第六十六話 ゲリラライブその十二
[1/2]
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
「けれど何よりもね」
「性格を見たのね、お母さんの」
「ええ、そうよ」
「お母さんの性格ね」
「そう、お母さんの性格なら毎日明るく過ごせるって」
「そう思ってなのね」
「お母さんと結婚したのよ」
そうだったというのだ、彩夏の父はそれを理由として彼女を自分の妻即ち生涯の伴侶としたのだというのだ。
「お母さんもお父さんならって思ってね」
「明るく生きられると思ったから」
「結婚したのよ」
「そうなのね」
「実際お父さん明るいでしょ」
「能天気とも言うかしら」
この辺りも捉え方で違ってくる、彩夏はここではこう言った。
「それでも明るいことは確かね」
「そうでしょ」
「細かいこと言わないし」
「だからよ。八つ当たりもしないから」
そうしたことをする人もいる、機嫌が悪いからといってそうする人がいるのもまた世の中だ。
それでだ、彩夏もそうした人はどうかというのだ。
「いいって思ったのよ」
「DVもしないし」
「DVは問題外よ」
最早というのだ。
「論外よ」
「そうよね、やっぱり」
「暴力はいけないわ」
決してだというのだ。
「それは誰でもだけれどね」
「そうよね、暴力はね」
「振るわれたら嫌でしょ」
「ええ、絶対に」
彩夏も暴力は嫌だった、それで言うのだった。
「痛いから」
「暴力を振るう人は弱い人よ」
「心がよね」
「そう、心がね」
腕っ節はどうか知らないがそうした意味での弱者だというのだ。
「弱いのよ」
「そうなのね、心が」
「弱いから自分より弱い相手を殴ったりするのよ」
「八つ当たりとかで」
「そう、そうするのよ」
「だから最低なのね」
「弱い相手を殴っても何にもならないわ」
腕っ節の意味だ、この場合の弱いというのも。
「奥さんや子供を殴る男は最低よ」
「よく聞くけれどね」
「結構いるけれどね」
尚夏目漱石にもこの話がある。自分の息子をステッキで滅茶苦茶に殴り飛ばしていたというのだ。元々漱石には被害妄想で神経質なところがあったという。
「そうした人も」
「嫌なことよね」
「嫌なことでもね」
それでもだというのだ。
「そうした人がいるから」
「そうした人とはなのね」
「絶対に一緒になったら駄目よ」
このことは強調して言う母だった。
「いいわね」
「ええ、わかってるわ」
「暴力は駄目だから」
例え何があろうともというのだ。
「それだけはね」
「そうよね、最低よね」
「だからお父さんはそのことでも合格よ」
暴力を振るわない、この点でもだというのだ。
「旦那さんとしてお父さんとしてね」
「旦那さんとしてもなの」
「当たり前よ、暴力を振るうとそれだけでアウトよ」
人間としてだ、、そうなるというのだ。
「
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ