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砂浜の文字

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砂浜の文字

                          砂浜の文字
 夏が過ぎ秋になった。そしてもうすぐ冬が近付こうとしている海。そこに一人の少女がいた。黒く長い髪を後ろで束ねた細面の女性であった。目は切れ長で肌は白い。それからまるで雪の中から出て来たように見える。和風の美しい少女であった。
服はシックに灰色のセーターと黒いジーンズであった。もう肌寒そうな服であった。
「ここの筈だったけれど」
 彼女坪木紗代は辺りを見回していた。誰もいない秋の海を一人見回していた。それから何かを探しているのは明らかであった。
 だが何を探しているのかまではわからない。それは彼女だけがわかっていた。
 彼女は恋を探していたのである。ここに忘れていった恋を。夏に忘れた一時の恋である。
 この夏彼女は高校の夏休みを利用してこの海に来た。そこで一人の若者にナンパされたのだ。
「彼女、何処に行くの?」
 オレンジに黒の模様だけは派手なワンピースを着ていた。だがそれ程過激な水着は着てはいないつもりだった。それでも声をかけられたのは彼女が整った顔と程よいプロポーションを持っていたからであろう。声のした方に顔を向けると背の高い日焼けした水着の若者がそこにいた。如何にもといった感じの茶髪の軽そうな若者だった。
「別に何処も」
 こう言って断ろうとした。だが自分でもどういうわけかこう言い返してしまった。
「ちょっとね。あっちに泳ぎに行こうと思って」
 そして向こうの方を指差した。別に考えあってのことではない。ただ出まかせ混じりに言っただけであった。だがそれが縁となってしまったのであった。
「そこは危ないよ」
 彼はそれを聞くとそう言葉を返してきた。
「危ないの」
「潮の流れが急でね。止めた方がいい」
「そうだったの」
「うん。泳ぐんなら別の場所がいいよ」
 そう言って全く違う場所に案内してくれた。そこは落ち着いた人の少ない場所であった。
「ここならいいよ」
 彼はそこに着くとこう言ってきた。
「安全だし人も少ないしね」
「よく知ってるのね」
 紗代は若者に対してこう声をかけた。
「そりゃ地元だからね」
 それに対する若者の返答はこれであった。
「知ってるも何も。俺の昔からの遊び場だったんだ」
「そうだったの、地元だったの」
「うん。俺の名前は幸一ってんだ」
 彼は自分の名前を名乗った。
「羽田幸一。覚えてくれるかな」
「いいわ。私は坪木紗代」
 彼女も名乗った。
「夏休みにね。ここに来たのよ」
「そうだったんだ」
「高校で最後の夏休みだったから。記念に、って思って。一人旅よ」
「俺はまあここの学校に通ってるけど」
「そうなの」
「学年は同じだな。俺も高三なんだ」
「何かそうは見えないわね」
 見れば幼い顔立ちをしていた。背は高いが童顔であった。実は自分より年下かな、とも思っていたのだ。
「よく言われるよ」
 幸一は苦笑いしてこう言った。
「背は高いのになあ。それで困ってるんだよ」
「案外中身もそうだったりして」
「あっ、初対面でそんなこと言うんだ」
 それを聞いて口を尖らせてきた。
「酷いなあ。何でそんなことを」
「だって本当のことだから」
 紗代は笑ってそう返した。
「何か。弟みたい」
 実は紗代には弟はいない。それでもそんな感じがしたのである。
「じゃあ弟に場所教えられたんだね」
「そうなるわね」
「頼りない姉ちゃんだな。そんなのでいいのかよ」
「いいのよ。姉さんだからね」
 居直るのもいいというわけだ。姉というのは便利な立場であった。
「それじゃあ泳ぎましょうよ」
「何か引っ掛かるけど。まあいいか」
 幸一は釈然としなかったがそれに頷いた。そして紗代と二人で海に入り一緒に泳いだ。それが二人の出会いであった。
 それから夏の間二人は遊んだ。紗代は受験のことは気にしていなかった。推薦でもうおおかた決まっていたからであった。昔ならもっと勉強しなければならなかっただろうが楽になった受験に感謝していた。
 話せば幸一も大体決まっているらしい。何でも結構遠くの大学に通うらしい。
「何処なの?」
 夕暮れの海岸を二人並んで歩きながら尋ねた。二人はラフな私服に身を包んでいた。
「それはちょっと」
 だが幸一はどういうわけか口篭ってしまった。何か言いにくそうであった。
「何か・・・・・・恥ずかしいなあ」
「恥ずかしいの?」
「ちょっとね」
 そう言って照れ臭そうに俯く。
「何か。言いにくいや」
「じゃあ教えてくれないの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ教えてよ」
 絶妙な誘導であった。
「秘密にしておくから」
「それなら」
 それでやっと言う気になった。幸一はそっと紗代に囁いた。紗代はそれを聞いて言った。
「何だ、私の通う大学の近所じゃない」
「そうだったの」
「私の高校殆どエスカレーターでね」
 だから高三の夏に勉強しなくてよかったのだ。結構な身分ではある。
「それでそこになったのよ」
「いいなあ、それ」
 幸一はそれを聞いて羨ましそうに言った。
「俺なんかこれでも受験勉強に必死なんだぜ」
「遊んでばかりに見えるけど」
「家じゃ勉強ばっかりなんだよ」
 言い訳にしか聞こえないがこう言った。
「本当だぜ。じゃあ証拠見せようか」
「いいわよ、そんなの」
 それを聞いて思わず苦笑してしまった。本当に子供じみていた。
「すぐにわかることだし」
「すぐにか」
「ええ、秋にはね」
 紗代は言った。
「わかるわよね」
「まあね」
 幸一はそれに頷いた。
「合格すればだけれど」
「合格するわよ」
 紗代はそれに対して励ますようにして言う。
「安心してよ」
「何でそう言えるの?」
「勘よ」
 根拠はないと言っているのと同じだったが幸一はそれに妙に納得できた。
「勘か」
「そうよ。私の勘は当たるのよ」
「だったら秋にまたここで会わない?」
「ここで?」
「うん。合格したらここでそれを伝えるよ」
「面白そうね」
「だろう。俺がここの砂浜に合格したって書いておくからさ」
「砂浜に」
「その大学の合格発表の翌日に。それならいいだろ」
「ええ、私はそれでいいわ」
 紗代には別に断る理由もなかった。それで納得した。
「じゃあ秋にまたここでね」
「ええ」
「忘れないで来てくれよ」
「忘れないわ。きっとね」
「それじゃあ」
「うん」
 実は紗代が勘がいいというのは大きな間違いである。そう思っているのは彼女だけで実はかなり鈍い。この時もあることに気付いてはいなかった。幸一の目が日ごとに変わっているということに。そうした意味で彼女の勘は呆れる程鈍いものであった。
 そして夏が終わり秋となった。紗代は大学にエスカレーターで入学することとなりそのまま幸一の受験する大学の入試と合格発表を待った。そして発表の日となった。
「明日かあ」
 カレンダーを見ながらこう思った。その日は学校だったが大学が決まっているということもありもう消化試合のようなものとなっていた。後は残ったテストで赤点をとらなければいいだけなので気が楽であった。
 そしてその日紗代は学校に行くふりをして家を出ると駅で着替えてそのまま幸一のいる場所へと向かった。電車で数時間かかったがそれでも着いた。
 そしてその足で夏に二人で歩いた砂浜に向かった。そしてそこを見回った。
「どうなったかな」
 探しているうちに不安になってきた。若し不合格なら何も書かれてはいない。それは何か嫌だった。だがどうして嫌なのか彼女はこの時はわからなかった。ただ何となく嫌だったのだ。
 下を見ながら歩いているとやがて文字が見えてきた。そこにはこう書かれていた。
『やったぞ 幸一』
「あいつ」
 紗代はそれを見て微笑んだ。どうやら合格したらしい。
 だが文字はそれで終わりではなかった。まだ続いていた。
「ん!?」
 気がついて文字を見続ける。そこには続いてこう書かれていた。
『あの海水浴場に来てくれ』
「あの海水浴場」
 それを見て暫し考えた。だがそれが何処かわかった。
「あそこか」
 幸一に案内されて行ったあの場所だ。流れが穏やかで人が少ない穴場ということで案内された場所である。紗代はこの時はわかった。偶然と言うべきかまぐれと言うべきか。
 すぐにそこへ向かった。すると向こうから声が聞こえてきた。
「おおい、こっちだ」
 幸一のものであった。紗代はそれを聞いて足を速めた。そして幸一の待つその海水浴場へと着いた。
「おめでとう」
 紗代はそこへ着くと幸一に対してまずこう言った。
「合格したのね」
「ああ」
 幸一はにこりと笑って頷いた。見れば夏に会っていた時とあまり変わってはいない。服は秋のものになったがそれだけであるように思えた。相変わらず子供っぽい笑顔であった。
「何とかね。上手くやれたよ」
「その言い方って運だったみたいね」
「全然わからなかったからな」
 そう言って口を尖らせてきた。
「あれで合格したんだから。奇跡だよ」
「まあそれでも合格したからいいんじゃない?」
「それはそうだけれど」
「運も実力のうち、そうでしょ」
「そうか」
「そうよ。ここは素直に喜びましょう」
「そうか。そうだね」
「ええ」
 幸一はそれに従いにこやかな笑顔に戻った。本当に子供のそれのように曇りのない笑顔だった。見ている沙代の方もそれを見て和やかな気持ちになった。
「それでね」
「うん」
 一呼吸置いてから幸一に尋ねた。
「何でここに呼んだの」
「ここに」
「ええ。何か用があるのよね」
「まあね」
 彼はそれを認めた。
「ちょっとね。言いたいことがあって」
「何かしら」
 やはり彼女の勘は鈍かった。少なくともある方面に関しては。ここでわからなかったことが何よりの証拠であった。
 見れば周りには誰もいない。幸一は意を決した。
「俺達これからすぐ近くにいるよね」
「大学が近いしね」
「それでね。だから言うけれど」
 次第に顔が赤くなってきた。
「あのさ」
「ええ」
 ここでもまだ気付かない。
「ええと。それでね」
 モジモジしてきた。幸一は何を言えばいいのか前以て考えていたがそれを口に出すことができないでいた。それでも言わなくてはならない。言いたい。だからこそ困っていた。
 しかし紗代はそんな幸一のことがわからずキョトンとしていた。そして軽はずみにこう言ってしまった。
「何か私に言いたいことでもあるの?」
 何もわかっていないことを自ら証明したような言葉だったがそれが幸一にとって後押しとなってしまった。幸一はそれを聞いて鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「えっ」
「言いたいことがあるのなら言って。何でもいいから」
「う、うん」
 戸惑いながらも頷いた。それを聞いて心がリラックスした。これで言えると思った。
「じゃあ言うよ」
「ええ」
 幸一は二度目であるが意を決した。そして遂に言った。
「大学に行ったらね」
「うん」
「付き合ってくれないかな」
「いいわよ」
「やっぱりね。そんな・・・・・・え!?」
 幸一は今紗代が言った言葉を聞いて目を点にさせた。
「今何て」
「いいわよって言ったのだけれど」
 紗代は落ち着いた態度でこう返した。
「今彼氏いないし。いいわよ」
「本当にいいの?」
「ええ、別に」
 何もわかってはいなかったが拒むこともなかった。紗代はすんなりと頷いた。
「何か。嫌なの?私がいいって言うと」
「いや、そうじゃないけれどね」
 幸一はそれを慌てて否定した。
「ただ。何かね。それいいのかなあって」
「彼氏がいたら断ってたわよ」
 紗代はあっけらかんとしたものであった。
「けど今はいないから。宜しくね」
「う、うん。それじゃあ」
「ええ」
 こうして幸一の告白は成功した。だが紗代の鈍さとあっけらかんとした態度に結局振り回された形となった。それは付き合ってからも変わることがなかった。
 けれど幸一はそれでもいいと思った。そうしたところも含めて紗代が好きになったのだから。
 恋は惚れた者が負け、幸一は負けた。だがそれでも恋をしないよりはよい。それで幸せになれるのだから。少なくとも彼は幸せになれた。紗代のおかげで。砂浜に文字を書いた甲斐はあったのであった。


砂浜の文字   完


                               2005・11・8 
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