ヘルヘイム編
第4話 知らないままで
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碧沙は自宅リビングで膝とノートを抱えて宿題をしていた。
本来なら自分の部屋でやるべきことだが、碧沙があえてリビングにいるのは――
玄関が開き、足音が二つ聴こえた。
碧沙はノートを放って、エントランスへ急いだ。ぱたぱた。スリッパの音が廊下に反響する。
「おかえりなさい。貴兄さん、光兄さん」
「ただいま、碧沙」
「ただいま」
光実が笑って碧沙の頭を撫でてくれた。碧沙は締まりなく笑い返した。
光実は高校に行かず、こうして貴虎と一緒にユグドラシル社から帰ってくる日が増えた。きっとヘルヘイムの森関連で、貴虎に付いて働いているのだろう。高い頻度で、兄たちは例の果実の甘い香りを付けて帰ってくるから。
「遅くなってごめんね。もう夕飯食べた?」
「まだ。兄さんたちといっしょがよかったから」
「じゃあみんなで一緒に食べようか」
「ああ。着替えてくるから食堂で待っていろ」
「はぁい」
――碧沙は、ユグドラシルを探ろうとする紘汰たちとは反対に、兄たちの前ではヘルヘイム関係について一切口を出すのをやめた。貴虎が線引きする「守る側」と「守られる側」の、「守られる側」でいることを選択した。
初めて兄たちが揃って帰ってきた日、ヘルヘイムの最奥を見たという光実は痛々しいほど怯えていた。
光実を見て、碧沙は痛感した。
貴虎がどんな思いで自分たちに真実を隠し、独りで背負ってきたのか。
貴虎がそれほどの思いでいるものに、碧沙はずかずか踏み込めるほど厚顔ではなかった。
もしヘルヘイムの真実を知る日が来るなら、それは兄たちか咲が教えてくれた時だけだと思っている。
何も知らないままなのに信じて待つのは、つらい。自分も関わりたいという欲求はある。
だが碧沙は、何も知らない自分の存在が兄たちのモチベーションを維持することも、薄々気づいているのだ。人は守るべきものがある時に強くなるというのは、決してフィクションの中だけの根性論ではない。
無知のまま、無垢に信じ続ける。
言葉ほど簡単ではない。力を得る誘惑、知る誘惑は常に付きまとう。けれども、それを呉島碧沙のスタンスとして選んだ。
だから碧沙は、何も知らないまま笑い、毎日兄たちに「おかえりなさい」を言ってあげるのだ。明日もあさってもずっと、兄たちが何事もなく帰って来てくれるように。
碧沙はリビングに放りっぱなしのノートを回収するために、一人先にリビングに急いだ。呉島家の長女たる者、このくらいの片づけはきちんとしなければいけないのだ。
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