カサンドラ
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第十章
第十章
「姫様」
「ええ」
「ここから飛び降りて下さい」
すぐ側の城壁を見て言う。
「ここから。ここからならば川に飛び込むことができます」
「川に」
「その間は私は引き受けましょう」
微笑んで彼女に言うのだった。
「ですから。今のうちに」
「引き受ける!?けれど」
「申し上げた筈です。ご案じなさいますな」
ここでも微笑んでの言葉であった。
「私も後から必ず行きます」
「必ずですね」
「はい、必ず」
こう言いながら迫り来るギリシアの者達に剣を振るう。早速一人倒した。
「くっ、こいつ!」
「降伏しないのか!」
「さあ姫様!」
ギリシアの兵達の相手をしながら背中にいるカサンドラに声をかける。
「今のうちに!」
「けれど」
カサンドラはイオラトステスの声に対しても戸惑いを見せる。既に彼は複数のギリシア兵倒しているが彼等は次々と城壁に現われてきていた。
「貴方は」
「私のことは御心配なく」
彼は前を見つつカサンドラに述べる。
「必ず。生きて姫様の御前に戻りますので」
「必ずですか?」
「はい、必ずです」
また答えるのだった。
「ですから。今は」
「けれど貴方は」
「申し上げた筈です」
また答えるのであった。
「早く。どうか」
「・・・・・・わかりました」
カサンドラもここに至ってようやく彼の言葉に頷いた。最早一刻の猶予もならなかった。それがわかっているからこそ彼女も決断しなければならなかった。
だからこそ。ここで彼女はまた彼に言った。
「それでは必ずですよ」
「私は約束を破ったことはありません」
「その言葉。信じさせてもらいます」
「勿論です、ですから」
「・・・・・・はい」
また彼の言葉に頷く。
「それでは。また」
「御会いしましょう」
カサンドラは城壁から飛び降りそのまま川に入った。そこを泳ぎ落ち延びた。彼女はやがてトロイアの者達の声を聞きそこに向かった。まず彼を出迎えたのはアイアネアースであった。
「カサンドラ様、御無事ですか」
「はい」
これで何とか自分が助かったのを確認した。まずそれは確かだった。
見れば多くのトロイア人達が夜の中に集まっている。彼等は何とか逃げ延びたのだ。
しかし。その中に彼女の家族はいなかった。へクトールも姉妹達も。誰もいなかった。
「兄様達は」
「ヘクトール様は城門におられました」
アイアネアースが周りを見る彼女に答えた。
「そこで我々を逃がす為に戦っておられました」
「そうですか。城門で」
「そうです」
沈痛な声でまたカサンドラに答えた。
「ですが。今は」
「どうなったのかわかりませんか」
「おそらくは」
アイアネアースは首を横に振った。俯きどうしても上げられなかった。
「そうですか。兄様は」
「王様も奥方様も」
二人についても語るアイアネアースだった。
「宮殿の中で」
「お父様もお母様も」
「パリス様は戦死されました。姉君様達や妹様達は」
「どうなったのですか?」
「何とかここに逃れられました」
「そうですか」
それを聞いてまずは安堵するカサンドラだった。
「皆。無事ですか」
「はい」
「それは何よりです。けれど」
「けれど。何か」
「イオラトステスは」
トロイアの方に顔を向ける。トロイアは業火で燃え盛り続けている。そのトロイアの方からトロイアの者達がまばらに逃れてくる。しかしその中にイオラトステスはいないのだった。
「いないのですか」
「何かあったのですか?」
「助けてくれました」
俯いてアイアネアースに答える。闇の中で周りにトロイアの者達が疲れ果てた顔で集まろうとしている。思ったより助かった者は多かった。しかしイオラトステスの姿はなかった。
それでもカサンドラは探す。彼がいるかどうか。やがての中で一人の姿を見た。それは。
「あれは」
「イオラトステス・・・・・・」
腕に深い傷を負いふらふらとしながらだがカサンドラの方に来ていた。頭から血を流し鎧もマントも汚れているがそれでも彼は無事だった。
「姫様・・・・・・」
「イオラトステス・・・・・・」
カサンドラは彼が自分の側まで来たのを見てまた声をあげる。
「無事だったのですね」
「助かりました」
こう答えるのだった。
「ヘクトール様が。危ういところで」
「兄様が」
「はい。私を取り囲むギリシア兵達を倒されて。私を」
「そうなのですか」
「ですが」
顔を俯けさせての言葉だった。彼もまた俯くのだった。
「ヘクトール様は。そのままギリシア兵達を倒され城壁まで迫った業火に」
「・・・・・・左様ですか」
「申し訳ありません」
うなだれるしかないイオラトステスだった。
「ヘクトール様は。お助けできませんでした」
「いえ」
だがカサンドラはイオラトステスに言うのだった。
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