第十二話 光の符号その一
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第十二話 光の符号
向日葵はまずだ、六人に自分の身の上から話をはじめた。
「私は薊ちゃん達と同じで本当の両親は知らないの」
「そこも同じなんだな」
薊は女の子座りをしても薊だ、それで腕を組んで言うのだった。
「あたし達と」
「そう、それで最初は孤児院にいたらしいのよ」
「何時からこのお寺に入ったの?」
裕香がこのことについて尋ねた。
「それで」
「物心ついたらよ」
それで、というのだ。
「捨て子とかじゃなかったみたいだけど。最初は孤児院に、誰かが預けたらしいのよ」
「本当の親御さんが?」
「何処の誰かは全然わからないけれど」
「それでもなの」
「そう、それで赤ちゃんの頃に。今のお父さんとお母さんが里子を貰おうってなってね」
「宗教家の人はそうですね」
ここで言ったのは桜だった。
「里親になる人が多いですね」
「そうなの、天理教の人が多いけれど」
自分達が親となり孤児の子を育てるのだ。養子と言えば確かにそうなる。
「うちのお父さんとお母さんもそれになっててね」
「それでなのね」
「私を引き取ってくれたの」
向日葵はこのことを微笑んで皆に話した。
「それでこのお寺の娘になったの」
「住職さんってどういう人なの?」
菊がこのことを尋ねた。
「向日葵ちゃんのお父さんとお母さんは」
「とても優しくてしっかりした人達なの」
それが彼女の今の両親の性格だというのだ。
「とてもね」
「じゃあいいご両親なのね」
「そうよ、私も実の親みたいに可愛がってくれてるから」
「皆あれね。孤児で血はつながっていない両親だけれど」
菖蒲は自分のことも含めて言った。
「それでも」
「だよな、いい親御さん達だったりな」
薊がその菖蒲の言葉に応える。
「悪い人達が周りにいなかったな」
「幸いなことね」
「渡る世間には鬼ばかりじゃないんだな」
「鬼ばかりだとどうにもならないわ」
何故かとある女性脚本家の作品には癖が強いというか人格に非常に難のある女性ばかり出るが。渡る世間は鬼ばかりと言うよりはよからぬ因縁の持ち主ばかりと言うべきか。
「世の中は」
「そういうものか」
「極端におかしな人はそうはいないわ」
「稀か」
「ええ。そうした人に会うのは因縁か運不運かはわからないけれど」
「そんなにいないか」
「そうはね」
そういうものだというのだ。
「当然そうではないこともあるけれど」
「とんでもねえ奴も実際いるからな」
「けれどおおむねはね」
「あたし達みたいにか」
「周りにいい人が沢山いてくれているから」
菖蒲自身にしてもそうだ、彼女の両親にしても。
「向日葵ちゃんもそうみたいね」
「うん、お父さんもお母さんもお兄ちゃん
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