第八十話 残る四人その五
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「多いね」
「そうでしたね」
「うん、私にしてもあちらにもつてがあるし」
華僑のネットワークだ、本国にも至るこれはかなり広範囲なのだ。それで王もその中にいるというのである。
「行こうと思えば行けるよ」
「そうですか」
「中華街のある場所なら」
そうした場所なら何処でもだというのだ。
「店を開けるね」
「そして料理人として生きていけますか」
「包丁と鍋さえあればね」
この二つさえあればだとだ、自分の仕事からの言葉だ。
「生きていけるよ」
「中華街があれば」
「要するに韓国以外の太平洋の国と欧州の殆どの国でね」
「中華街があるからですね」
「私は生きていけるよ」
王に顔を向けて笑顔で話した言葉だ。
「それでね」
「凄いことですね」
「幸いだよ、私は腕の立つ料理人だから」
笑顔で自慢も忘れない。
「それが出来るんだよ」
「しかし韓国はどうして」
「あそこは中華街がね」
この国のことはだ、王はスペンサーに対して微妙な顔になって話した。
「つい最近までなかったんだよ」
「日本にはありますが」
「三つあるよ、日本には」
横浜と長崎、そしてこの神戸だ。三つ共観光地になっており特に横浜の中華街が大きく店も充実している。
「けれど韓国にはね」
「長い間なかったのですか」
「この前一つ復活したけれど」
これが、というのだ。
「お話にならない位小さいんだ」
「だから韓国ではですか」
「私は生きていられないよ」
拠点となる中華街がないからだというのだ。
「あの国は中華料理の店もかなり出しにくいみたいだしね」
「アメリカではそうしたことは」
「ないね、全く」
「はい、確かに過去差別はありましたが」
それでカルフォルニアでは血生臭い事件も起こっている、また中国系移民も長い間排斥されていた。アメリカの差別の歴史の一部である。
「しかし今は」
「中華街も多くあるね」
「日本よりも多い位です」
スペンサーの故郷であるシカゴにもある、他の多くの主要都市にもだ。
「そしてそこに貴方の同胞の方々がおられます」
「そうだね、けれどね」
「韓国ではですか」
「日本の統治時代にはあったらしいんだよ」
当時韓半島を統治していた日本は華僑を職業により規制していたにしても受け入れていた、、それでソウル等に中華街もあったのだ。
「けれどね」
「あの国が日本から独立してですか」
「なくなったんだよ」
初代大統領である李承晩から徹底した華僑に対する弾圧政策及び排斥運動が起こった結果だと言われている。
「そしてね」
「最近まで、ですか」
「太平洋で唯一だったよ」
まさに、というのだ。
「中華街がない国だったんだよ」
「太平洋ならどの国にもあると思っていましたが」
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