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マウンドの将
第一章
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名な人物である。
 彼は怒りを爆発させたままシリーズに向かった。それこそ野村の思う壺であった。
「何も心配することあらへんわ」
 野村はこう言った。世間はヤクルト有利と見ていた。確かにこの時の西武とヤクルトの戦力差はかなりのものであった。しかしそれ以上の差があると世間は見ていた。
 それは勝負の結末ではっきるした。ヤクルトは危なげなく勝利を収めていき西武を四勝一敗であっさりと退けた。結果を見て驚く者はいなかった。皆当然だと思った。
「完敗だな」
 東尾は宙に舞う野村を唇を噛み締めながら見てそう呟いた。全てにおいて負けた勝負であった。
 この年ヤクルトは勝利の美酒を快くまで味わった。野村ID野球の面目躍如であった。
 だが翌年もそうなるとは限らないのが野球である。翌年横浜ベイスターズの監督に権藤博が就任した。
 かっては中日のエースであった。『権藤、権藤、雨、権藤』という程投げ続けた。そして二年連続三十勝という記録を打ち立てた。しかしそれにより野球生命を縮めてしまった。
 以後は投手コーチに就任した。中日、近鉄、ダイエーにおいてその手腕は多いに発揮された。
「投手の肩は消耗品である」
 彼の持論はこれであった。酷使され潰れた自らの現役時代からくる経験であろうか。練習においても投げるよりはランニング等に重点を置いていた。
 そして彼は投手の側に立った采配をした。四球を怖がらさせず心地良く投げさせた。そして流れを重視しバントや盗塁を少なくした。切れ目なく打っていく打線、『マシンガン打線』はここにもあらわれていた。
 『権藤イズム』と呼ばれる。その自由放任主義で選手の自主性に任せた指導はミーティングの少なさにも出ていた。それを見て真っ先に口を尖らせたのが野村であった。
「あんなんで勝てるわけあらへんやろが」
 彼は事あるごとに権藤を批判した。森も同じであった。口にはそれ程出さないが露骨に嫌った。彼等から見れば権藤のやり方は将にピッチャーそのものであった。
 だが権藤はそれに対しては反論は一切しなかった。
「言わせたい人には言わせておけ」
 そういった態度であった。権藤はそれでペナントに入った。
「監督になってまだ一年だしな。打線のことは殆どコーチや選手に任せているよ」
 彼は素っ気なくそう言った。これもまたチームの全てを統括し指示を出す野村や森のやり方とは全く違っていた。
「ほんまに野球を知らんのお」
 野村はまた言った。とかく権藤を何かにつけ批判した。長嶋に関しても批判も相変わらずであったがそれと同じ位権藤へも口撃を集中させた。
「打線は水物だ。まずはバッテリーを軸とした守りだ」
 これも野村や森の思想とは微妙に異なる。そして自分を監督と呼んだ場合罰金を取ったり夜間練習をしなかったりといったことも彼等の考えとは異な
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