第六章
[2/2]
[8]前話 [9]前 最初 [2]次話
勘がいいのだ。これは最早天性のものであった。
「特にあの時は凄かった」
広岡は七九年のシリーズのことを口にした。
「あの時ですね」
「そうだ」
森も顔を険しくさせた。
あのシリーズにおいて近鉄は九回裏無死満塁の絶好のチャンスをつくった。マウンドにいたのが江夏であった。
「あんな投球ははじめて見た」
冷徹を以ってなる広岡ですらうならざるをえなかった。
近鉄の監督西本幸雄はここで勝負に出た。左殺しである佐々木恭介を送り込んできたのだ。
「普通ならあそこで終わりだ」
「はい。どんなピッチャーでも精神的に耐えられません」
「そうだな。もし私がマウンドにいてもそうだ」
広岡ですらそう言った。
「私もあの状況ではどうリードしていいかわかりませんね」
それに対し森はキャッチャーの視点から答えた。巨人において名捕手と謡われ、その黄金時代を支えただけはあった。
「だろうな」
広岡はそれに頷いた。
江夏はここで驚異的な投球を見せた。危うくサヨナラになる場面でその佐々木を見事三振に仕留めたのだ。
西本は次のバッター石渡茂には最初は打つように言った。だが一球目石渡が見送ったのを見て考えを変えた。
「あの時の西本さんの判断は決して間違いではなかった」
広岡は言った。
「私ではあんなことは考えもつかない」
「同感です」
二人はその場面を思い出して思わず身震いした。
西本はここでスクイズのサインを出した。まさかの奇襲である。
三塁ランナーは盗塁マシーンとまで言われた藤瀬史郎だ。牽制球の名人江夏ですら防ぐのが不可能な男だ。単に脚が速いだけではない、その走塁技術も素晴らしいものであった。無論ホームへの突入も。
江夏はこれを予想していたという。だが何時くるかわからない。
「少なくとも私ではあそこは外野フライで一点といきたいが」
「相手が相手です。そうそう簡単にはいきません」
「そうだ。しかも広島の守備は固い。下手に打てば」
併殺打だ。それで全てが終わる。
「腹をくくらなくてはならない時だった。西本さんは腹をくくった」
「ええ。ですからあのサインを出せたのだと思います」
二球目でスクイズのサインを出した。藤瀬がスタートを切った。
「!」
江夏は背中でそれを受けた。カーブを投げようとしていた。
[8]前話 [9]前 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ