つぶやき

海戦型
 
暇潰2
 
「金より大事なものがあるなら、やっぱり人間だと思わないか?」
「ふ……お前も中々に問題児だな」

 この何でも屋の信条は、たとえ依頼人が文無しだろうが子供だろうが、いつでも門を開けること。俺は迷いなく、事務所のドアを開け放った。

「ようこそ、何でも屋『カルマ』へ。ご依頼は何かな?」

 こっそり練習中の営業スマイルを浮かべた俺の眼前に待っていたもの。それは依頼者と思われる女の子――の背後に佇む黒スーツの男が付きつける銃口だった。取り敢えず、安物のリボルバーではなくオートマチック。パッと見ただけで気付けたのはそれだけだった。

「……ッ!駄目!伏せてぇ!!」
「へ?」

 黒服は既に拳銃に指をかけていた。
 引き絞られるトリガー、振り下ろされる撃鉄。
 弾丸は乾いた発砲音と共に発射され――

「っとぉ!?」

 辛うじて回避が間に合った俺の頭上を通り抜けて、弾丸が事務所の花瓶を叩き割った。
 まるでヤクザのカチコミだが、この事務所が今までカチコミを受けたことがなかったかというとそうでもない。金食い虫第3号が客とよくトラブルを起こすので、経験はあるのだ。そして、俺の予想通りなら親友が既にアクションに入っている筈である。

「やれやれ……あの花瓶は良い花瓶だったんだがな。取り敢えず、その拳銃は没収だ」

 ひゅっと風を切る音が聞こえたと思った時には、衛は既に俺と少女を庇う形で黒服の目の前に立っていた。黒服が予想外の速度に驚いた瞬間、鋭く伸びた衛の左手が拳銃を掴み上げ、そして右手が鋭く黒服の腕を打ち上げる。痛みにゆるんだ黒服の掌から拳銃が抜き取られた。その移動速度に対応でき無かった黒服は弾かれた腕を抑えて狼狽える。その隙が見せてはいけないものだと理解せずに。

「な、貴様!いつの間に……ガッ!?」
「素人が。この程度の芸当など、対人戦闘訓練を受けた者ならできて当然だ」

 武器を失った黒服の顎に素早く拳を一発。脳を揺さぶられた男は糸が切れたように失神して崩れ落ちた。抜き取った拳銃を一瞥した衛はふん、と鼻を鳴らす。

「なんだこの粗悪品は……中国製か?こんなもの今どき暴力団でも持っていないぞ」
「だよなぁ。日本も今や半分銃社会になっちまったから、態々海外からから密輸する必要もないもんなぁ」

 もう今から3,40年も前の話になるが、日本は異能者を示す記号である「ベルガー」の犯罪者対策としてベルガー法を制定した。それに伴い、生身の人間でベルガーに対抗するには特殊な武装が必要であるとして銃器の所持規制を緩和したのだ。
 今では民間警備会社も国のチェックさえ受ければ武器を所持できるし、銃器メーカーもいくつかある。それなりの組織力を持っていれば拳銃を手に入れるのは難しくない。尤も、流通している弾丸の7割がゴム・スタン弾なので実弾を手に入れるのは難しいが。

 だが、今はそれは置いておかなければならない。何故ならば、俺達にはこの謎の黒服野郎よりも先に扱わなければいけない大きな案件が残っていたからだ。
 そう――先ほどから事務所の床にへたり込んで不安そうにこちらを見ている少女から依頼内容を聞きだす、という重要な案件が。


 = =


先ほど拘束して事務所の「おしおき部屋」に閉じ込めた黒服の男を見ても、少女と犯罪が絡んでいることは明白だ。ちなみに彼は後で衛によるマンツーマンの「取り調べ」が待っているが、それはいったん意識の隅に追いやる。

 少女はサイズの合わない大きなワイシャツを着た10歳前後の子供だった。

 下着はつけているように見えずシャツの隙間からは肌の色が見え隠れしていたので、取り敢えずもう1枚上着を羽織らせ、衛には適当な子供服を買いに行かせている。足は靴も履いておらず裸足で随分汚れていた。あどけない顔は憂いを帯び、長めの前髪が顔に垂れ下がっている。
 暴行された形跡は見当たらないが、日本の都内でこんな格好の子供がうろついているという事態は普通はない。つまり彼女は普通ではない経緯でここに縋ったと考えるべきだろう。

 浅黒い肌の色からして中東あたりの人間にも見える。少なくとも日本人には見えないが、はっきりとした事は本人に聞いてみなければ分からないだろう。不法入国かとも思ったが、流石にこの年齢で自発的にやったとは思えない。かといって組織的にかと言われるとどうもしっくり来ない。風俗業や労働をやらせるには小さすぎる。
 改めて、来客用ソファの上で大人しく座っている少女に声をかけた。
 相手と自分の距離感を測るにはまず名前から、だ。

「……さて。君、名前は?」
「アビィ、って呼ばれてます」
「アビィちゃん。君がこの事務所に助けを求めてきたのは、あの事務所を散らかしてくれた黒服のおじさんと関係あるのかな?」
「……………」
「いや、別に君に対して怒ってたりはしないよ。割とよくあることだし、気にしないで」
「………はい」

 不安そうに上目づかいでこちらを伺っていたアビィは、何といえばいいのか分からないのか俯いて黙り込んでしまった。ひょっとしたらこちらに邪険に扱われると思っているのかもしれない。
 それもと、助けてほしいその理由を言い出せずに困っているのか、と彼女を見ながら黙考した。
 彼女はどう見ても訳ありだ。どんな風に聞き出せばいいか考えた俺は、取り敢えず当たり障りのない部分から触れる事にする。

「アビィちゃん、日本の人には見えないけどどこの出身なの?」
「……分かりません。物心ついた頃には日本にいました」
「なるほど。日本語が上手だと思ったら、日本育ちなのか。親御さんは?」
「オヤゴ?」

 親御という言葉に馴染がないのか不思議そうな目でこちらを見るアビィ。
 これはちょっとしたミスだ、と苦笑してもっと分かりやすく喋ろうと意識を改める。

「お父さんとお母さんの事だよ」
「……分かりません」
「つまり、両親は一緒じゃなかったってこと?」
「だと、思います。私の周りにいるのは東洋人ばかりでした。同じ肌の色の人、見たことがありません」

 恐らくは孤児なのだろう。非合法組織が人さらいまがいのことをするのはいつの時代もあることだ。彼女もそのようなものか……もしくは貧しい家であるがゆえに親に売られた可能性もある。どちらにしろ身寄りはなさそうだ。
 そして周囲は東洋人ばかり、という言葉が引っかかる。
 日本に長くいたらしいが、東洋人という表現をしたという事は、彼女の周囲にいる人間は日本人ではない可能性が高い。隣の大国である中華統一連邦……通称『中統連』系列の組織かもしれない。

「今まで何所にいたの?お友達は?」
「分からない……外の事は教えてもらえなかったです。いつも狭い部屋にいました。周りは私の世話をしたり連れ回す大人しかいませんでした……」
「ふぅん……それは、寂しかったね。何か、無理やりやらされている事とかあったの?」
「それは………」

 少女は躊躇いがちに、こちらの顔色を伺うような目線を向ける。
 その目はまるで何かを恐れ、その恐れを打ち明けて良いかどうか分からないままこちらを量っているようだった。その疑心と不安の入り混じった表情に、俺は既視感を感じた。
 これは――この顔は、昔に何度か見たことがある。ベルガーと一般人の境で揺れる、拒絶を恐れる特別な感情。
 ――もしかしたら、彼女は。
 ひとつの可能性に思い至った俺は、もしやとその疑問を口にする。

「君はもしかして……ベルガー、いや、人とは違う不思議な力を持っているんじゃないか?」
「え………?な、なんで……」

驚きの余りに目を見開いて怯えた表情を見せるアビィ。
その態度の変わり様を見て、俺は自分の仮説が正しかったことを確信する。

「ああ、実はね――俺も持っているんだ、不思議な力」

俺は彼女を安心させるように微笑んで、特別に彼女に自分の異能を見せてあげる事にした。

「みせてあげるよ。これが俺の――」



彼女はそれに驚き、怯え、それに害がないことを確認すると興味深そうにそれに見入った。
そして心の底から安堵したような声で、「私だけじゃなかったんだ」と呟いた。