Mission・In・賽の河原 後編
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もしれない。どこまでいっても神は上で、人は下なのだ。
だがもしも神が言葉を乱してなお、人類が協力し合えるとしたらどうだろう。
人が、神の思っているほど愚かな存在ではなかったとしたら、どうなのだろう。
地蔵菩薩も閻魔大王もあくまで人間が道から外れないよう手助けしているだけであり、支配する気などさらさらない。だがもしも、人間がそれを余計に思い、自分の道を示したら、自分たちはその時も存在理由を失わずに入れるだろうか。
「積石を共同で行うというのは、元来何の利点もない行為です。互いに石を積むから一人で行うより時間が余計にかかるし、そもそも赤の他人の親を供養するのに力を貸さなければいけないという損の感覚を捨てるのが難しい」
ミスをして積石が崩れれば、どちらが悪いといういさかいの元にもなるだろう、と地蔵菩薩は思う。煩悩を捨てて欲しいと思うが故、人の煩悩はよく知っている。だからこそそれを放っておくまいとこのような役割をこなしているのだ。
「積石は本来、孤独と”しじま”の供養です。他人を思いやったり手を貸すことを前提としていません。地獄ならば分かりやすい苦があるから罪人同士が手を取り合うこともありますが、他人と繋がる必要も利点もない積石では、皆で助かろうなどとはまず考えません」
「それは単純に方法が無いからだろう。勝ち馬と知れば乗るはずだ」
「本当に?突然、『助かる方法がある』などと言い出す見知らぬ子ども。目の前には完成させれば救われる積石。知っている積石と知らない子供、果たしてどちらの方が信用できますか」
「むっ・・・」
閻魔は言葉に詰まった。人は自分の知るものにばかり心を許し、未知を避けるきらいがある。特に三途の川に流れ込む大多数の日本人はそのような傾向を多く内包している。そのうえで、あの平成生まれの子供たちは一致団結して、全員が全員しっかりと協力し合っていた。抜け駆けだってやろうと思えば出来たのに、あくまで全員で積石を完成させた。
ルールの穴をついたという一点だけで、子供たちがあさましいと決めつけるのは早計だ。自分たちが、人間の可能性を甘く見ていたと思えば、喜ばしいことだともとれるではないか。
「彼らは互いに互いの未来を預け合った。損得の壁を越え、神の目論見を越えてみせた、本当のバベルの塔を作ったのだと・・・そんな素敵な助け合いをしたとも考えられませんか?」
そう言ってにっこりと笑った地蔵菩薩を見て、閻魔はやれやれと首を横に振った。
「私よりもずっと昔からここにいるくせに、お前はそんなことだから出世できんのだ。人間に甘すぎるぞ?」
「いいんですよ、好きでやってますから」
昔は彼とともに菩薩として働いていた時代がある閻魔は、その何でも許容してしまう”先輩”の人の好さに呆れた。
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