第六十九話 十二月になってその六
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「神父さんは駄目なの」
「けれど牧師さんはいいのね」
「そう、いいから」
「だからその場合もいいのね」
「牧師さんならね」
問題はないというのだ、牧師ならだ。
「奥さん持っていいから」
「じゃあキリスト教に入ることも」
「有り得るわ」
「何か宗教混ざってるわね」
「日本だから」
日本独特の宗教的思想がここに出ていた。
「それもありなのよ」
「そうなのね、それはまた」
「面白いでしょ」
「面白いっていうか」
それよりもだというのだ。
「国によっては信じられない話ね」
「まあ宗教が違って殺し合う話とか多いからね」
「ヨーロッパとかね」
宗教戦争と言えばヨーロッパだ、それこそ数え切れない位の犠牲者を出してきている。特に三十年戦争は壮絶だった。
「異端審問とかあって」
「あれえげつないわよね」
「けれど日本だから」
これで済む言葉だった。
「お父さんお坊さんや教会長さん達と一緒に毎年クリスマスは教会でワイン飲んで忘年会してるから」
「仲いいわね、本当に」
「それでいけるからね」
「仲よきことはなのね」
「というか神様と仏様が喧嘩する理由ないでしょ」
景子は実にあっさりと神仏習合を言ってのけた。
「維新の時お寺攻撃したけれど」
「ああ、そんなこともあったわね」
日本史の授業でもある話だ、すぐに収まって何よりである。
「そういえば」
「あんなことないに限るから」
「あくまで仲良くなのね」
「だってね、法皇様おられるじゃない」
「後白河法皇とか」
「陛下は神道のご本家って言っていい方よ」
天照大神を祖とされるからだ、それが為皇室はよく伊勢神宮にも参られているのだ。伊勢神宮こそは日本の神道の本山と言うべき社なのだ。
「その方が仏教に出家されてたのよ」
「宗教的な違いは軽々と乗り越えてるのね」
「日本はね、そもそも仏教の宗派も一杯あるでしょ」
「浄土宗とか真言宗とか」
「禅宗でも一つじゃないわよ」
日本程仏教の宗派が多い国もないのではないか、そう思わせるだけ日本の仏教の宗派の数も多いのだ。
「密教だってね」
「空海さんとか最澄さんとか」
「そうそう、本願寺だって東西に分かれてるから」
東西にだ、それぞれ大阪と京都に本山がある。
「神社も無数にあるでしょ」
「そこに天理教もあって」
「キリスト教もね」
「イスラム教もありそうね」
「あそこは聖職者いないから」
イスラム教の特徴の一つだ、ムハンマドが他宗教の聖職者達の腐敗を見て置かなかったと言われている。
「だからね」
「イスラム教の人はいないのね」
「そう、そもそもね」
「そもそも?」
「八条町にムスリムの人は少ないわよ」
こう言うのだった。
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