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蒼き夢の果てに
第5章 契約
第86話 紅い月
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資料が地球世界の本の中に存在して居ます。

 幾らなんでも、そんな有り触れた物が流れたからと言って、簡単に仕事を放り出して家に帰る訳には行かないでしょう。
 日本の平安時代の貴族じゃないんですから。

 ただ……。

「それに俺は、太白西に寄りて、その光芒に変あり。これは凶事の前触れです。などと白羽扇片手に澄まして口にするタイプの人間でもなければ、三本目のマッチに火を灯す少女でもない」

 ただ、流石に先ほどの言葉で投げっぱなしにして彼女の心遣いを無碍にする事は出来ないので、少し軽い調子でそう言葉を続ける俺。
 それに、確か伝承やおとぎ話では、このふたりとも星が流れる夜に死亡したはずですか。

 しかし、その自ら発した言葉……。
 太白。つまり、金星から前回のゴアルスハウゼン村で起きた事件を連想して、一瞬、何か得体の知れないモノに背中を撫でて行かれたような気がしたのですが……。

 僅かな油断。いや、こんな場所で油断をした、などと言う事は有りません。ただ、呼吸をするぐらいの僅かな隙。
 甘い微かな香り……彼女の肌の香りが鼻腔を擽り、未だ少年の域を大きく出る事のない体型……厚くたくましいとは言えない胸板に、彼女の華奢な身体を感じる。

 驚きのあまり一瞬、息が詰まり、無理に平静を装うとする俺。が、しかし、薄い衣服越しに彼女の心音を感じる度に、俺の心臓もそれに合わせてスピードを増して行く。

「あなたが必要以上の接触を嫌って居る事は知って居る」

 俺に全身を預けた形……左肩の位置で彼女の声がする。
 確かに、必要以上の接触は好きではない。ただ、それ以上に彼女との距離感を掴みかねていたのも事実。

 無防備に。何の衒いもなく一歩踏み込まれると、逃げる事も、躱す事も出来ずにただ狼狽えるしか方法がなく成る不器用な人間ですから。
 俺と言う人間は……。

「わたしも傍に居られる。ただ……。ただ、それだけで幸せだった」

 あなたに見つめて居られるだけで。あなたの香を感じて居られるだけで幸せだった。
 耳元で囁かれる彼女の声は心地良く……。

「それでも……」

 僅かな沈黙。いや、言葉は必要ない。

 甘い肌の匂い。視覚や聴覚と違い、臭覚と言う物は、好きと嫌い。このふたつしか分類がない。
 そして、彼女を近くに感じる時、何故か、遠い幼い日の懐かしい思い出が込み上げて来る事が有る。

 ずっと、ずっと幼い頃の思い出。今よりもずっと、ずっと幸福だったあの頃の思い出を……。

 自らの身体を支える為、そして、彼女の突如の行動に対処する事が出来ず、翼ある竜の背に置かれたままで有った右腕をそっと彼女の背中に回し、
 その瞬間、彼女のくちびるから漏れ出た吐息を、俺の首筋が感じた。
 やがて……
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