第一章
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第一章
ヒゲの奮闘
野球は巨人だけではない、こう言われて久しい。少なくともテレビで巨人の提灯ばかりを持っている輩共がいる状況を見ていればそうも思いたくなる。
そのアンチテーゼとして阪神がよく挙げられる。この球団にはやはり魅力がある。
勝とうが負けようがそこには華があるのだ。どんなに呆れる大敗をしても、どんなに鮮やかなサヨナラ勝ちをしてもそこには華がある。こんな球団は阪神だけである。
立派な勝利も無様な敗北も阪神には似合う。それは何故か、それが阪神だからだ。
かって巨人の黄金時代がった。幸いにして筆者は巨人の黄金時代なぞという暗黒時代には生まれてはいない。私が知る巨人は既に過去の栄光にすがるだけの似非盟主であった。巨人が負けるということは非常に喜ばしいことだ。巨人が優勝したら景気がよくなるというのは愚者の妄言だ。中学校一年、いや小学校一年程度の知能があればそんなことは関係ないのがわかる。それを堂々と言っている大人が多いということは我が国の知的レベルがそんな劣悪なレベルにあるということだ。まことに嘆かわしいことである。
巨人が勝って喜ぶ者よりも巨人の負けを見て元気が出る者の方が遥かに多い。それを考えると巨人の敗北は日本にとって非常によいことなのである。
そもそも巨人は勝ち続けなければ成らない運命にあるという。そんな巨人の何処に華があるのか。勝たなければ華がないのは本当の華ではない。負けても華があるのこそが本当の華なのである。
その点阪神は素晴らしい。引き分けでも華がある。そう、引き分けであってもだ。それは昔から変わりはしない。そう、遥か昔からだ。
昭和四二年四月三〇日、この時代の阪神には絶対的なエースが三人もいた。
まずはザトペック投法村山実。一切手を抜かない、まさに命を賭けた投球で多くの強打者を討ち取ってきた男である。その背負う背番号十一はあくまで美しく、そして凛々しかった。今その背番号は誰にも付けることが許されてはいない。村山だけに贈られる背番号、それが阪神の十一だ。記録を残し、人々の記憶に永遠に残る、そんな男だった。強大な巨人、とりわけミスタープロ野球長嶋茂雄に真っ向から立ち向かい、討ち取るその姿はまさに華であった。村山こそまさに阪神の象徴であった。彼は長嶋に対して決してアンフェアなボールを投げなかった。常に正面から投げ、そして勝負した。彼はマウンドにその全てを捧げていた。
次にバッキー、その変則投法を気の強さで知られていた。パームにナックルで巨人の強打者達を倒していく。巨人相手にノーヒットノーランを挙げたこともある。
最後に黄金の左腕江夏豊。阪神史上最高の左腕であった。唸り声をあげる剛速球が何者をも捻じ伏せた。王も彼の前には苦戦した。彼は今も阪神の心をその中に宿し
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