つぶやき

空宮 汐兎
 
『荒木飛呂彦の漫画術』
どうもこんにちは。
前々から読みたいとは想っていたのですが、
つい読みそびれてしまっていた本を遂に入手しました。
まだ途中ですが、流石荒木先生! と随時叫びたくなるような素晴らしい本です。
そこでワタシが気に掛かった部分、現在連載中の小説とも繫がる部分が
あったのでここに記載します。
一部「シャナ批判」になってしまうのですが、
ソレが苦手な方は「戻る」ボタンをよろしくお願い致します。






『ヒーローは孤独に闘う』

~そもそも、誰かと一緒でないと戦えないなんて、
それだけでもう「ヒーロー」とは言えません。
戦う時にみんなを引き連れていくような人間を見ると、
「他人に頼らないで自分でやれよ」と思ってしまいます。
仲間がいたとしても、戦う時は自分だけが頼り。
そうでなければ、ヒーローの資格などないでしょう~
「第三章 キャラクターの作り方より」




初め読んで少々意外に想ったのですが、
言われてみれば「ジョジョ」に「仲間」はいますが、
戦闘中に成り行きで共闘する事はあっても
~助けてくれ、~頼りにしてる、~がいてくれて良かった
等のような描写は殆ど出てきません。
これは物質的な「一人」ではなく、
あくまで「精神的に」孤独(孤高)という意味なのでしょう。
ですから5部で言うとブチャラティは、
ボスを裏切った後それまでの仲間(部下)に
「ついて来い」とは言いませんし、
徐倫も無実で女の子なのに、過酷な刑務所の生活の中で
兄貴(エルメェス)やエンポリオに泣きついたりはしません。
7部のルーシーですら、戦いに巻き込まれて絶望的な状況でも
スティール氏に心の中でも助けを求めたりはしないのです。
(寧ろ護ろうとしています・・・・(ノД`))
やはりそう言った「気高さ」が我々読者の心を打つのであり、
「共感」や「憧憬」に繫がっていくのでしょう。

上記の事に灼眼のシャナ「原作」を絡めると、
どうしても「否定的」な意見になり
ソレについては前に書いたので割愛しますが、
(まぁ組織同士の命運を賭けた一大決戦の真っ最中なのに、
ドレス姿で相手(敵)の気を引こうとしていた人には
正直唖然としましたが・・・・('A`))
以上の事を踏まえると、ジョジョとのクロスであるワタシの小説は、
多分にその「影響」を受けていたのだなぁとしみじみ感じた次第です。

例えば一部でシャナが「承太郎には頼らない」という描写が出てくるのは、
コレは兎にも角にも彼女が「ジョジョキャラ化」している事の顕れであり、
(だってアブさんの代わりだから)
それだけ承太郎やジョセフの存在が大きいコトを意味します。
二部のマージョリーについても同じコトで、
花京院が十分な戦力になるのに傍にいてもらわず一人を選ぶのは、
「自分より他人を大事にする」というジョジョ主要キャラの
典型的な特徴でしょう。
今回また新しい人が出てきましたが、
彼女もまたジョジョのキャラ(誰とはいいませんが)と関わるコトにより
変化していくのだと想います。
「原作」とキャラが変わるコトに、拒絶反応を持つ方もいると想いますが、
「良い変化」ならワタシは一向に構わないと考えます。
ソレはワタシ(作者)という人間ではなく、
荒木先生という偉大な巨匠の考えに基づいているわけですから
「悪く」なり様がないのです。