悲鳴に似た声が部屋に響き渡った。
だが刀は床に刺さっただけ。高杉の腕から一滴も血は流れなかった。
「冗談だ。本気にしたかァ?」
「………」
胸の中で複雑な気持ちが広がる。その中で最も強いのは後悔の念。
だがその原因は高杉にはない。そう、自分にある。
――血が飲める。久しぶりに……。
スッと頭に浮かんできたのはその言葉。その次に来たのが咎める気持ちだった。
例え一瞬でも、そんな喜びがあった。『血』を求めてしまった。
そんな双葉の心を知ってか知らずか、刀を鞘に戻して高杉はその場に座る。彼女と目線を合わせるように。
「どうだ、双葉。自分の家で俺と一緒にいる気分は?」
「……家じゃない。ここは私の家じゃない」
「ならおまえの帰る場所はどこだ」
「……どこにもない。私に帰る場所なんてない」
「じゃなぜココにいる?たんに兄離れができねェだけか。いや、それは銀時の方だったな」
笑いをこぼした高杉のキセルから、煙がうっすらと浮かんですぐ消える。
「アイツは相変わらずだな」
「ああそうだな。こんな世界になっても受け止めて生きて、相変わらずだ。兄者には変わらない強さがあるよ」
「俺には流されてるだけに見えるぜ。けど、テメェは抗ってんだろ。この腐った世界にも、現実にも」
「……」
「でもよ、獣まで抗う
必要ねェぜ。まだ『血』を求めてんだろ、双葉」
心理を追求する様な高杉に、双葉は少し自嘲気味に答えた。
「否定はしないさ。今もどこかで物足りなさを感じている」
命を奪う――殺して生まれるどうしようもないあの『快感』は忘れられない。
初めてこの手で命の灯を消したあの日から――
「なら素直になれよ。素直になってこの腐った世界をぶっ壊そうぜ。俺の黒い獣と共に暴れようじゃねェか。それがテメェの望みだろ」
それは狂気への誘い。
この欲求に素直に従えば、こんなに苦しまなくていいかもしれない。
だけど本当にそれでいいのか。目先だけの利益は身を滅ぼすだけ。
「それとも銀時と一緒に居てぇのか?」
この世界で唯一血の繋がりがある兄。たった一人の家族。
人は例え孤独になっても、最後には『家族』という存在が心を支えてくれる。
ずっとお互いの心を支え合ってきた、たった二人だけの家族だった。
だが今は――
「兄者は一人じゃない。知ってるだろ。私以外にもう『家族』がいるんだ」
「嫉妬してんのか」
「さぁな」
「だからここに残ったんだろ」
――来いと言われても断った。あの枠の中には入れなかったから。
――嫉妬?いやそんなものじゃない。
「それでまんまとお前の策にはまってしまったなら、笑いのネタにもならないな」
「そうか?」
「俺は笑えるぜ」とまたキセルを一服する。
そしてゆっくりと双葉を見据えて、高杉は言った。
「双葉。俺と銀時、どっちが好きだ?」
唐突な質問。少し戸惑ったが、見据え続ける高杉の瞳から双葉は逸らさずに答えた。
「高杉、私はおまえが好きだ。そして同時に恐ろしい。だけど失いたくない。おまえも兄者も。だって……」
双葉は少し間を置いて
「おまえと兄者は似ている」
と口元に微かな笑みが浮かんだ。
これから言う事はきっと傲慢な答えだろう。双葉は心の中で自分を軽蔑した。
「だから惹かれたのかもしれないな。けど兄者と違う、おまえにしかないモノにも惹かれた。おまえといる時しか感じない気持ち。高杉、おまえと共に過ごした時間は……」
すると高杉は立ち上がって、双葉を縛っていた布を刀で斬り自由の身にした。
その意外な行動に戸惑いを隠せない。
「なぜ……」
「選べ。俺か、銀時か」
また唐突な質問。いや、『選択』というべきか。似たような選択を過去に一度している。
それが今と同じじゃない事を皮肉に思う。
立ち上がり、双葉はかつて同じ道を歩んでいた男へ答えを返す。
「私は兄者がどうしてここにいるか分からなかった。全てを奪った天人となぜ一緒に暮らせるのか。……わからないが兄者は護っている。でも護っているのは、
万事屋にいる者だけじゃない。私はもっと知りたい。兄者が護りたいモノをもっと……」
天人が来航して全て変わった。全て消えた。
……そう思っていたけど、変わらないモノもあった。
『俺は今も昔も護りたいモンは何一つ変わっちゃいねぇよ』
「私たちは奪われ失った。けど、だからってこれから生きる者たちの未来を奪っていいわけじゃない。そんなことをしたら、
天人と同じだ」
振り返り、双葉は高杉の瞳を真っすぐ見つめた。
「だから高杉、私はおまえの元へは戻らない。『破壊』しか求めないおまえの元へは……」
「だが『獣』はどうする。さっきのテメェは血を求めてたぜ。隠しきれないその欲求をどうする気だ?」
「いずれ私の『獣』は暴走するだろう。だが例えそうなっても、私は自分のチカラで止めてみせる。おまえの『獣』も私が必ず――」
止める。
だがその言葉は声にならなかった。
何の前触れもなく、突然全身が硬直する。
視界がぐらりと揺れ、双葉は崩れ落ちた。
=つづく=