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良縁

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第十一章


第十一章

「その通りです」
「では」
 祥子もそれを受けてまた言ってきた。
「宜しければですが」
「街をですね」
「そうです。案内させて下さい」
 やはり言うのはこのことだった。
「宜しければですけれど。本当に」
「わかりました」
 断ることができた。そしてそうしなければならなかった。しかし彼はこう言ってしまったのだ。言わざるを得なかった。何かに動かされて。
「それでは」
「ではどうぞ」
「はい」
 祥子の差し出した手を取りさえした。
「こちらですので」
「それでは。御願いします」
 こうしてまた祥子と共に歩いた。それからもだった。会えば街を歩き二人の時間を過ごした。それが多くなるにつれ心は彼女に傾いていく。そして遂にだった。
「あのですね」
「はい」
 二人はまた街を歩いていた。その途中に休憩で喫茶店に入った。そこでコーヒーを飲みながら祥子が伊藤に対して切り出してきたのである。
「今度の日曜ですが」
「日曜ですか」
「空いているでしょうか」
 おずおずとした調子で伊藤に問うてきたのだった。
「日曜日。如何でしょうか」
「ええ、その日でしたか」
 静かに祥子の言葉に答えた。
「大丈夫です。御安心下さい」
「そうですか」
「それでですね」
 祥子の言葉に応えてから自分から尋ねた。
「何かあるのですか」
「実はその日にです」
「ええ」
「父が。来ます」
 こう彼に話をしてきた。
「父が。私の家に」
「お父上といいますと」
「はい。普段は東京にいる」
 おずおずとこう切り出してきた。
「その父が。こちらに来るのです」
「そうなのですか」
「それで。宜しければ」
 おずおずとした口調の言葉が続く。
「御会いして頂けませんか」
「お父上にですか」
「お嫌ならいいです」
 俯いて顔を少し赤らめさせての言葉だった。
「お嫌でしたら。それで」
「いえ」
 ここでも同じだった。言葉は自然に出た。
「行かせて頂きます」
「私の家にですね」
「あの洋館ですね」
 このことを尋ねた。これは念押しだった。
「あの洋館に来て頂きたいのですね」
「そうです。その通りです」
 伊藤の言葉にこくりと頷いてきた。二人共コーヒーを他所に二人の話に入っていた。従ってもうコーヒーは目には入っていなかった。
「あの家に。どうか」
「わかりました」
 あらためて祥子の言葉に頷いてみせる伊藤だった。
「それでしたら」
「有り難うございます」
「それでは今度の日曜に」
「はい」
 顔を真っ赤にさせて伊藤の言葉に頷いてきていた。
「御願いします」
「わかりました」
 自分の心の動きも率直に出てしまった言葉にも驚いていたがそれはあえて隠していた。本当に信じられないことであった。もう迷いはなかったのだ。ただ彼女の申し出を受けた。それだけだった。艦長や副長の言葉はわかっていたがそれでもであった。彼は頷いたのである。
 ふとコーヒーを口に含む。含んでみるとそれは。
「これは」
「もう冷めていますね」
「はい、全くです」
 苦笑いを浮かべ合っての言葉であった。
「早いですね。冷めるのが」
「全くです。ですが」
 伊藤は苦笑いと共に祥子に言った。
「これもまたいいものですね」
「はい。熱さはないですが」
「苦く。それでいて」
「甘いです」
「熱さもまた必要ですが」
「それだけではないですね」
 二人がこのコーヒーから学んだのはこのことだった。
「ちゃんと。味があればそれで」
「はい、いいと思います」
「それでは次の日曜に」
「ええ」
 言葉を交えさせる。
「御願いしますね」
「こちらこそ」
 その冷めてしまったコーヒーを飲みつつまた話した。そしてその次の日曜日。海軍の軍服で祥子の洋館の前にいた。その彼を出迎えたのは桜色の小袖を着た祥子だった。
「ようこそ」
「ええ」
 まずは祥子の挨拶に応える。
「おいで下さいました」
「それではですね」
「はい」
 さらに言葉を交えさせる。
「こちらです」
「それでは」
 案内されて洋館の中に入る。欧風の焦茶色の木の扉をくぐると白い壁と扉と同じ色の木の階段や床、それに扉が見える。館の中は外観よりも広く見えた。
「中ははじめてでしたね」
「はい、そうです」
 緊張した顔と声で祥子に答える。
 
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