面影
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第十章
第十章
「んっ!?どうしたの智哉君」
「そんなに笑って」
その二人が彼が笑っているのを見て声をかけてきた。
「何かあったの?」
「おかしいの?何か」
「いや、別に」
だが彼はその笑顔のまま答えなかったのだった。
「何もないよ」
「そう、何もないの」
「あからさまに何かありそうだけれど」
そのお互いそっくりな顔で彼に言うのであった。
「まあいいわ。じゃあ純ちゃん」
「はい」
「スパゲティとピザの次はね」
「ええ」
「デザートだけれど」
話は今度はデザートに移っていた。やはりこれは欠かせない。
「イタリア料理のデザートはわかるわね」
「ジェラートですね」
「そう、それよ」
にこにこと笑って純に告げる。
「それなのよ。そのジェラートはね」
「バニラですね」
「その通り。やっぱり一緒ね」
「本当に一緒だな」
智哉は話を聞いてまた思うのだった。
「何処までも。親娘みたいだな」
「もう冷やしてあるからね」
「じゃあスパゲティとピザを食べ終えたらすぐに」
「紅茶も用意してあるから」
「紅茶といえばだ」
ここから先ももう完全にわかってしまっている智哉であった。彼は今の二人のやり取りから冗談抜きで純は母親の血縁者ではないかと思っていた。
「アイスティーで」
「冷やしてあるから」
やはりこう来た。
「それとミルクでね」
「そうですよね。やっぱり紅茶はそれですよね」
純はアイスミルクティーと聞いてまた顔を綻ばす。
「アイスミルクティーですよね、やっぱり」
「熱くてもミルクティーよね」
「勿論ですよ」
「やっぱりな」
やはり彼の予想通りなのであった。紅茶も。
「そうなったか」
「食べ終わってからテレビ観ながら食べましょう」
「テレビですか」
「だって。今日は」
ここでお母さんの顔が少し変わった。食べ物とは別のものを楽しもうという顔であった。
「野球の試合があるから」
「野球といえばやっぱり」
楽しみながら語る純であった。その表情はやはりお母さんと同じものだ。よく見れば顔に皺があるなし程度の差で本当に同じ顔なのであった。
「阪神ですよね」
「そうそう。野球は阪神」
野球まで同じなのだった。
「やっぱりね。虎よね虎」
「虎が巨人を倒す」
阪神ファンの最高の喜びである。
「それが一番よね。純ちゃんもわかってるじゃない」
「何が史上最強打線ですか」
確かに滑稽な名前の打線である。荒唐無稽であると言ってもいい。そのわりにはつながりがなくホームランだけでアベレージヒッターの重要性を把握しておらず機動力は皆無だ。おまけに守備はお粗末でチームプレイも全く考慮していない。こうした打線を良識ある人間は史上最強などとは決して呼びはしない。強いて言うのならそれは『自称』最強打線である。実に滑稽であり愚劣な打線の名前であるがこれが世に出る不思議現象が起こすのも日本なのだ。
「全然駄目ですよね、あんなの」
「巨人は巨人よ」
お母さんの嫌いなものはまず巨人なのだ。
「センスなんてないのよ。名前にも」
「そうですよね。それに対して我が阪神は」
「ダイナマイト打線」
阪神タイガースというチームの代名詞である。終戦直後に名付けられた名前である。碌に食べ物もない時代に阪神は打ちまくった。そしてこの名前は昭和六十年の優勝の時にも復活している。まさに阪神そのものといってもいいのがこのダイナマイト打線という名前なのだ。
「あとJFK」
「いいネーミングですよね」
「巨人の偽物の打線なんかとは違うわ」
この言葉はその通りであった。わからないのは卑しい顔立ちをして巨人ばかり褒めしゃもじを持って喚き散らし人様の御飯を漁るだけの無芸大食の自称落語家だけである。世の中知能も人格も卑しいことこのうえない輩もいるということである。これもまた怪奇現象であろうか。
「あんなものとはね」
「阪神は打線が本当じゃないですしね」
「流石ね」
今の言葉もお母さんの心の琴線に触れるものであった。
「そうよ、阪神の真髄は」
「ピッチャーですね」
これがわかっているかわかっていないかで本当の阪神ファンかそうでないかがわかるという。阪神は伝統的にどんなチームかを。
「やっぱり」
「そう、ピッチャーよ」
お母さんの目が光った。
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