“バン”
突然、襖が開く。
二人の前に現れたのは双葉と同じ銀髪の青年。だが複雑に跳ね上がった毛先の天然パーマ――そう、間違いなく銀時だった。
「高杉。テメェ、人ンちで何してやがる」
静かな怒りを潜めた声で、銀時は高杉を見下ろした。
だが突然の乱入者に、高杉は動じも笑みを崩しもせず、双葉の耳元に唇を寄せる。
「―――」
直後、双葉の表情がさらに凍りつく。
この上なく妹に何かする男を、銀時は鋭く睨みつけた。
「テメェ、何しに来た!?」
怒りを露にする銀時に対して、高杉は笑みを浮かべたまま立ち上がって答える。
「なぁに、会いたくなった女がここにいたから来ただけだ」
そして高杉は銀時とすれ違い部屋から出て行く。
どうしようもない怒りがこみ上げる。だが銀時はその震える拳を抑えて、ぐったりしている妹へ駆け寄った。
「双葉!おい双葉!!」
抱き起して何度も呼ぶが応えはない。荒い吐息とどこも見ていない虚ろな瞳が返ってくるだけ。
妹をこんな姿にさせた男を銀時はカッと睨みつける。
「薬でしびれてるだけだ。これでも飲ませろ」
高杉から紅い液体の小瓶が投げ渡される。
銀時が片手で受け取ったのを確認すると、高杉は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「またな、双葉」
そう呟き、高杉は彼女を瞳に宿して闇の中へ消えた。
一方銀時は急いで口で小瓶のキャップを外し、中身を双葉の口の中へ注ぎこむ。
「双葉!はやく飲め!!」
だが口へ注いでも飲みこむ力すらないせいか、薬は溢れ出てしまう。
何度かやってみたが、同じ事の繰り返しだった。
渡された小瓶には、せいぜいあと一回分の量しか残っていない。
「クソっ!どうすりゃ……」
痺れているだけと言っていたが、あの高杉がそれだけで済ませるはずがない。
この薬も怪しいと思うが、頼れるのはこれしかない。
だが、今の双葉に飲みこむだけの体力もない。別の力で押し流さなければ無理だろう。
そう誰かがやらなければ。
「…………」
銀時は小瓶の残り全てを口に含み、双葉に唇を重ねてゆっくりと流しこんだ。
そして鮮血のような紅い水が双葉の中へ注ぎこまれてゆく。
ゴクゴク、ゴクゴク、
狂紅狂紅、と――
* * *
雨音は弱くなっていた。
静かに目を開けると、瞳に写ったのは見覚えのある天井。
万事屋の天井だった。
そしてゆっくり横を見ると、双葉を見守るように誰かが壁に背中を預けて座っていた。
ほんの一瞬だけ、その姿が一夜を過ごした彼と重なる。
だがそれが兄だとわかって、双葉は安堵した。
「兄者……」
「まだ喋んな。しびれてくるぞ」
銀時の声からは静かな怒りが感じられる。
苛立っているのだろうか。
「どうして……依頼は……」
「行っても誰も来ねーわ、代わりに汚ねェ奴らがゾロゾロ出てくるわ。変だと思って帰ってみりゃ――」
そこで銀時はためらうように口を閉じる。双葉もそれ以上聞かなかった。
そしてお互い何も話さないまま、しばしの沈黙が流れた。
「悪かったな。一人にさせちまって」
「……いいさ。自分で望んだことだ。兄者は悪くない。自業自得だ」
弱々しい双葉の態度に銀時は言葉を失ってしまう。
そう、普段の双葉は強そうに見栄を張っているにすぎなかった。
その裏でいつ壊れるかわからないモノを抱えて過ごしていたのだ。
兄として分かっていた。
いいや、『つもり』だった
「天人と駄メガネは……」
「もうすぐ帰ってくんだろ」
「そうか……」
帰ってくる。
帰る場所がある。
あの二人にも、兄者にも『家』がある。
それは自分の居場所。
「兄者。もしココがなくなったらどうする?」
唐突な妹の質問に、銀時は眉をひそめた。
だがそれに気づかないのか、双葉は質問を続ける。
「自分の、帰る場所がなくなったら……」
「帰る場所なんて、端っからねェよ。
自分がいてェ場所がテメェんちだ。なくなったって、また見つけりゃいいんだよ」
銀時の言葉は心に響くモノだった。その言葉を聞くだけで不思議と安心する。
だが、それでもまだ不安は拭えない。
あの日、『帰る場所』が突然なくなった恐怖は忘れることができないから。
「……ココにいてもいいのか?」
その問いに、銀時は横たわっている双葉に近づき、ムスッとした目で覗きこむ。
すると双葉の額を拳で軽く叩いた。
“コツン”
「いたっ」
「おいおいおい。さっきの話聞いてなかったのかァ。居てェんなら好きなだけ居ろっつったろーが。つうか細けぇことネチネチこだわり過ぎなんだよ。テメェは味噌汁の味付けにうるせぇ姑婆ァか?」
「私はそんな姑婆ァではない」
「だったらなに?ネチネチうっさい奴でもいんの?んな奴がいたら俺がぶん殴ってやらぁ」
そう言って笑う銀時につられるように、双葉の口元にも薄い笑みが浮かぶ。
「……その前に私が串刺しにしてやるさ」
「ちょ、お前なァ」
眼が笑ってなくて寒気を感じたが、銀時はホッとした。
これが双葉なりの冗談だと知っていたから。
「腹減ったろ?メシ作ってくる」
銀時は立ち上がり、襖に手をかける。
「なぁ、兄者」
「ん?」
双葉に呼ばれ、襖を開きかけたまま銀時は振り返った。
「……いや、なんでもない」
そうかィ、と銀時は襖を閉じて台所へ向かった。足音がしなくなると、双葉は天井に視線を戻す。
闇夜の訪問者は好き勝手に過ごしていった。いきなり押し倒して、無理矢理口づけして、身体を縛って、毒入りのおカユを飲ませて――
――口移しだったのになぜアイツは無事だったんだ?
だがその疑問はすぐに解けた。あの後、高杉はやたらキセルを何度も咥えていた。
恐らくキセルに解毒薬でも塗っていたのだろう。
――全く、どこが『会いたくなっただけ』だ……。
ふと、そっと唇に手をかざして、あの時を思い出す。
意識がもうろうとする中で聞こえたのは、兄の声だった。
答えたかったが、力が入らなくて声も出なくて。
そして、なにもできないまま闇の中へ堕ちた。
けれど、そのあと唇に温もりを感じて、双葉は闇から目覚めた。
それは今の高杉とはちがう、優しい温もり。
いいや、かつての高杉と同じ温もりだった。
――あの二人は似てる。
『俺は今も昔も護りたいモンは何一つ変わっちゃいねェよ』
『俺はあの頃と何一つ変わっちゃいねぇよ。……俺が護りたかったモンは何一つ変わってねェ』
――似てるから私は……
「好きなのか?」
だとしたら何て傲慢で身勝手な話だろうと、双葉は己を軽蔑する。
結局それは重ねて見ているだけ。兄者に高杉を重ねて、高杉に兄者を重ねて。
本当の二人の姿を見ていない。それで『好き』と言えるのか疑わしい。
だがこの想いに偽りはない。それは本物だと言い切れる。
信憑性がないと言われればそれまでだが、この想いだけは失いたくない。
――それに……
『ならおまえの帰る場所はどこだ。なぜココにいる?』
『
自分がいてェ場所がテメェんちだ。居てェんなら好きなだけいろ』
――ココが私の居場所なら……私はずっとココに……
『待ってるぜ』
「!」
去り際に耳元で囁かれた高杉の言葉。
その一言で安堵の余韻が忽然と消える。代わりに、彼と過ごした記憶が一気に心に蘇る。
『『獣』は止められねェよ。血に飢えてるなら尚更な』
高杉の強引な口づけ。
最初は抵抗した。
でも、次第に受け入れてる自分がいた。
口づけを。高杉を。『獣』を。
――『獣』を求めてる……?
“ドクンッ”
高杉は知っている。
この『獣』が暴れるのを、最も望んでいるのが誰なのか。
知っているからこそ、「待つ」と言ったのだろう。
「……ぅ……」
――止められないのか、本当に。……もう少し。もう少しだけ待ってくれ。
自身に言い聞かせるように胸を押さえ、双葉は心の中で呟く。
そして。
また眠りについた。
=終=