雲は遠くて
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40章 As The Same Life (同じ生命として) (1)
40章 As The Same Life (同じ生命として) (1)
6月1日の日曜日。晴れて、気温も30度ほど、南風が吹いている。
クラッシュ・ビートのシングル曲、『生命として (As Life) 』の
発売記念パーティが、ライブ・レストラン・ビートで午後の1時からの
開演であった。
ライブ・レストラン・ビートは下北沢駅 南口から、歩いて3分である。
『As The Same Life (同じ生命として)』は、順調な売れ行きで、
発売と同時にトップ10入りして、急上昇中である。
会場には正午前から、モリカワミュージックが招待した客や
一般の客が来場して、ゆったりとランチをとったりしている。
1階フロア、2階フロア、あわせて、280席は、満席であった。
「みなさま、本日はクラッシュ・ビートの『As The Same Life (同じ生命として) 』
の発売記念パーティに、ご来場いただきまして、ありがとうござます!
司会を務めさせていただきます、佐野幸夫でございます。
本日は、クラッシュ・ビートのライブやお祝いに駆けつけてくださっている
ミュージシャンの方々のライブとか、盛りだくさんのプログラム(program)を
ご用意させていただいております。ごゆっくりと、お楽しみください!」
割れんばかりの拍手がわきおこり、佐野幸夫も笑顔で両手を挙げて、手を振る。
「では、オープニングは、人気絶頂の、沢秀人と、
ビッグ・バンド、ニュー・ドリーム・オーケストラの、豪華な演奏です!」
沢秀人は、1973年8月生まれの40歳。
一昨年の2012年に、NHKドラマの音楽を制作して、
レコード大賞の作品賞も受賞する。芸能界で、いまをときめいている。
1973年8月生まれ40歳の沢秀人は、総勢
30名以上による、ビッグ・バンド、ニュー・ドリーム・オーケストラの
指揮をとり、ユニークな活動をしているが、2013年の春までは
このライブ・レストラン・ビート の経営者だった。仕事を音楽活動に
専念するためもあって、モリカワに譲ったのであった。
「いつ聴いても、沢さんのビッグバンドはいいね。夢心地
とでもいうのか、幸せな気分にさせてくれるよ。しん(信)ちゃん」
「おれも、沢さんの音楽には感動してしまうんです。ジャンル的は、
おれはロックで、沢さんはジャズなんでしょうけどね。でも芸術というものは
、聴衆というかリスナーというかファンというか、人々をいかに感させて、
人々の記憶に残る作品を提供できるかが、大事なことですからね。
一流の沢さんから学んだことは、心優しくなければ、いい音楽は作れないって
ことですよね。沢さんの影響で、10年くらい早くオトナになれた気がしています」
「そうなんだ。しんちゃんの活躍には、沢さんの影響があったのか。あっはは」
わらいながら、そんな会話をして、ビールを酌み交わしているのは、
エタナールの副社長、新井竜太郎(りゅうたろうと、ロックバンド、
クラッシュ・ビートの川口信也である。
ロック界で異色の新人として注目の川口信也と、エタナールの副社長の
新井竜太郎の、酒飲み仲間としての交流は、マスコミでも取材されていた。
「しんちゃん、今回の新曲は、痛烈な人間社会への警鐘というか、
現代文明への批評があるような気がするんだけど。でも、すごく、
ロックとしての反骨精神があって、おれも、とても好きなんだけどね」
「ありがとうございます。社会への批判なんていう、生意気なことを詩にする
つもりはなかったんですけどね。出来上がってみれば、人間への批判みたいに
なっちゃってますかね、竜さん。あっはっは」
「ロックとか芸術っていうものは、社会の既成の枠組みからはずれる、
アウトサイダーなんだから、正統派でいいんじゃないかな。
おれは大衆に媚びて、ヒットを狙う作品よりは、しんちゃんの
ロックのほうが好きだけどね。それにしても、作品つくりの秘訣っていうか、
うまい方法って何かあるのかな?」
「そんな方法があれば、おれが知りたいですけどね。あんな詩が書きたいとかの
目標ならありますけどね。今回の『As The Same Life (同じ生命として)』は、
ボブ・ディランのライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)が目標でした」
「そうかぁ。ライク・ア・ローリング・ストーンね、あれはロックの最高の名作だよね」
ライク・ア・ローリング・ストーンは、ディランの最大のヒット・シングルであり、
60年代のロックを象徴する曲として、ディランの名を神話的レベルにまで高めた。
≪つづく≫
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