Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第2章 幻想御手事件
24.July・Afternoon:『Predator』Ⅰ
病院を後にした『先輩』の、ノーヘルで超軽量バイクに乗って走り去る背中を窓外に望み、白井黒子は険しい表情のままで口を開く。
「……また、法律違反ですのね。一体、あの方の何処が信用に値するんですの、お姉様?」
辛辣に、辟易したように。彼女が尊敬を越えて思慕に至るほど敬愛する、御坂美琴に向けて問うた。
それに美琴は、少し考える仕草をして。
「まぁ、確かに軽いしチャラいし、能力も便利なだけで大して強くはないんだけどさ……」
そう、ボロクソに前置きをする。何故なら、それは紛れもない事実だから。
「そ、それでは、なぜですの? そこまでなら、なぜお姉様は……」
余りの言われ方に、さしもの黒子も弱冠引き気味になる。誰でもそうだろうが。
そんな黒子の様子に、僅かに微笑んだ美琴。それは、さながら。
「私と対馬さんの出会いって聞いてる? 大覇星祭の話」
「ええ、まあ……綱引きで拮抗して、最後はお姉様の電撃で昏倒させて勝ったとか」
「そ、それよ。いや、今となっちゃバカな事したもんだけどさ……」
その話は、以前に彼本人から。『虚空爆破事件』の時に聞いた事である。
頬を掻き、苦笑いする美琴。勝ちを焦った力押しを恥じているのか、或いは。
「その後、当然猛抗議を受けたわけよ。当たり前だけど、『綱を狙って電撃を放った』なんて苦しいしね……危うく、乱闘一歩手前。その時よ、対馬さんが────一騎討ちで決着にしようって名乗り出たのは」
「一騎討ち……お姉様と?! なんて命知らずな……腕くらいならへし折れてしまいますわ」
「言ってくれるじゃないのよ、黒子……まぁ、そうなんだけどさ」
或いは──何か、懐かしいものを思い出したからなのか。
普段なら黒焦げものの失礼な物言いにも、今日は。今、この時だけは、電撃は迸らない。
「そう、一騎討ち。信じられる? 私を第四位と知った上で、よ?」
そして、美琴は黒子の肩に手を置く。後輩に、自らの『失敗談』を語り聞かせる為に。
「何せ、あの人────」
聞かされたのは、俄には信じがたい話。それはある意味、彼女にとっては『敗北』に等しいものかもしれない内容であった。
特に、美琴を神仏の如く見る黒子には、信じられる筈もない。
そんな話が────少し前に、あった。
………………
…………
……
蘇峰 古都は、魔導書『妖蛆の秘密』を携えたままで悠然と見詰める。路面の一部ごと蒸発し、後にはハンドルと前後輪の一部が残るのみとなったバイク。
乗っていた二人は、最早、跡形も無く────
「……噂には聞いてる。風紀委員には、大能力者の空間移動能力者が居るって」
その残骸から、約二十メートル程離れた場所に転移した黒子と嚆矢を、忌々しげに見遣りながら。
「っ……なんですの、今の……一体あの人の能力は……!」
「『質量操作』……触れている物の、質量を増減させる能力だ」
「『質量』……ではやはり、あれは……!」
辛うじて『攻撃』を避けた彼女が、魔本を携えた少年を望む。鬱屈と赤濁した眼で、こちらを見る古都を。
答えた嚆矢も、視線は古都から離さない。最早、一瞬の油断が死に繋がると分かっているから。
「ああ────物質が、自分の持つ万有引力で自壊する現象……所謂、『事象の地平線』を、実証した訳だな」
「なんて厄介な能力ですの……!」
言っている側から、古都の手元に魔本が悍ましく脈動する。それが、何か。かつて手にした事がある嚆矢には、分かった。
「Tibi Magnum Innominandum,signa stellarum nigrarum et bufaniformis Sadoquae sigillum────!」
唱えられた言葉と同時に、辺りに漂い始めた腐臭。そして……耳に忍び込むような微かな嘲笑。
「何……ですの、この、笑い声……?」
「チ────『星の吸血鬼』か!」
こうなれば、魔術の隠匿などに拘ってはいられない。運良く、すぐ脇には高架の骨組みである鉄骨が露出している。何とか誤魔化せるだろうと、嚆矢は『右手』でそれに触れて。
「飢える、飢える、飢える────!」
昼間の、搾り滓のような魔力を注ぎ、玉虫色に揺らめくダマスカスブレード『賢人バルザイの偃月刀』を召喚する。
「剣────今、どこから?」
呆けた声を上げた黒子に、反応を返せない。そんな状態ではない、今、彼は瀕死に近い。
──反動は、かなり酷い。トラックと正面衝突したような、気の遠くなる頭痛。つまり、死ねるくらい。鼻奥に感じる鉄の臭いを無理矢理吸い込む。そうすれば、次は舌に感じる鉄の味。それを無理矢理、飲み込んで。やっと準備完了だ。
ッたく、喚んだだけでこれか……こりゃあ、『ヨグ=ソトースの時空輪廻』なんざヤったら死ぬな……。
それだけの反動を推してでも、この祭具を呼び出した理由は単純明快だ。
目に見えない『星の吸血鬼』を捉える方法は、今のところはこれしかない。空間を司る『ヨグ=ソトース』ならば、見えなくても存在しているものは捉える筈と踏んで。
「────其処ッ!」
『Gyaaaaaaaaa!?!』
そしてそれは、効を奏した。繰り出した一閃には、確かな手応え。グシャリ、と。『斬った』と言うよりは『噛み砕いた』ような手応えだったが。
続く断末魔、しかしそれで終わりではない。まだ、あと二匹!
「ちょ、あの、先輩!? 一体何がどうなっ──」
「説明は終わってからしてやる! 後ろから来てる、二秒後俺の側に跳べ、黒子!」
「っ~~~~~~ああ、もうっ!」
名指しでの命令に、怒濤の勢いの情報処理が追い付かなくなっていた彼女は一瞬身を竦めた。
だが結局、今は従うしかないと即決したらしく、きっかり二秒後に背後に転移する────のと全く同じに、その空間に偃月刀が突き出された。
「二匹目!」
黒子の背に取り付こうとしていた、見えざる伴侶を狙って。またも、『突き刺した』と言うよりは『食い破った』感触。余りの違和感に、つい手元を見てしまう。
そして、後悔した。見えない血肉を啜り、歓喜に蠢く玉虫色の悪夢めいた色彩をまともに目にして。
「チッ……しまった!」
正気を削られ、反動と相俟って意識が霞む。その一瞬の隙に、背中に取り付く事を許してしまった。
藻掻けど、万力じみた力は引き剥がせない。おまけに偃月刀を封じる為か、腕を搦め捕る触手も感じられる。
『クク……良い気味だな、コウジよ。この“妖蛆の秘密”の──魔導書の不興を買った者の末路は、破滅のみだ!』
耳元に、哄笑が響く。蠅の羽音のような、蛆蟲ののたくるような耳障りな声。いや、怨念か。
耳ではなく心で聞く分、よっぽど寒気がする。並みの人間ならば、既に正気に耐えきれまい。既に、瘴気に堪えきれまい。
無抵抗の首筋、今しそこに、化生の牙が突き立つ──!
『──────Gyaaaaaaaaa?!』
迸ったのは、怪物の悲鳴。その、見えない体に突き立った────否、『転移』した五本の金属矢。黒子が、太股に常備している『風紀委員としての武器』だ。
「こうなったら、わたくしも女ですの────腹を決めて、いきますわ!」
恐らくは予測で転移させたのであろうが、全弾命中させている辺り流石としか言いようがない。
空間自体を転移する金属矢、だからこそ本来、大型の銃器でもなければ貫通し得ない怪物の護謨じみた表皮を『押し退けて』現れている。
「ハハッ────流石だな! それでこそ、御坂美琴の妹分か!」
無論、その隙は逃さない。目の前に現れた黒子により嚆矢は『星の吸血鬼』の拘束を逃れ、偃月刀を降り下ろす。縦一閃の唐竹割りに、祭具の内の副魔王が貪り尽くす。
三匹、呼び出された全てを斬り伏せた。これで、残るは本体の古都と『妖蛆の秘密』のみ。
「そういえば、名乗っておりませんでしたわね。風紀委員ですの────大人しく、縛に付きなさい!」
混乱が去り、目的を定めてしまえば、女は強い。いつもの通り、黒子は風紀の腕章を向けて声高に宣言する。いつもの通り、先ずは敵対者に降服勧告を。
「成る程……面倒な能力だ。主将の『制空権域』だけでも難敵だって言うのに……」
『ふん、しかし、多寡だか空間移動よ……慌てる事はない、ミヤコ。打つ手なら、在る』
だが、彼らは意に介さない。ぶつぶつと独り言のように某かを呟き始めた彼、その携える魔本の────更なる、悍ましき脈動、蠕動。
『そう、我の言う通りにすれば良い。そうすれば、君は目的を果たす事が出来る。君の望む、未来を』
「僕の……望む、未来……」
虚ろに、風前の灯の如く繰り返す。魂を失った人形のように。
当たり前だ、命を削っているのだから。魔に与するとは、そう言うことだ。
──ああ、そうか……あの魔本は、炉なんだ。命を焼べれば、見返りに魔を孵す『魔の孵卵器』。
だから、反動は古都には返らない。ただ、命を蝕まれるだけ……かよ!
歯噛みする。不甲斐ない、と。この期に及んで、また、選択を誤るのかと。
────そう、その通り。人生など多寡だか五十年。されど人生とは、全て選択だ。後悔と慚愧に満ちた、苦しみの輪廻だ。それこそが、『クルーシュチャ方程式』だ。お前達に与えられた、二重螺旋の回答だ。
囁く声は、誰の? 自分の思考、それとも────耳元に、這い寄った黒い影のもの?
「『────飢える」』
目の前の古都に、手間取る訳にはいかない。だが、古都を見捨てる事も出来ない。更にこの先、木山春生から飾利を救出しなければならない。余りにも時間が、無いのだ。
────さぁ、選べ。捨てる方を選ばなければ、どちらも失う。出会って間もない、笑顔を向けてくれる少女か? それとも、長い付き合いの、敵意を向けてきた少年か?
さぁ、どちらを選ぶ? お前は、どちらを殺すのか?
そう、時間はもうない。誰かが嘲笑っていても、気になどしていられない。
「黒子────お前は、木山を追え。俺は、こいつをふん縛ってから追い掛ける」
だから、二人ともを助ける選択を。明らかに、間違いだと……自分でも分かる、選択を。
『やれやれ……是非もなし、とは。それは、最悪の答えだ。見損なったぞ────』
だから、誰が呆れ返ろうとも関係はない。全ては、己の選択。ならば、後悔だけはしないように。
『背後に佇む影』に還った、燃え盛る三つの眼差しに等は気付かずに、偃月刀を構えたままで。
「無茶を言わないでくださいまし。こんな厄介な相手を、貴方一人では荷が勝ちすぎると言うものですの────!」
今度は、従う事なく。四本の金属矢を転移させた彼女。狙いは、古都の靴。
「『───飢える、飢える……」』
それを縫い止めて相手の意識を逸らし、身動きを封じて直接転移で地面に服ごと縫い付ける。彼女の得意パターンだ。
「待て────ヤバイんだよ、あの本は!」
時速に直せば二九〇キロ。嚆矢の言葉は届く前に消える。
果たして、靴は縫い付けられた。しかし──狂信の祝詞は、既に最高潮。
「『飢える、飢える、飢える────!」』
揺れる。空間が、揺れた。水面のように、湾曲した時間が。
その刹那、まるで──否、正に押し出されて、黒子が路面に落下した。
「───────っ?!」
俯せに押し倒されて息を吐き出し尽くした所為で声も出ず、恐怖に目を見開いて。思い出したように吸い込んだ空気に感じたのは、以前に理科の実験で嗅いだアンモニアなど、可愛く思えるほどの刺激臭。
止せば良いのに、本能が言う事を聞かずに。振り向いてしまう。見るべきではない、悪夢すら生易しいと言うのに。
『Gruuuuuuuuu…………!』
「ひっ──────??!」
粘膜に酷く刺激を与える、腐った荒々しい息を吐くもの。まともに見た彼女は、思わず涙を浮かべた。
酷く不快な戯画化された狗にも見える、それは────
「『さぁ、お前への供物だ。貪り尽くせ────“ティンダロスの猟犬”!」』
いまだ時間すらなかった『角度ある時間』に潜む、あらゆる命を敵視する邪悪な異次元の狩猟者────!
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