第一章
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第一章
色と酒
大村潤一郎の名前を知らない人間はこの大阪にはいない。ただしあまりよくない意味でだ。
「今日は男か女か」
「どちらにしても好きな御仁ですわ」
大阪で至るところでこう言われている。明治が終わり大正になってハイカラになったと言われている大阪においてとかく浮名の絶えない男であった。
背は高く顔立ちは実に立派である。京都の大学を出て今は文士をしている。だが文士としてよりも色事の方で有名な男であった。
「君、やっぱりあれだよ」
いつも遊んだ後で友人を酒場に連れ出しては楽しげに言うのである。
「人間遊ばないとね。駄目だよ」
「それは男とかい?女とかい?」
「どちらでもだよ」
彼は陽気に笑ってこう答えるのが常であった。
「いいかい、人間はこの世を楽しむ為に生きているんだ」
「楽観的な人生哲学だね」
「少なくともショーペンハウアーとはいかないね」
十九世紀ドイツの哲学者である。所謂厭世哲学で有名だ。元々キリスト教には多分に厭世的なものもあるが彼はそこに東洋の思想の影響を受けたと言われている。
「あんなものは願い下げさ」
「そうは言ってもドイツでも遊んだのだろう?」
「ドイツはちょっとね」
彼は海外留学の経験もある。頭が切れたので将来を期待されてのことである。しかしそこでも遊び倒していたという御仁なのだ。
「美人が少ない」
「そうなのか」
「ついでにイギリスも少しね」
そう述べて顔を曇らせる。見れば今彼が飲んでいる酒はドイツのものでもイギリスのものでもない。それが酒にも出ているようである。
「いいとは言えないね」
「じゃあどの国がよかったんだい?」
「ヨーロッパじゃイタリアだね」
彼は急に顔を明るくさせて述べた。
「それかフランスかスペインか。やっぱりそうしたところに限るよ」
「また随分とドンファンな好みで」
「ドンファン!?褒め言葉だね」
彼にとってはそうである。そのイタリアから輸入された高価なワインを楽しみながら友人に答えてみせるのであった。
「願ってもない言葉だよ、それは」
「日本人なのにか」
「日本人だってドンファンになれるんだよ」
グラスを掲げて楽しそうに述べる。
「しかもだ。西洋人は女だけだが」
「日本人は男もか」
「そうさ。それを教えてやる」
ここで酒を口に含む。飲み方も見事だ。
「世の中にね」
「この大阪でもない」
「いい場所だねえ、ここは」
酒場に入ってから一番の笑みを見せる。どうやら大阪という街がいたくお気に入りのようである。
「女も男も愛嬌があってね。実に可愛い」
「可愛いのか」
「人間は可愛いのが一番さ」
そう言うのだった。
「昨日会った少年もね。いいものだった」
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