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面影

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第五章


第五章

「やっぱり豚骨なんだよなあ」
「悪い?」
 目の前に出されたその白いスープのラーメンを見て言うとすぐに母親が声をかけてきた。唇が赤く大きく目がはっきりとして大きい二重である。黒い髪は長く肌はきめ細かく和紙の様な色をしている。目の両端の皺が気にはなるがそれでも美人であると言える顔立ちであった。この人が智哉の母親なのである。今でも彼の父は彼女を美人だともてはやしている。恋愛結婚で今でもその時の熱い気持ちはそのままの夫婦だ。
「豚骨で。カルシウムがあって身体にいいのよ」
「それは何度も聞いてるよ」
「わかったら早く食べるの」
 母は少し厳しい声で智哉に言ってきた。テーブルにいるのは二人と智哉がそのまま歳を取ったような顔の父親がいる。ついでに母親そっくりの妹までいる。
「いいわね」
「わかったよ。けれどお母さんっていつも豚骨だよね」」
「だって美味しいじゃない」
 今度の言葉はこうだった。
「ラーメンっていえば豚骨。これじゃないと食べた気がしないわね」
「本当に好きなんだね。それにうどんは」
「鳥なんばだよね」 
 父親がここで言った。席は智哉と向かい合っている。
「お母さんの好みはね」
「そうよ。流石お父さん」
 夫に言われて気分がよくなったようだった。やはり今でも熱い。
「わかってくれてるじゃない。私のことを」
「だってお母さんのことだから」
 笑って妻に応えていた。
「わかるよ。何でもな」
「うふふ。あとカレーはね」
「チキンカレーだね」
「それが一番よ」
 この家ではチキンカレーばかりである。お母さんが料理を作る為そのメニューは自然とお母さんに決められるのだ。その結果家のカレーはいつもそれだ。
「美味しいし栄養もあるしね」
「ビーフカレーは?」
「あれもいいけれどね」
 娘の言葉も否定はしない。否定しないだけだが。
「やっぱりカレーはチキンよ。本場インドだってそうだし」
「インドのカレーは日本のとは違うらしいけれど」
「智ちゃん、五月蝿い」
 早速母親に注意される智哉であった。
「お母さんが本場と言ったら本場なのよ」
「そうだぞ、智哉」
 しかもこれにお父さんが同調するから始末が悪かった。お父さんはお母さんにぞっこんで家事のことなら何でも唯々諾々なのである。
「お父さんの言うことは聞かなくてもいいからお母さんの言うことは聞け。いいな」
「普通逆なんじゃないの?それって」
 目を顰めさせて逆にお父さんに聞き返す。
「お父さんの言うことは聞けってなるんじゃないのか?こういう場合は」
「何言ってるのよお兄ちゃん」
 新たに参戦してきたのはこれまたお母さんに生き写しの妹だった。智哉にとっては非常に生意気で小憎らしい、そんな妹である。
「この世で恐いものは何?四つ挙げて」
「地震、雷、火事、お母さん」
「そういうこと。わかってるじゃない」
 この家ではそうなのだった。
「だからお母さんの言うことは聞かないといけないのよ。わかった?」
「だからラーメンは豚骨でうどんは鳥なんばでカレーはチキンなのか」
「そういうことよ」
 妹はしれっとして答える。
「ハンバーグには上にバターを乗せてね。コーヒーはアメリカン」
「ついでに野球は阪神か」
「そう、全部決まってるのよ」
「そりゃ俺も巨人は嫌いだ」
 彼だけでなく一家全員アンチ巨人である。従って新聞は読売ではない。
「あんなチームはどんどん惨めに負けろ」
「これに関してはお母さんはあまり関係ないみたいね」
「巨人が負けることは日本にとって非常にいいことだ」
 実に正論であるがこのタイミングで言う言葉とはいささか言えないものだった。
「巨人が負けて喜ぶ人間がいる。喜べばそれだけ元気が出る」
「だから皆頑張れると」
「そうそう、そういうことだよ」
 こう妹に述べるのだった。
「わかってるじゃないか」
「けれど野球は阪神にはつながらないんじゃないの?」
「勝っても負けても華がある」
 やっと話がまた噛み合いだしてきた。
「どんな鮮やかな勝ち方でもどんな惨めな負け方でも絵になる。そんなチームは阪神だけだろう?」
「その通り」
 やっとお母さんが頷いてきたのだった。
「わかってるじゃない。偉いわ」
「これだけはお母さんに言われるまでもなかったけれどな」
「けれど後は違うのね」
「ああ、食い物に関してはな」
 また話が食べ物に戻った。
「とにかくうちの家はそれで決まってるんだな」
「そうそう、明日だけれど」
 ここぞというタイミングでまたお母さんが言ってきた。
「明日はオムライスよ」
「おっ、いいね」
 お父さんが最初に笑顔で声をあげた。
「それでオムライスはやっぱり御飯をカレーにしてそこから」
「そうよ、カレールーをかけてね」
 にこりと笑ってお父さんに応えるお母さんだった。
「それであさってはそれでカレーよ」
「いいねえ、いつも通りのいい流れで」
 お父さんは明日のオムライスと明後日のカレーのことを聞いてもう満足していた。どうやらその二つだけで充分の人らしい。
「カレーはチキンでね」
「それで行くわ」
「お兄ちゃんもそれでいいわよね」
「勿論」
 ここで声をかけてきた妹に対して答える智哉だった。
「オムライスは特大でな」
「ええ、勿論よ」
 最後にお母さんが笑顔で答えた。夜はいつもそんな話をしている。この夜の次の日智哉は純と一緒に学校の食堂で昼食を採っていた。智哉は鳥なんばうどんと親子丼を食べ純はオムライスを食べていた。見るべきは純がここで食べているオムライスであった。しかも彼女はついでにハンバーグも食べている。かなりの量だった。
 
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