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二つの意地
第五章
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えるな」
「近鉄にもですが」
 権藤はそれを聞いて尋ねた。
「そうや。わしもあの人にはよう教えられたもんや」
 彼は長い間近鉄のコーチをしていた。西本の下でもコーチを務めていた。
「三原さんとはまた違う。ホンマに頑固でおっかない人や」
 鉄拳制裁なぞ日常茶飯事である。かって陸軍において高射砲部隊の将校として戦っていたのは伊達ではなかった。烈火の様に激しい気性の持ち主である。
「しかしそのおっかなさは優しさと同じや。心から野球も選手達も愛しとった」
 西本により近鉄も変わった。多くの選手達が彼に育てられた。
「わしもあの人には今まで気付かんかったことをよく見せてもらった。そして今のわしがあるんや」
 仰木の采配はただ三原のコピーをしているだけではない。そこには西本の野球も入っていたのである。
「この近鉄も同じや」
「近鉄もですか」
「そや。うちも西本さんが作り上げた球団やからな」
 そう言う仰木の目の前では選手達がそれぞれ練習に励んでいる。投手陣はランニング、野手陣はバッティング練習で汗を流している。
「よし、その調子や!」
 シート打撃では打撃コーチの中西太が選手達に声をかけている。彼は西鉄時代チームの主砲であり『怪童』とさえ呼ばれた。仰木の同僚であったのは言うまでもない。
 中西の打撃理論は定評がある。彼もまた多くの選手を育てている。
「この近鉄の野球もまた独特なもんがある。打線が強いとは言われとるな」
「はい」
 近鉄の看板であるパワー打線を作り上げたのも西本であった。『いてまえ打線』とも呼ばれる強力打線は近鉄の代名詞であるがそれも西本により作り上げられた。
「厳しくて激しい練習やったで。けれどそこからあの打線が出て来たんや」
 七十九年、八十年いてまえ打線は派手に暴れ回った。そして見事優勝をもぎ取ったのだ。
 それが近鉄のカラーとなった。おそらくかっての貧打線を知っている者はもう少ないであろう。
「昔は全然打たへんかったのにな」
 仰木はそれに言及した。
「変われば変わるもんや。これも西本さんのおかげや」
 西本道場とまで呼ばれた。極寒の中の練習で近鉄も変わったのだ。かっての阪急がそうであったように。
「これだけは変わることはあらへん。わし等がおる限りはな」
 仰木はここで上田と同じ言葉を口にした。上田がそれを言ったことは知らなくとも。
「我々がですか」
「そうや」
 仰木は彼にしては珍しく強い口調でそう断言した。
「見てみい、選手を」
 彼は選手達を指差した。
「あの連中にもそれはある。近鉄の、西本さんの志はあいつ等がおる限り消えはせんで」
 仰木はにこりと微笑んだ。そして選手達に対して言った。
「野球は来年もある。まだまだ終わりやないで!」
 そして言葉を続けた。
「来年
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