第三章
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も多いでしょう、この問題における中心人物の一人だからです。この人物が中心となり九十一年八月に『戦後補償国際フォーラム』というものが東京で開催されこれに遺族会から五十三人も参加しました。我が国のマスコミが戦後補償問題を大きく扱う様になったのもこの頃からだとのことです。
そしてこのT・K弁護士が主任弁護人となって遺族会から三十五人が原告となり『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求』の提訴が東京地裁に為されました。この提訴は先の主婦が行った提訴とはまた違うものです。
なぜならこの提訴には元従軍慰安婦だったと主張する女性三人が原告として加わっているからです、このことが騒ぎのターニングポイントの一つになりました。
従軍慰安婦はいたのか、結論で言うといました。しかし問題はそれがどういったものであるのです。
よく慰安婦は強制的に、憲兵なり官僚なりが村々から若い女性を強制的に徴発するなり拉致するなりして慰安婦として軍の性欲処理係、あえてこうした際どい表現を使わせて頂きますがそれが実際にあったのかどうかという問題になります。
慰安婦はいました、そして挺身隊もいました。しかしそれは我が国の左翼勢力や韓国側が主張するものとは全く違うのです。
まず挺身隊、韓国ではこれを慰安婦と同義語としています。講談社現代新書から出ていた『反日感情
』という本でもその様に書かれていました。しかしこれはまた違うものです。
挺身隊は通常の労働者として働いていた女性達です、第二次世界大戦のまさに国家の総力を動員していた時代誰もが国家の命令で戦場に赴き内地で働いていました。国家総動員法がありそれに基づき誰もが戦争の下に生きていました。
それ自体を悪とすることは至極簡単ですがそうした時代だったのです、それこそ当時生きてきた日本人は誰もが戦争に協力していましたしそうでなければ日本自体が生きていられなかった、そうした時代でありました。その頃に戦争に協力をしていたことは汚点でも恥でもありません、そうした時代であっただけです。挺身隊もまた然りであり女性達は工場で働いていました。それだけのことでした。つまり挺身隊とは国家の為に働く女性であり慰安婦、即ち娼婦とはまた違うものなのです。この挺身隊に十三歳の女性が入っていたことから従軍慰安婦に十三歳の少女も入っていて犠牲になっていたと日本人の中にも信じていた人がいました。今もいるかも知れません。ですが上記の通り挺身隊と慰安婦はまた別なのです。
慰安婦という言葉は千田夏光氏の『従軍慰安婦』という本からはじまっています、この本は発刊から暫くそれ程話題にならなかったのですがこの本から生まれた言葉であることはここでお話させて頂きます。
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