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久遠の神話
第百話 加藤との話その十一

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「確かにいいわって思うけれどね、お母さんも」
「お母さんも子供一杯欲しかったんだ」
「お父さんもね」
 二人共というのだ。
「今もよ」
「今もなんだ」
「子供は多いだけいいと思っているから」
 自分も生涯の伴侶もというのだ。
「五人は欲しかったわ」
「五人って」
「多いでしょ」
「うん、かなりね」
「けれどね。お母さんの実家の近くの天理教の教会のお家はね」
「ああ、あそこだね」
 上城も母の実家に母に連れられて行ったことがある。その近くに天理教の教会があることを覚えていての応じである。
「あの教会はなんだ」
「お子さんが八人いるのよ」
「八人なんだ」
「そう、だからお母さん達もね」
「五人欲しいって思ってたんだ」
「けれどよ」
 そう願っている、だがというのだ。
「一人だけよ、今のところは」
「僕だけなんだね」
「何とか頑張ってるけれど」
 験者進行形で、というのだ。
「まだあんただけよ」
「じゃあこれからも」
「努力していくわよ」
 夫と二人で、というのだ。
「頑張ってるから」
「じゃあ若しかしたら」
「神様が下さったらね」
 その時にというのだ。
「あんたの弟か妹ができるわよ」
「そうなんだね」
「そういうことよ。だからあんたもね」
「僕もなんだ」
「結婚したらね」
 子供が欲しくて出来なくても出来てもというのだ。
「諦めない、そして他の人を羨まないことよ」
「うん、わかったよ」
「そういうことよ、じゃあ」
「それじゃあ?」
「どんどん食べるのよ」
 今の夕食をというのだ。
「そうしなさいね」
「まずは食べることからだね」
「そう、だからね」
 食べろと言う母だった。
「身体にいいものをバランスよくよ」
「それが大事なんだね」
「お母さんこれでもいつも気をつけてるでしょ」
「食事はバランスよくだね」
「それも沢山よ」
 量も食べろというのだ。
「金田正一さんはそれで四百勝出来たのよ」
「身体にいいものをバランスよく食べたから」
「そう、だからよ」
「僕もなんだ」
「お父さんもお母さんもよ」
 自分だけでなく夫もというのだ。
「糖尿病にも痛風にも気をつけてるわよ」
「成人病にもなんだ」
「あと高血圧と脳梗塞にもよ」
 話がシビアなものになる、人間には病気が付きものでありこうした病気にも注意しないとならないのだ、それがわかっているからこその言葉だ。
「気をつけてるわよ」
「シビアだね」
「シビアよ」
 それが現実だというのだ。
「だから食事はね」
「バランスよくたっぷりとなんだ」
「お肉もお魚もお野菜も果物も」
 その全てをだというのだ。
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