兵部隊の指揮官が部隊を引き連れ合流した。
 ――遂に突破されたのだろう。第二中隊は全滅したのか・・・。

 猛獣使いの将校であり、そして陣地の一方面を指揮している男こそがこの恐るべき部隊の中枢であると判断し、バルクホルンは決死の覚悟を決めた。
 ――ここで討つ!

「我に続けぇ!あの猛獣使いの将校達を討てばあの蛮兵達は烏合の衆だ!
征くぞ!帝国万歳!!」
 集結した33名の胸甲騎兵が吶喊する。
銃兵隊も予期していたのか小隊が横列を組む。
 ――不味い!
 バルクホルンが唸るのとほぼ同時に銃兵部隊の射撃で半数が崩れる。

「引き際を見誤ったか・・・えぇい!まだだ!まだ、終わらんよ!」

前方の銃兵達を槍斧で薙払い、部隊長の猛獣使い――新城に迫る。

「惜しかったが――これで、終わりだ!」
 千早が飛び掛かろうとするが――
「若殿!」
 バルクホルンの忠勇な従者であるアンリが助けに出てきてくれた――が
 彼に向かい猛獣が凄まじい咆哮をあげるとアンリが一瞬、身を竦ませ、馬も恐慌状態に陥った。
 主力と合流すべく突撃を行った剣虎兵部隊がそれを見逃さず、馬の尻を斬り付ける。
「若殿ォ!!」
 制御を失い馬は後方へ逃げて行く。

「クッ・・・」
 バルクホルンの騎馬もその咆哮で竦んでしまい、隕鉄が飛び掛かり牙を突き立て、馬が暴れだす!
 思わず槍斧を落とし両手で手綱を握ると新城は鋭剣で足を斬りつける、彼の足を傷つけた剣がそのまま馬の腹突き刺さった。

「グォッ・・・」
 人馬が共に痛みで悶える、こうなるといかに練達の騎士と云えどもバランスを崩し、 落馬してしまう。
 全身に衝撃が奔り、強制的に肺の中身が叩き出される。
「ガッ・・・」
 馬は苦痛のあまりに逃げ出すのを朦朧とした意識の中で感じ取りながらバルクホルンは考える。

 ――蛮兵達に取り囲まれ、私は未だ起き上がれない。
 ――あぁ、そうか、私は――死ぬのか――
猛獣使いが兵達に指示を出す。バルクホルンは乱暴に、だが生かされたまま担ぎ上げられた。



同日 午後第一刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 側道防衛陣地
側道方面防衛隊 隊長 新城直衛大尉


「損害は?」
 漆原が答える。
「予備隊は38名です。」
「本部付剣虎兵隊、損害8名、猫二匹です。
最後に態勢を立て直されたのが辛いですね」
 隕鉄を従えて西田も答える。

 ――あれにはぞっとした。ただでさえ戦力が不足しているのだ。
成功していたら大隊の将校二人が死んでいたのだ、漆原一人で此方の陣地を統轄するのは困難だ。馬防柵も破壊されている、そこに後方で待機していた大隊残存戦力が襲いかかるとなると十中八九、突破されるだろう。
本部を潰され大隊は全滅すら有り得る。

捕虜となった士官を見ると大勝負を挑むだけあって勇壮な顔つきをしている。
―― 一応は豊久の注文通り将校を捕らえた、か。

「増谷曹長、金森二等兵は砲兵の配置場所付近で待機。
渡河した敵部隊の動静を監視してくれ。
他の部隊は一時後退し警戒態勢、捕虜を本部まで輸送する際に大隊長殿に補給と陣地の修復用に工兵の増援を要請するように」


同日 午後第二刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


目の前の蒼白ながらも勇武の相を保っている騎士を観察しながら大隊長・馬堂豊久は、数年前に使ったきりの〈帝国〉公用語を脳内から引きずり出した。
「〈皇国〉陸軍独立捜索剣虎兵第十一大隊指揮官 馬堂豊久少佐です。
〈大協約〉の保障する貴官の俘虜としての権利の遵守に全力を尽くす事を誓約します。」
 ――さて、この状況では保険の必要性が高まった。ここに捕えしは東方辺境軍の花形、胸甲騎兵連隊の士官でござぁい、さてさて、この御仁の素性は如何に?
 
「<帝国>陸軍第3東方辺境領胸甲騎兵聯隊第一大隊第三中隊指揮官
ゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン〈騎士〉大尉です。
貴官の様な勇気と道義のある敵と出会えた事を身に余る光栄とします。」

――新城大尉の龍神の加護は厚い様だな。騎士!それも名前からすると〈帝国〉公用語が創られる以前からの騎士の家系!!
素晴らしい!最高の切札になる。

「過分の言葉、痛み入ります、大尉」

ちくり、と羞恥心が刺激される。

「大尉、負傷は止血しておけば命に別状は無く。
後遺症は残らないそうです。
当面は安静にしていて下さい。」
療兵を呼んで安全な場所に移送させる。
「さて、新城大尉を呼んでくれ。
側道陣地の指揮権は鋭兵中隊長に預けさせろ。」
下らない、羞恥よりも撤退の算段をつけなくてはならない。

「新城大尉、入ります。」
入ると俺の顔を見て疑問の色をうかべた。
 ――いかんな、気持ちの切替が出来てない。
「良い知らせと悪い知らせがある。どっちを聞きたい?」
気分転換の軽口を叩く。

「・・・悪い知らせから聞きましょう」

「緊急の要件がある。
午後五刻まで我々三人ともに詰めなくてはならない。」
表情を変えずに次の質問を飛ばした。

「良い知らせは?」

「転進支援本部から撤退の許可が降りた。
午後第五刻までに詳細を返信すれば撤退できる。」
新城も何とも言えない表情を浮かべる。豊久が知らせを受けた時と似た顔だ。

「それで、だ。渡河した部隊はどうなった?」
「相応の損害を与えました。夜間に動く程無謀とも思えませんが・・・」
 珍しく言葉を濁す。
「お前さんにしては珍しいな。何かあるのか?」
「糧秣の問題で焦っているようです。糧秣が尽きる前に強襲してくる可能性があります」

「北美名津まで一日はかかる。その前に追いつかれるかね?」

「恐らくは。再び糧秣を優先的に回して
一個中隊程度でも追ってくる可能性があります。」

「擲射砲を廃棄して急がせても辛いか。」
 負傷者を運ぶ為に馬車を使うので騎兵砲は足並みが揃う。

「此方の戦闘可能人数は現在五百五十名程度、剣牙虎も十匹いる。
除雪された街道で渡りあっても負けはしないでしょうが――何人死ぬか解らない。導術兵に警戒させるしか無いでしょう」

「危険だが日没直前に擲射砲を動かして宿営地を砲撃させるか?
中央を狙えば擾乱程度にはなる。」

「無理です。運に頼りすぎていますし、時間的に厳しい。
狙い通りに行かなかったら、追撃されます。
そうなったら砲を捨てても逃げ切れません。」

「――ふむ。」
 ――正直、ここで幸運に頼るのも趣味じゃない。

「撤収作業中にそのまま強襲されたら全滅します。」
新城も反対となると答えは一つか。
「そうだな、やはりやめよう」

「夜陰に乗じて撤退。導術兵で警戒、単純ですがこれが確実でしょう」

「今更博打を打つ意味は無いか。それで行こう」
苦笑が浮かんだ。
 ――あの夜襲以来博打の連続で感覚がおかしくなっていたようだ。
部隊の現状と行軍予定、負傷者の数の把握、撤退の準備、その他諸々。
仕事はまだまだある。
だが、それは兵を死地からほんの一時とはいえ舞い戻す為の仕事だ。

「――やはり。」
今更な実感が湧いてきた。
「何だ?」

「やはり良い知らせだな。 やっと実感が湧いてきた」

「本当に今更だな」
豊久の旧友は普段の印象を変える朗らかな笑みを浮かべた

 
 

 
後書き
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