第五章、その3の1:影走る
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である。
『夫人の腹が膨れて、懐妊したのが誰の目にも明らかになった時だ。ちょうど冬の始まりの頃であったか。貴族の妻となった女性が懐妊した際には、宮廷魔術師が『儀式』を執り行う事になっている。生まれてくる子供が健康で、聡明であるように祈る簡単なものだ。
ところが夫人は、『既に個人的にやってあるため不要だ』と言いおった。不思議よな。娘を得た時などは大々的に行ったというのに』
それを持ちだして、カーターとの関係を追及すると、夫人は泣く泣く事実を認めたらしい。彼女は己を求めぬ夫に苛立ちを募らせ、その腹いせにカーターと寝台を共にし、男爵がいない隙を見計らっては事に及んでいたという。丁度妊娠が発覚した時期にカーターが王都を逃げた事で、彼女は己の罪深さを深く自覚したようだ。
執政長官は彼女に事の真実を明らかにせぬよう厳命すると、すぐさまカーターを捉えんと兵を遣わした。故郷の村が近くにあるため捕縛は容易であると思われた。
『……だが逃した。やつが一歩早かった』
不覚にも先手を取られた長官はカーターの動向を探り、つい二週間前、彼が西へ向かったのを突き止めたという。宮廷に騒乱の種を持ちだしかねない醜聞の元凶が、足跡を残していたのだ。
かくしてコンスル=ナイト随一の忠実なる騎士であるミルカに、密命が下った。
「カーターを探し、始末しろ」
自身に課せられた使命を、ミルカは黒パンの最後の一切れをもって噛みしめた。パン屑が浮かんだ水をごくりと飲み干す。水差しの水で口を軽くゆすぎ、残った水で顔を洗うと、装備を身体に身に着け始めた。
カーターが逃げたのは王国最西端の村よりさらに西。すなわち帝国だ。事前の根回しでいくらか準備が整っているとはいえ、暫く王都には帰れないのも予想できる。鎧は鋼鉄製で、近衛騎士も愛用する軽くて耐久力のあるものだ。これを隠すために熊の皮で作られた茶褐色の地味なマントを羽織る。夏場では蒸れやすいが仕方がない。目立った格好をしてはカーターに警戒される恐れがあった。
忘れてはならぬ得物ーー最も得意とする全長八十センチほどのロングソードーーを腰に差すと、他の宿泊客を起こさぬよう気を払いながら、ミルカは外へと出た。厩舎にある馬に乗ると、そのまま西へと歩み始め、村の敷地から出るのを機に一気に走る。
村に燈る赤い光から離れていく。星月の明るみは頼りにはならないが、街道の幅は大きいために迷う事は無かった。懸念があるといえば、この先で待ち合わせをする事になっている者が、無事であるかどうかであった。
ーーー獣などに襲われていないだろうな……いや、それはないか。国境警備がそんなに疎かになっている訳が無い。
丘を二つ越えた所でミルカは大きな川に対面した。北の山脈から南へと流れる、暁の光(ドーン・ライト)と
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