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蛭子
第五章
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「私を見てそのまま気が狂った方もおられます」
 顔は変わりはしなかったが声が変わった。悲しみを帯びていた。
「そんな私ですが。宜しいでしょうか」
「はい」
 彼はまた頷いた。今までは金目当てでしかなかったが今の彼女の声を聞いてそれがほんの少しだけ変わった。不意に彼女への同情心が沸き起こったのであった。
「私でよければ」
「それではお願いしますね」
「はい」
「これから何かと御迷惑をおかけしますが」
「いえいえ」
 だがまだ金への想いはあった。ここでふと同情心から金が目当ての仕事へと心を戻した。
「これが仕事ですから」
「では」
 朝食が終わると彼は昨日主に言われた世話をした。服を寝巻きから普通の着物に替え布団もしまった。そしておしめも替えたのであった。手も足もなくしては何もできはしない。だから彼が替えたのであった。これも仕事であった。 
 最後に大きめの茶碗に水だけを置いて蔵の中を後にした。この時鍵をかけ忘れぬよう主にはきつく言われている。彼はそれを忠実に守り鍵を閉めた。そして自分の部屋に戻るのであった。
 これ以外には何も仕事はなかった。朝昼晩に三回食事を持って行き、そして服を替えたり布団をあげたりおろしたりするだけであった。彼は空いている多くの時間はこっそり外に出て遊びに行ったり、何をするわけでもなくぼうっと過ごしたりして時間を潰した。慣れてみれば至って楽な仕事であった。外に出るのも少し位なら黙認してもらえた。それを考えるとやはり楽な仕事であった。
 キヨの世話も楽であった。確かに最初はおしめを替えたりといったことが嫌であったが慣れるとそれ程でもなかった。キヨ自身も摺れたところのない気の優しい少女であり話していて嫌な気はしなかったそして何日も何ヶ月も共にいるうちに互いに気の許せる仲になっていたのであった。
「お嬢様」 
 ある日の昼のことであった。彼はキヨに食事を届けた時に彼女に声をかけた。
「はい」
 キヨはそれを受けて顔を彼に向けてきた。うつぶせになったままの態勢で。それを見るとまるで亀の様に見えた。
「もうここにどれ位おられるのですか」
「生まれた時からですから」
 そう前置きしたうえで答えた。
「十六年か。それ程になります」
「十六年ですか」
「ええ。それが何か」
「長かったでしょう」
 彼はそこまで聞いてポツリと呟いた。
「よくも辛抱されました」
「私はここ以外の世界は知らないので」
 キヨは戸惑うまでもなくこう返した。
「長いも辛抱も。関係ありません」
「そうですか」
「ここで生まれて、ここで死ぬ。それが私の運命だと思っています」
 寂しげな様子もなくそう語った。
「ここでいることだけが私の人生なら。それでいいです」
「外の世界には興味はありませんか」
「はい」

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