第六十六話 ゲリラライブその十一
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「実際にね」
「それで小さい胸が好きな人もなの」
「そうよ、いるから」
だからだというのだ。
「彩夏ちゃんはそっちの人にアピール出来るわよ」
「そうなのね」
「胸はどっちでも生かしていけばいいから」
「大きかったら大きいなりに」
「そうよ。小さいなら小さいなりにね」
そのどちらでも好み次第だというのだ、大きい胸にも小さい胸にも同じだけいいものが入っているということである。
「いいのよ」
「つまりどっちでもいいのね」
「ええ、そうなるわ」
実際にその通りだと答える母だった。
「胸のことであれこれ言うことは意味ないことなのよ」
「ううん、そう?」
「そうよ。胸はどっちでもいいのよ」
まだこう言う母だった。
「大きかろうが小さかろうが」
「私大きいの気にしているけれど」
「それは幸せなことでね」
「小さくてもなのね」
「それはそれで幸せなのよ」
それもまた然りというのだ。
「いいのよ」
「そういうものかしら」
「男の子の好みも千差万別だからね」
「十人十色ね」
「まさにその通りよ」
「だからなのね」
「小さい胸もいいのよ。もっと凄い人になると」
母の言葉は続く。
「大きくても小さくてもよくなるのよ」
「それって誰でもいいってことよね」
「そう言うかも知れないわね」
「というかどう考えてもそうでしょ」
胸が大きくても小さくてもいい人はそうなるとだ、彩夏は母に返した。つまり無節操な人間だというのだ。そうした人間は。
「大きいのもいいのよね」
「小さくてもね」
「じゃあやっぱりね」
「無節操っていうのね」
「どう考えてもね」
「そうね。そうした見方もあるけれど」
母もその見方は否定しない、娘のそれは。
しかしだ、あえてこの見方も出したのだった。
「器が大きいとも考えられるのよ」
「相当に好意的な見方よね」
「それでもよ」
「器が大きいっていうのね」
「そう、つまり胸の大きさで女の子を見ない人よ」
「中身とか?」
「他の場所を見ている場合もあるけれどね」
女はまず胸からはじまるというのがルイ十五世の言葉だ、しかし女性は胸だけではないというのもまた真理なのだ。
「ウエストや足、鎖骨の辺り、脇、お尻とね」
「何でもなのね」
「顔もね」
これもだった。
「とにかく何でも見られるけれど」
「胸にこだわらない人は」
「そう、そうした人もいるから」
中身、つまり心を見る人もだというのだ。
「そうした人を見付けるのが一番よ」
「そうなのね」
「うちのお父さんはね」
「胸にこだわらなかったの?」
「顔は見たわ」
母は笑顔で言った、よく見れば彩夏がそのまま年齢を経た顔だ。とはいっても目元にも口元にも皺はなく脂肪もついていない。
「
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