第二章
[1/3]
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
その唯物史観に基づき日本の歴史を考えていきますと封建主義批判、資本家と労働者の対立、そして戦前の日本軍国主義批判へとなります。
ここで重要であることは戦前の日本軍国主義への批判です。何故唯物史観で日本軍国主義なるものが出て来てそして批判されるかといいますとスターリンの政治的思惑があったのです、もっと言えば連合諸国の政治的思惑です。
スターリンは日露戦争からの日本を悪、資本家や地主、軍部の独裁国家にしてそのうえでその日本を倒し日本を共産主義化しようと考えていましたし日露戦争の復讐も考えていました。そして日露戦争で日本が得た領土を奪還しようと考えていたのです。その為日本軍国主義を言い出し戦線の日本を悪としたのです。また他の連合諸国も枢軸国である日本を悪と断定すれば自分達が正義になりその正義で世界秩序を形成し守っているという大義名分が得られます。この考えに基づき事後立法であるニュルんベルグ裁判や極東軍事裁判が行われました。尚事後立法は法律的にあってはならない、これを許しては権力者が恣意的に法を使い誰も法律の加護を得られなくなってしまうものだということも書かせて頂きます。
話を戻しますとスターリン、連合国の考え特にスターリンが主導していたコミンテルンの考えに基づき日本の歴史学、とりわけ近現代史はマルクス主義がかなり強くなりました。その為普通に授業でファシズムという言葉も出る様になりました。
戦前の日本がファシズム国家だったのかどうかは今現在ではかなり議論のあるところです。少なくとも当時の日本はナチス=ドイツやファシスト党政権下のイタリアとは全く違う状況であったことは間違いないでしょう。政権交代もありましたし憲法も生きていました。そして東條英機が強い権限を持っていたとしても彼も完全に憲法のコントロールの下にあり東條自身法律から逸脱しようとすることは絶対にしませんでした。
むしろファシズム国家は何処だったかといいますとソ連です。スターリンが絶対者として君臨していたソ連は紛れもなくファシズム国家でありました。全体主義国家と共産主義国家は実は全く違うものではなくスターリンが推し進めたものについて言えば同じものなのです。
世界はどういった形になっているかといいますと線ではなく円であると考えると右から回って極端になる場合も左から回っていき極端になっても一緒です。もっと言えばナチスの正式名称は『ドイツ国家社会主義労働者党』です。つまり紛れもなくナチス=ドイツは社会主義政権だったのです。その証拠にナチスが国家の総てをコントロールしていました。自由経済ではなく統制経済でした。資本家の自由な行動は一切無く全ては党の方針により動かされていました。そして一つの政党による独裁、秘密警察、国軍への目付け役としての政治将校とそのあり方は紛れもなくソ連と同一のものでした
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ