4部分:第四話
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「酒か」
十郎はその透き通った酒を見てふと呟いた。
「あれも。好きじゃったのう」
「あれっていいますると?」
「いや、何でもない」
だがそれは誤魔化した。伊達に男意気で売ってきたわけではない。昔の女のことを今床を共にしたばかりの女の前で言うような無粋な男ではなかった。
「まあ飲め」
そして花魁にも酒を勧める。
「ただし飲み過ぎぬようにな」
「わっちは酒には弱いんで」
「それでも飲めないというわけではあるまい」
「あい」
それに応えて飲む。その飲みっぷりは中々見事なものであった。
「飲めるではないか」
「左様でありんすか」
「そこまで飲めれば見事なものじゃ。まあそれでも程々にな」
三吉が酒で死んだことが頭にあった。それでこう言ったのである。ああしたことがあってはとても飲めとは勧められなかったのだ。
自分も杯を近付けた。そしてその中を覗き込む。
そこには月が映っていた。白銀の大人しい光をたたえていた。そこにはもう一つ別のものが映っていた。
「むっ」
それは蝶だった。色彩り彩りのあげは達がそこに映っていた。
黄色いのもいれば青いのもいる。白いものや黒いものもいた。それは濃紫の空の中に上から白銀の光を浴び、下から赤い提灯の光を浴びて舞っていた。そして夜の空を飾っていた。
「酒に映っておるか」
十郎はそれを見て呟いた。
「酒の中に。じゃからか」
三吉がどうして死ぬまで酒を飲んだのかわかった。この蝶達を見る為であったのだ。
今それがようやくわかった。そしてそれがわかると急にいとおしい気持ちが胸に湧いてきた。
「あの時に言えばよかったのにのう」
蝶のことを言った晩のことを思い出した。不意に目に涙が宿る。
「どうしたでありんすかいな」
「何でもない」
咄嗟に誤魔化した。
「目にゴミが入っただけじゃ」
「左様でありんすか」
「それよりな。また注いでくれ」
こう言って杯を前に出した。
「今宵は。飲みたい」
「それでは」
花魁はそそっと十郎の側に寄った。言われるがままに酒を注いだ。
「どぞ」
「うむ」
また杯を見た。そこにはまた蝶が映っていた。
「吉原にだけ見られる蝶か」
心の中で呟く。
「これが夢か。成程な」
夢幻と現実の狭間にある場所。そしてそこで現実にいながら夢幻により近付いた時に見えるもの。それが蝶であったのだ。
十郎はそれを眺めながら酒を飲む。ふと上を見上げる。そこにはあげは達が美しい羽根を拡げて飛んでいた。そして夜空を覆っていた。
あげは 完
2006・2・18
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