第五章
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第五章
「次誰やねん。橋か?棒か?」
「藤井や」
「ああ、藤井か」
藤井栄治である。後に西武や近鉄で打撃コーチをしていく。鉄仮面と言われて表情がなく、しかも何も言わない男であるがどういうわけか打撃コーチとして定評があった。この時代の阪神もこうした味のある選手が大勢いた。個性に満ち溢れた愛すべき選手が多いのも阪神の伝統であり華がある理由の一つである。
その藤井がライト前に打った。これで一点返った。しかしまだ三点ある。
「猫の最後っ屁やな」
「猫かい」
「今のうちの何処が虎やねん。虎はピッチャーだけやろが」
「ホンマのこと言うな、アホ」
ここで投手の権藤が打席に入るが当然の様に藤本は代打を出した。自分と同じ姓の藤本勝巳である。
その藤本がまたヒットを放った。この日の藤本の代打策は見事に的中していた。
そして次のバッター朝井茂治が四球を選んで満塁となった。広島はピッチャーをそれまで投げていた龍憲一から二十一歳の若い三好幸雄にかえてきた。
「また若い奴出してきおったな」
「粗野な、けど若しかすると」
「ああ、若しかしたらな」
二死とはいえ満塁である。阪神ファン達のボルテージがあがってきていた。そしてそれはマウンドにいる三好も感じていた。彼は甲子園の熱気に支配されてしまった。
「球場が揺れとるな」
ネクストバッサーサークルにいるヒゲの辻はそれを見て呟いた。
「面白くなってきたで」
そしてそれを見ながら笑っていた。
甲子園の揺れは独特のものがある。地震で揺れるのではない。人が揺らすのだ。
それが阪神ファンの力だ。彼は今それを感じていたのだ。
それに飲み込まれた若い三好に何をすることも出来なかった。彼は対する安藤に四球を与えてしまった。そしてむざむざ一点を謙譲してしまった。
「あと二点か」
「ひょっとしたらひょっとするで」
「ああ」
ファンのボルテージはさらに上がっていく。阪神ファンの熱気は天井知らずであった。
「おいヒゲ!」
打席に向かう辻に声をかける。
「打てや!」
「ここで打ったらあんた男やで!」
「これやこれ」
辻は背中にその歓声を受けながら不敵な笑みを浮かべていた。
「この熱気、これが甲子園や」
彼は笑いながらバッターボックスに入ってきた。
「取られた点は取り返す」
心の中で言う。
「それがキャッチャーの務めや」
ピッチャーをリードするキャッチャーの。それが義務だと思っていたのだ。
そう思いながらバッターボックスで構える。見れば三好はマウンドの上でオドオドしていた。
「ああなったら終わりや」
辻はマスクを被る立場からピッチャーというものがよくわかっていた。
ピッチャーは投球術やコントロールといったものよりも重要だとされるものがある。
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