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とある鎮守府の日常
手の届かない怪火
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が好きだったよ。そんな日の夜はよく海に蜃気楼が見える。だから、雨の匂いは好きだった。会えるような気がしたからな」

 一体どうやって来たのだろう。提督は思考を巡らす。
 最後の出撃の帰還時、気づかれぬよう艦隊の後をついてきたのだろう。鎮守府についたあとは姿を隠しながらここまで来た。
 暗くなっていたし遠目に見れば彼女の姿はひと目でそれと分かるものではないだろう。そうしてこの部屋の前まで来て、鍵の壊れかけている端の窓から入り込んだ。

 ずっと昔からあの窓はそのままなのだ。
 彼女がそれを知らぬはずがない。きっとそうやってここまで来たに違いないと嬉しくさえなる。

 きっと、それは酷く難易度の高い行動だっただろう。
 数を考えれば気づかれれば終わりだ。容易く蹂躙されるだろう。
 彼女はかつて、無いと確信しているのに事に付けて自身の落ち度を提督に聞いていた。確かなその自信で卒なく事を運んでここまで来たのだろう。

 もし今回のこれを言い渡したのが自分であったなら、手放しで褒めるだろう。
 その頭を撫で、ぶっきらぼうに手で振り払われる。
 そんなかつて何度となくあった絵が提督の脳裏に浮かぶ。

 耳を澄ませば雨粒の滴れる音が不規則に聞こえる。
 外にある植物の葉を打つ音、地に落ちる音、壁を叩く音。
 混じって穏やかな呼吸の音が提督に聞こえた。何度となく提督が聞いた音だ。

「今でも雨の匂いは好きだ。だが、昨日は見れなかった。どうやら一日ずれたらしい。まさか匂いだけじゃなく雨と一緒に来るとは思わなかったがな」

 空気の層の温度差により発生する自然現象がある。層で光が屈折することでそこにある物体が上下反転したりした宙に浮いているように見える蜃気楼という現象だ。
 この蜃気楼は九州の八代海でも発生し、夜の海に多くの光を揺らめかせる。
 その妖しさからそれは怪火とさえ扱われた。

 見えはすれども決して近づけぬ。
 摩訶不思議な奇妙さから妖怪の仕業とさえ扱われたその八代の蜃気楼。
 妖怪の名としての側面さえ持つその二つ名を、懐かしさと共に提督は静に告げた。

「――不知火。久しぶりだな」

 提督は瞼を開けそれを見る。
 かつて轟沈した旗艦、不知火が連装高角砲を提督に突きつけていた。






 陽炎型駆逐艦二番艦。名を不知火。
 提督が着任した時にその下についた最初の秘書艦だ。
 何度となく提督とともに出撃し、そして敵の砲撃を受けて海の底に沈んだはずの不知火が髪から水滴を垂らしながら無表情に提督を見る。
 雨が降る中、ずっと外にいたのだろう。全身が濡れていた。髪は額に張り付き、服も所々肌に張り付いている。

 不知火の姿は提督の知るそれとは違っていた。
 暖かみの見えない病
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