「……ん」
ゆっくり目を開ける。少し眩しい光が射しこみ、意識と同時にさっきまでの記憶が蘇る。
廃病院の調査を依頼され、双葉と周り、それから……。
――俺どうしたんだ…
ゆっくり横を見ると、紅く染まった瓦礫が頭の後ろにあった。
夥しい量の血は地面まで赤く染めていた。
――なんでこんな真っ赤?
すると、動かしそうとした身体に激痛が走る。その痛みで直前の出来事をようやく思い出した。
――ああ、そっか。落ちたんだっけか。
頭の打ちどころが悪かったのか、身体が思うように動かない。それどころか半端でない量の出血をしているのに、痛みすら感じない。
――俺まさか……
――死んじまったのか?
「兄者っ!」
声がする。
自分を呼ぶ声。
おぼろげな視界の中に、崩れる瓦礫の上を登って、急いでこっちに向かってくる双葉がいた。
「兄者!兄者!しっかりしろ!!返事を……いや、しなくていい。動くな」
今までの冷めた表情とは一転して焦った姿。
目の前にいる双葉は、冷や汗を流し必死に呼びかけている。
――双葉……。お前……なんでそんなビビってんだ。……駄目だ。まぶたが重てェ……
また頭がぼんやりしてきた。
眼の前にいる双葉の声に答えたい。だができそうにない。
自分の意思とは反対に、重たいまぶたが目を覆っていく。自分の目が閉じていくほど、双葉の不安が大きくなるのも知らずに。
そして――
「…………」
銀時は動かなくなった。
「やだ……いやだ……。兄者……。兄者ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
双葉の悲痛な叫びに応えるものは誰もいなかった。
=終=
「?」
手のひらに違和感。
べっとりとついた赤い液体を、双葉は指でなぞってみた。
血にしては少し粘着がある。いや、血というよりこれは……。
「絵の具?」
「……うぇ」
途端にまぶたがパッチリ開いた。確かに血の独特な臭いもしない。
なら、なぜこんな所に絵の具が?
「うわぁ、派手に崩れたな~」
「あの~大丈夫ですか?」
さっきの血まみれの女の子と見知らぬ男の子が、心配そうに銀時と双葉を見下ろしていた。
それから子供たちは、謝りながら事情を話してくれた。どうやら一連の怪現象はこの子たちの仕業だったようだ。
* * *
「つまりオメーらはこの爺さんのために脅かしてたんだな」
きれいに掃除された廃病院のとある角部屋。明るい照明と生活に困らない程度の家具が並んでいる。
そこには銀時と双葉以外に数人の子供と、坊主頭の老人が座っていた。
実はこの老人、ホームレスでこの廃病院に住んでいたのだ。普段から優しい老人で、子供たちはこの人のため幽霊話をデッチ上げていたという。
「うん。若いカップルが遊び半分でココに来てお爺さん怖がらせるから」
「実際効果はテキメンじゃったよ。カップルは殆ど来なくなったからの」
「へっ!だと思ったぜ。俺は最初からわかってたよ。幽霊じゃないって。騒いでたの、アレ、盛り上げてただけだから」
銀時の白々しい言い訳に、もはや双葉は冷めた視線を横目で送るだけだった。
「あの~ココのことなんだけど…」
「安心しろ。適当に誤魔化して、ココには誰も立ち入らないようにしておく」
上目遣いの男の子に、双葉は無愛想に答える。冷めた口調だが、彼女の返事に子供たちと老人は嬉しそうに顔を見合わせた。
「けどバアさんだけで神楽帰しちまうたァ、お前らガキのくせに手ェこんでんな。マネキンでも立ててたのかよ?」
銀時の一言に、子供たちは首を傾げる。互いに顔を見るが、頷く者はいない。
「お婆さん……知ってる?」
「ううん。お婆さんなんて知らないよ」
「へ?」
「ああ。あのお婆さん今日も出たんじゃな」
その一言に双葉以外の全員が硬直。皆の視線が老人に集中する。
この先はとても嫌な予感がする。
そんな銀時の不安をよそに、老人は話を続けた。
「いやね、十年前の大火事に巻き込まれたお婆さんが、今もこの病院を歩き回ってて……」
老人が恐ろしい事実を穏やかに語った途端――子供たちが悲鳴を上げて逃げるよりも先に、銀時は気絶した。
* * *
「……ん」
ふと目が覚める。けれど、何かおかしい。
自分は歩いていないはずなのに、風景が勝手に動いている。まだ夢見てんのか、とおぼろげな意識で考える。
「やっと起きたか」
冷めた声が聞こえたと思えば、目と鼻の先に銀髪があった。
スクーターを片手で押し、反対の腕で双葉は銀時を背負って夜道を歩いていた。
「情けねェな。妹におんぶされるなんて」
「全くだ」
少しはフォローしろと思ったが、図星なので反論できない。
目覚めたのに、双葉は銀時を下ろそうとしない。未だ背負い続けている。
妹におんぶされている兄というのは、みっともない。
夜道には誰もいないとは言え、恥ずかしい。それに身長差のせいで、足がズルズル引きずられている。
「おい。もういいって」
「腰が抜けてるんじゃないのか?」
皮肉げな微笑。正面を向いてるから見えないが、きっと双葉は蔑んだ表情をしてるんだろう。
「抜けてねぇっての!!」
降ろされた銀時はスクーターにまたがり、ヘルメットを双葉に投げ渡した。
双葉が座ったのを確認すると、銀時はスクーターを走らせた。
しばらく時間が流れる。
その間は風をきる音しか聞こえない。
「なぁ。双葉」
不意に口にする。
「なんだ」
冷めきった妹の声。
「お前さ、ビビったか?その、俺が落ちてベトベトの血だらけになった時……」
自分の元へ駆けつけて来た時の双葉の
表情。
焦りと不安が入り混じった声で、何度も自分を呼んでいた。
ただ。意識がもうろうとしていたから、思いこみかもしれない。
聞いてはみたが、双葉は多分答えないだろう。
横目でチラリと伺う。だが顔を伏せていて分からない。
待ってみたが、返事はない。そうして目線を戻した時だった。
「……少し」
本当に、本当に小さな声だった。
頬が赤く染まった双葉はそれ以上口にしなかった。
それを知ってか知らずか、銀時は意地悪な笑みを浮かべる。
「ああ?なんだって?よく聞こえねェからもっかい言ってくれ」
「なんでもない」
「今ビビったつったろ」
「言ってない」
否定すればするほど、双葉の頬はさらに赤くなる。
銀時はその様子を面白そうに眺める。そして答えがわかっている質問をあえてしてみる。
「ホントかぁ?」
「うるさい。私は兄者の心配なんてしてないんだからな。誰が泣きそうになんか……」
「へいへい」
気のない返事をして運転に集中する。
一人だけ得した様な軽々しい態度。それが気に入らないのか、今度は双葉が念を押し始める。
「本当だぞ」
「わーってるよ」
「本当にわかってるのか!」
ムキになった双葉は、勢いよく銀時に寄りかかった。
その反動で手元が少しぐらついた。だがその直後に起きた事の方が、さらに手元を狂わせた。
“もにゅ”
――げっ!胸が……!!
双葉の豊満な胸を背中で感じたのも束の間――急にバランスが崩れ、ハンドル操作が狂ったスクーターはあらぬ方向へ行ってしまう。
「おわっ!バカ!危なッ!オィィィィィ!!」
兄の叫びと共に、スクーターは夜道を走り去って行く。
左右にぐらつきながら二人を乗せて。
=終=