「銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)」の感想

オレンジ
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コメント
 感想欄の返信で、作者さんの考えが丁寧に描写されてて、大変面白いです。
 原作は、絶対悪、絶対正義はなくて、立場によって正義が変わるということが強調されていますが、それは帝国と同盟のどちらが正義でどちらかが悪とは言えないという意味であって、両サイドにおいて、カッコイイ人たち(英雄)とカッコ悪い人たちの区別は非常に明確になされてる気がします。(カッコイイ人たちは、敵陣営のカッコイイ人たちには「敵ながらあっぱれ」といった敬意を払う一方、味方陣営のカッコ悪い人たちを露骨に見下す、という構図。無印ヤマトのドメル将軍が沖田艦長とは非常に丁重に対話する一方ゲールにはパワハラまがいの仕打ちをするような感じ)
 人間誰しもカッコいい人たちに憧れるものですから、エンターテイメントとしての小説としてはそう言う白黒わかりやすい書き分けはむしろ必要なこと、正しい書き方であって、そう言った分かり易い土台があってこそ本作品のような一歩踏み込んだ2次小説が映えるのだと思います。

 ヤンが「強者の論理」で動いているという考えは興味深いですね。「強くなければ生きる価値なし。」といったルドルフの優生思想を一番嫌ってるはずのヤンもある意味「清くなければ生きる価値なし」(生きる価値なしとまでは思ってないでしょうが、露骨に避ける。)といったある種の優生思想みたいなものをもっていたというところでしょうか。極端化するとジョジョのシュトロハイムのように、自ら実験体になることを選び出た勇気ある少年には敬意を払う一方で「こいつ以外を全員処刑せよ!」となるみたいな。 
作者からの返信
作者からの返信
 
私はかっこ悪い人の側に属しておりますので、やはりかっこ悪い人を書きたくなります。かっこいい人だけで動いている世界ってつまらないじゃないですか。

ヤンは清くないものの存在を許せないんですよ。ラインハルトと同じです。しかし、清くあるには強くなければなりません。大抵の人は弱いがゆえに汚れてしまいます。結局、ヤンは強い人ですが、強すぎて弱さを理解できないのです。根っからの戦う男、純粋軍人なんですよ。