FAIRY TAIL 星と影と……(凍結)
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EP.23 幽鬼の巨影
集団同士の抗争において、勝敗に直結する要因は三つ存在する。
兵の数、士気、そしてリーダーだ。
むろんこれ以外にもあるが、この三つは特に重要であり、それらは互いに密接に結びついている。
いざ仇討ちをせんと、幽鬼の支配者オーク支部に殴り込みをかけた妖精の尻尾だったが、エレメント4の一人・大空のアリアの不意打ちでマカロフを戦闘不能にされてしまう。
その動揺から、幽鬼の支配者の猛攻は勢いを増した。
妖精の尻尾の魔導士の個々の技量は幽鬼の支配者のそれより高いと言っていいだろう。だが、マスター・マカロフの戦線離脱は妖精の尻尾の士気を下げ戦力は半減、逆に幽鬼の支配者の士気を高揚させた。
幽鬼の支配者の兵の数も多かったのもあり、妖精の尻尾の面々は多くの怪我人を出し、マグノリアの街に撤退を余儀なくされたのだ。
「……魔力欠乏症、それも重度のやつだね」
「ええ。おそらく風の系譜、“枯渇”でしょう」
敗走した妖精の尻尾のの魔導士の中で一番重症だったマカロフを、マグノリアの東の森に住む妖精の尻尾縁の治癒魔導士・ポーリュシカの元へ、ワタルは巨大な鳥を模した式神を使って、急ぎ運びこんでいた。歩いてもそんなに掛からない距離だが、一刻を争う状況だったため、空路を使ったのだ。
他の怪我人はミラジェーン他、ギルドで働くウェイトレスや抗争に参加しても幸い無事であった者に治療を任せても問題ない程度だったのだが……マカロフの急性魔力欠乏症だけは、専門家であるポーリュシカの手を借りるしかなかった。いかに魔力の扱いに長けたワタルといえど、診断はできても治療となると流石に門外漢。患者の病態から原因を推測、分析することしかできなかったのだ。
旧知の男が虫の息で、運ばれてきたことに若干動揺しながらも、優れた治癒魔導士である彼女は迅速に原因を探り当て、補足したワタルの返答に顔を顰めた。
「厄介だね……“枯渇”はその名の通り、対象者の魔力を枯渇させる魔法だ。流出した魔力は空中を漂い、そして消える」
「では、その魔力を集める事が出来れば快復も……?」
「早まるだろうが……もう遅い。こいつは長引くよ」
「そう、ですか……皆にも伝えておきます」
ポーリュシカの言葉に、ワタルはベッドで苦しげに呼吸しているマカロフを一瞥すると玄関で振り返り、口を開いた。
「……マスターの事、よろしくお願いします」
「いいから帰りな。辛気くさい顔は病人には毒だ」
ポーリュシカの言葉に、ワタルは目を見開く。
驚いたのが分かったのか、彼女は治療薬の調合の準備をしながら言う。
「自覚がないようだね。年甲斐も無く無茶をしたこのバカが心配なのは分かるが、私だって治癒魔導士の端くれだ。時間が掛かろうとも、しっかり治して見せるさ」
「いや……貴女に任せます」
言いかけた言葉を飲み込み、ワタルはポーリュシカの住む木の家を出て行った。心が沈んでいた理由は自分でもなんとなく把握していたのだが……それを彼女に言うのは、なにか違う気がしたのだ。
そして、それはポーリュシカも同じだった。
「あの子、なんか隠してるね……まあ、私の知る事じゃないけど」
自他ともに認めるほどの人嫌いであるポーリュシカは、頻繁に妖精の尻尾の面々と交流する事は無かったが、日用品の買い出しや薬の材料の補充などでマグノリアの街を訪れる事はそれなりにある。街の中心たる妖精の尻尾の噂は、嫌でも耳に入るというものだ。
マカロフの容態を心配してという事も勿論あるが、それ以外に何かを思いつめている事がある――ワタルに関してそう感じた彼女がそれを追求しないのも、そこに理由があった。
「悩みかなにか知らないが、それを聞くのは私の役目じゃない」
その役目がかつて右目を治して義眼を作り与えた彼女のものであるなら、マカロフを介してとはいえ、頼みを聞いた甲斐もあるというものだ。ポーリュシカはそう思うと、自分の役目……マカロフの治療に専念するのだった。
= = =
「……盗み聞きとは、いい趣味とは言えないな」
ポーリュシカの家を出てから数分後、ワタルは森の中で虚空に向かって話しかけた。
すると、なにも無かった空間が歪みだし、全身を黒装束で包み、同じく黒い覆面で顔のほとんどを覆った魔導士が現れる。
「よく気付いたな」
「相変わらず薄い気配だな、ミストガン」
例によって魔力感知に長けたワタルだからこそ気付く事が出来たが、その気配は彼の名前が示すように霧のように希薄で曖昧。そんな彼は妖精の尻尾のS級魔導士の一人だ。
隠密行動のレベルの高さに舌を巻き、賞賛するワタルだったが、真剣な表情になった。
“枯渇”によって流出したマカロフの魔力はやがて、空気中のエーテルナノと同化してしまい、誰にも回収できなくなってしまう。
だが、ワタルの知る限りで、ただ一人例外がいる。
「ミストガン。至急、やってもらいたい事がある。お前にしかできない事だ」
それが、今ワタルの目の前にいる男、ミストガンだ。
何年か前に仕事先で偶然、彼の杖を使った魔法を見る機会があったワタルは、見た事も聞いた事も無い未知の魔法に驚き、好奇心からミストガンの魔法について調べた事がある。
その結果……ミストガンの魔法は自分と似てはいるが、違うベクトルで魔力操作に長けたもの――具体的に言えば、ワタルは自分の魔力を介しての操作、ミストガンは大気中の魔力を直接操作する事に長けている――と推測したのだ。
今回なら、専用の道具や魔法を使って空気中のマカロフの魔力を結晶化、つまり魔水晶にして回収するところだが、肝心のマカロフの魔力はおそらくすでに大気中のエーテルナノと同化してしまっている、とワタルは考えている。
だが、ミストガンの大気中の魔力に干渉する事ができる魔法なら、オークの街周辺に漂うマカロフの魔力の痕跡や残骸を直接集める事が出来る……そう考えたのだ。
「……おそらく、私も君と同じことを考えているのだろうな」
「じゃあ……!」
ミストガンの返答に、ワタルは顔を輝かせた。
歩き出したミストガンは背を向けたまま答える。
「他ならぬ君の頼みだ……マスター・マカロフの魔力の回収、私が引き受けよう」
「ああ、頼む……って、他ならぬ? 俺、お前に何かしたっけ?」
礼を言われるような事に、思い当たる事は無かったワタルは首を傾げる。
「……いや、忘れてくれ。ではな」
「お、おい……ったく、アイツは……」
覆面で表情を見せないミストガンはそう言うと、ワタルの制止も聞かずに蜃気楼のように森の背景に溶け込み、そのまま消えてしまう。
疑問は残ったが、それを解決する術はない。ワタルは溜息を吐くと、指笛で上空に待機させておいた式神を呼ぶとそれに乗り、マグノリアの街に向かう。
「別人だと、分かっている筈なのだがな……」
飛び立ったワタルの式神を見送りながら、ミストガンは此処には居ない誰かを想い溜息を吐くと、マカロフの魔力を回収するためにオークの街に足を向けるのだった。
= = =
「アルザック、ビスカ、怪我はいいのか?」
そしてマグノリアの街、妖精の尻尾のギルド前。
ワタルは大鳥の式神から降りて元の紙に戻すと、半壊したギルドの前で見張りをしている魔導士、アルザック・コネルとビスカ・ムーランに話し掛けた。
二人は西部大陸からの移民で、長いこげ茶色の髪の男・アルザックは拳銃に魔法弾を装填して撃つ“銃弾魔法”という魔法を、緑の長髪の上に麦わら帽子をかぶった女・ビスカは銃器を換装する“銃士”という魔法を使う。
ちなみに、二人とも互いに片想いしており、ビスカの方は『銃器』と『近接武器』という違いはあるが、同じ換装魔法を使うエルザに憧れている。そういう事情もあってか、魔導士としてや、同じ恋の悩みを持つ者としての良き相談相手として、アルザックとワタルも仲は良い。
閑話休題
ワタルの言葉に二人は笑って無事を示した。
「ワタル……ああ、心配するほどじゃない。こうして見張りができるくらいだよ」
「私たちは大した事なかったんですけど、他の人のなかには重傷者も出ていて……」
聞けば、二人とも顔にガーゼや絆創膏、腕には包帯を巻いてはいるが、怪我人の中では軽傷の部類に入るとの事。それを聞いたワタルは安堵の息をつく。
「そうか……大事にならなくてよかったよ」
「ありがとう……それで、マスターは?」
アルザックは礼を言ったのだが、続けた言葉には心配そうな響きで溢れていた。隣のビスカも同じようで、緊張した表情をしている。
「……ポーリュシカさんを信じるしかない。それに、ミストガンも動いてくれている。きっと大丈夫さ」
「ミストガンが!?」
「本当なんですか、ワタルさん?」
「本当だ。それに、あのマスターがそう簡単にくたばる訳無いだろう?」
顔も知らないどころか、姿も見たことが無い妖精の尻尾最強候補のS級魔導士の名前に驚く二人にワタルが頷いて言うと、二人も安堵したかのように表情を緩ませる。
「そうか、そうだよな……」
「ええ、よかったわ……」
「皆にも伝えておきたいんでね。通ってもいいか?」
「ああ、ごめん」
「みんなにもよろしくお願いします」
「ああ。引き続き、見張りを頼むな」
慌てて道を開ける二人に相槌を打ちつつ、ワタルは地下室へ降りていく。
数時間前まで廃屋の如き沈黙に包まれていた地下室は、重傷者の呻き声に、仇も取れずに撤退するしかなかった自分たちに対する悔しさと苛立ちの声、再戦の準備をしている者たちの憎しみの声に溢れていた。昨日の、殴り込みに行く前の陰鬱とした雰囲気の方がましに思えるような強い負の感情が立ち込めていたのだが、ワタルが地下室に姿を見せるとそれも一旦は収まる。
マカロフを運ぶのにわざわざ式神まで使った事から、急を要するほどにマカロフの容態は悪いのだと誰もが察し、親同然のマスターを想って不安になり、心配していたのだ。
「――――だから心配ない。今は怪我を治す事と、ギルドを守る事に専念しよう」
否応なしに注目を集めたワタルが表でアルザック達に言った事と同じような事を言うと、ミストガンの名に驚くメンバーは多かったが、その表情は安堵したようなものとなり、ギルドの雰囲気も幾分か和らいだ。
そんな中で、彼は地下室の一角で悲哀と無力感、罪悪感をないまぜにした表情で樽に腰掛ける金色を発見した。
オーク支部から撤退する時、滅竜魔導士特有の鋭い聴覚で、ナツは彼女・ルーシィが狙われたと聞き、幽鬼の支配者への怒りを一旦抑え、急いで仲間たちと共にマグノリアの妖精の尻尾のギルドへ戻ってきた。
彼女の無事に仲間共々ホッと胸を撫で下ろしたのはいいが、彼女の落ち込み様に、ただ狙われただけではないと察し、彼女の身の上の説明に、それが間違いではなかったと悟る。
自分はこの国を代表する資産家、ハートフィリア財閥の総帥、ジュード・ハートフィリアの娘である事。今回の騒動は、家出した自分を連れ戻すため、父・ジュードが幽鬼の支配者に依頼を出した事が原因である事。
そして、間接的にでも、家が、親友たちが、そして仲間たちが壊され、傷つけられ、負傷したのは自分の責任である、と。
「あたしの身勝手で、こんな事に……みんなに迷惑かけちゃうなんて……」
「そりゃ違うだろ。悪いのはパパ――」
「馬鹿!」
「あ、いや……ファントムだ!」
エルフマンとグレイの問答も聞こえておらず、自責に苦悶の表情をしながらもルーシィは続ける。
マカロフが重傷を負い、他の者たちも差こそあれど、傷を負っているものが多い事も、彼女の自責を強めていたのだ。
「本当にごめんね。あたしが戻れば済む話なんだよね……」
「そうか?」
「え?」
責めるでも励ますでもない、ただ純粋に疑問だという声に、ルーシィは顔を上げる。
彼女が見たのは、自分を妖精の尻尾に引き込んだ青年の笑顔だった。
「こうして言われてみても『お嬢様』なんて似合わねえ響きだし、この汚ねえ酒場で騒いで笑って、冒険してる方が『ルーシィ』って感じだ」
「!」
桜髪の青年・ナツの笑いながらの言葉に、ルーシィは目を見開く。
そんな彼女にさらに言葉を掛ける者があった。
「……言っただろ? 皆も同じ事言うだろう、ってさ」
「ワタル……」
「早かったな」
「飛べばこんなもんさ」
入り口から近付いてきたワタルはグレイの言葉にそう返し、ルーシィに向き直る。
「お前が何を言われてどう思ってるのかなんて、俺たちには分からない。みんな違う人間なんだしな。でもな、結局自分の居場所を決めるのは自分しかいないんだ」
「……あたしの、居場所……」
「ああ。ルーシィ……お前はどこにいたい?」
「あたし、は……」
俯くルーシィ。ワタルもナツもハッピーもグレイもエルフマンも黙り、彼女の答えを待つ。
「あたしは、妖精の尻尾にいたい。このギルドと、みんなとずっと一緒にいたいよ……」
「ならいればいいじゃねえか。妖精の尻尾がお前の帰る場所だ」
涙で濡れた声で切なる願いを絞り出すルーシィに、ナツが笑って答える。
すると彼女は、涙を目から溢れさせ、顔を手で覆って泣き出してしまう。
「泣くなよ、らしくねえ……」
「そうだ! 漢は涙に弱い!」
「だって……」
グレイやエルフマンの言葉に顔を覆いながらも何度も頷く彼女を見て、もう大丈夫そうだ、と思い、その場を後にする。
まだまだ終わった訳では無いのだ。
「怪我人も多い。ファントムが今攻めてくるとちょっとまずいね」
「ええ……マスターは重症。ミストガンは手が離せない。残りの頼りは貴方しかいないのよ、ラクサス」
得意のカード占いでミストガンの居場所を掴もうとしていたカナ・アルベローナだったが、ワタルの言葉から彼を頼れない事が判明し、ミラジェーンと話していた。
【あ? じじいが始めた戦争に、なんで俺がそんな事しなくちゃいけねえんだよ。ってか、あのじじいも焼きが回ったもんだな】
ミラジェーンの方は、通信用魔水晶で外部のラクサスに応援を要請しているのだが、芳しくない様子で、マカロフの重賞にも愉快そうに笑っている始末。
カナと二人で説得に当たっているところに、ルーシィのところから離れたワタルがやってきた。
「ミラ……って、お取込み中か」
【ああ……そうだった。お前がいながら、俺に助け求めるハメになるなんて情けねえ限りだぜ、まったく】
「ラクサス! ワタルも何か言ってよ!」
ワタルの姿がラクサス側の通信用魔水晶に映ったのか、愉快そうな様子から一変、不機嫌そうな顔でラクサスはワタルを罵倒し始める。
彼らのライバル関係をよく知っているミラジェーンからすれば、ラクサスの不機嫌さも理解できるのだが、今はそれどころではない。ルーシィのピンチはワタルも分かっているはず、とワタルにもラクサスを説得するように頼んだのだが……
「……ま、参加は別に義務じゃないしな。好きにすればいいさ」
【おう、物分かりが良くて助かるぜ。じゃあ、そういう事だから……】
「あ……」
「あ! おい……どういうつもりだ、ワタル!?」
罵倒にも取り合わず、涼しい顔で説得すらしなかったワタルに、ラクサスもさっさと通信を切ってしまう。ミラジェーンは通信が切れる直前に何かに気付いたようだったが、役目を終えた魔水晶も粉々に割れてしまう。
一方でカナは怒ってワタルに尋ねるも、彼は涼しい表情を崩さない。
「ったく、相変わらず素直じゃねえな、アイツも……ミラは気づいてるだろ?」
「……ええ。ラクサスの後ろ、でしょ? それにしても困ったわね……次は私も戦おうかしら」
「元S級でも、それはやめておいた方が良いだろ……エルザはシャワー室?」
「ええ、そうよ……覗くつもり?」
「んなわけあるか」
やんわりと否定した後、ワタルの質問に頷いて肯定したミラジェーンの表情は救援を断られたとは思え無い程に動揺は見られない。
ワタルが去った後、それに疑問を覚えたカナは彼女に尋ねた。
「わけが分からないね……ラクサスの後ろって、なんの事だい?」
「あら、カナは気付かなかったの? ラクサスの後ろに廃墟があったんだけど」
「いや、それは流石に気付いてるけど……って、まさか……?」
もしやと思い至ったのか、顔色を変えるカナに、ミラジェーンは頷く。
「ええ……あれはファントムの支部よ。多分、少なくとも5個は潰してるわね」
「5!? いや、それよりあのラクサスが……?」
「私も意外だったわ。ラクサスも仲間を大事にしてたのよ」
「ワタルの影響かねぇ……」
絶対認めようとはしないだろうけど、と笑うミラジェーンに、カナも違いないと笑う。
幽鬼の支配者の問題は解決していないが、力が全てを信条とする暴れん坊のラクサスがファントムの支部を潰して回っている……意外な男の意外な成長が、二人には嬉しかったのだ。
だが一方で……二人にも、ましてやラクサスにも考えもしない事があった。
成長の切っ掛けがなくなれば、どんな化学変化を起こすのか、という事を……。
「ワタルといえば、いいのかい?」
「なにが?」
「あれは絶対どこかで無理してるね。気付いていない訳じゃないんだろう?」
カナの口調はからかう類の物ではなく、単にミラジェーンを気遣ってのものだった。それに対し、ミラジェーンは笑って答える。
「ええ。でも、それは私の役目じゃないから……」
「ふーん……ま、アンタが良いなら、私が言う事じゃないけどさ」
ミラジェーンの言葉は要領を得なかったがカナには何となく理解できたし、仲間といえども安易に踏み込めないデリケートな話題だったため、これ以上触れる事は無かった。
= = =
「(あの時、私もマスターについて行けば……)」
エルザはシャワーを浴びながら自分を責めていた。降り注ぐ温水は汗や汚れを流していくが、心の暗い感情・自責までは流してはくれない。
心を占めるのは、足手まといでもジョゼの元へ単身乗り込むマカロフについて行くべきだった、狡猾なジョゼが何の策も用意せずに待っているなどと、何故考えてしまったのか……そんな後悔だった。
自責に俯いたまま、壁に当てた手を強く握りしめる。
「私の、せいだ」
「……エルザ、いるか?」
「!?」
思わず漏らした独り言だったのだが……良く知る男の声、聞き間違えるはずの無い声が通り、エルザは慌ててシャワーを切って振り向く。が、脱衣所も兼ねたシャワー室に彼の姿は無い。
扉を隔てた廊下から話し掛けているのだろうが……今は裸なのだ。そう推測しても気休めにもならない。
急いで清潔なバスタオルを取って身体を覆うと口を開く。
「ワ、ワワワタル!? 緊急の件なら少し待て! 今出るから……」
「いや、そのままでいい。そのまま聞いてくれ……まずマスターだが――――」
静かな声音でマカロフの容態とミストガンの件などを話すワタル。
誰が聞いても静かで平坦に聞こえる声だったのだが……エルザには彼が何かを堪えているようにしか思えず、抗議もできずにそのまま聞くしかなかった。
「――――そうか。ミストガンもラクサスも、こちらには来れないか……」
「ああ……」
報告の間、せまい脱衣所で身体や髪を拭いていたエルザ。
今はタオルしか身に着ける物が無い彼女は当然落ち着かなかったのだが……常識人のワタルがわざわざ自分がシャワーを浴びている時に話し掛けた事が引っ掛かり、そのままでいるしかなかった。
「……なあ、エルザ。自分のせいだって思ってるのはお前だけじゃない……俺も同じだ」
何かが擦れるような音の後、予想より低い位置から聞こえる声に、ワタルが廊下と脱衣所を隔てる扉を背に座りこんでいると分かったエルザは、同時に彼が今回の事態に堪えている事も察し、廊下への扉に身体を持たせ掛けて座る。
「こんな事になるなら、俺も行けばよかった……ってな」
「……お前がマグノリアにいてくれたからこそ、ルーシィは無事だったんだ。私が言えたことではないかもしれんが、あまり自分を責めるな」
「それは結果論だ。俺が個人的な感傷に囚われなければ、もしかしたら――」
「その仮定に意味が無い事は分かっているのだろう?」
薄い扉一枚挟んでの会話では、互いの感情を推し量る術は声音しかない。
透視能力を持っていないエルザには、静かな声音に混じって後悔と弱音を吐く彼の表情は分からなかった。
繊細な彼が、今回の件で何もしなかった事を悔いているのは痛いほど分かったが。
「まあ、な……それでも、マスターや連中が怪我したのを見るとどうも、な。流石に少し堪える」
「私だってそうさ。それに、弱音を見せてくれるのは嬉しいが、他の者の前ではそんな姿は見せるなよ?」
マカロフが戦線離脱、ミストガンとラクサスも不参加の今、エルザとワタルは妖精の尻尾の中核であり柱なのだ。無論、彼の弱い姿を他の者に見せたくないという独身欲のようなものもあったが。
励ますようなエルザの声に、ワタルは少し笑う。
「分かってるよ……ありがとう、エルザ」
「え?」
「少し楽になった。お前の声が聞けて良かったよ」
穏やかなワタルの声に、エルザは顔どころか身体中が熱を持つのがはっきりと知覚できた。
最初の報告も勿論目的の一つだったのだろうが、ワタルが自分を求めてここに来て、そして来た時よりも安定したのが何より嬉しかったのだ。ワタル自身がバリケードとなって外側に開く扉が開かず、今すぐ彼に抱きつけない事を恨めしく思う程度には。
「……」
「エルザ? どうし――――!?」
「なんだ!?」
心で燃える熱い感情に身悶えして黙ってしまったエルザに、ワタルはどうしたのかと声を掛けようとしたのだが……それは中断することになった。
突然地鳴りが響き、ギルドも揺れ始めたのだ。
「みんな、外だ!!」
「! 先に行くぞ」
「ああ、頼む!」
氷水を掛けられたように冷静になり、事態の把握しようとする二人の耳に、見張りをしていたアルザックの尋常ではない焦りの声が届く。
今この状況でただの地震とは思えない明らかな非常事態に、ワタルはエルザに先んじてギルドの外へ駆け出すと、地下室にいたメンバーは既に表に出ていた。
「あれはいったい……!?」
「おい、冗談だろ?」
「こんなバカな……」
個性豊かで有名な妖精の尻尾だが、この時は誰もが同じ感情――驚愕を抱き、口を開けて冷や汗を流していた。
「これは、想定外だ……まさかこんな方法で攻めてくるなど」
「予想しろ、って方が無理だろ、これは……」
地響きが断続的に続く中、バスタオルを身体に巻いただけという格好のエルザも冷や汗を流して端正な顔を歪めて呻き、ワタルでさえも彼女の破廉恥な格好を注意するどころか、乾いた笑いしか出てこない。
古風な装飾が施された巨大な大理石の塊……城としか呼びようがないそれは、あろうことか歩いて湖を渡り、妖精の尻尾のギルドへ向かっていたのだ。
古城の側面に付けられた3対6本の足が湖に着水するたびに轟音と共に地響きが響いて波を起こし、妖精の尻尾の魔導士達を濡らしていたのだが……そんな事を気にする者はいなかった。
古城の中央の塔に掲げられた旗に刻まれているのは幽霊を模した紋章。
という事は……
「ギルドが歩くなんて聞いてねえぞ、まったく」
幽鬼の支配者の本部が直接妖精の尻尾を攻めるために腰を上げた、という事に他ならなかった。
「魔導集束砲“ジュピター”用意」
妖精の尻尾の驚愕が冷めるのも待たずに、幽鬼の支配者本部の玉座の間に座るマスター・ジョゼの号令で古城の入口に当たる部分の上部から巨大な筒――砲台が姿を見せ、予め装填されていた魔力を集め始める。
そして……
「放て」
たった3文字の単語でトリガーが引かれ、ギルドを、そしてのこのこ外に出てきた魔導士達を吹き飛ばし、破壊し、蹂躙するのに十分な暴虐が牙をむいた。
後書き
感想、意見、批評など有りましたら遠慮なくどうぞ
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