第一章
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の持論であった。ヤクルトの監督時代はスラッガーマニエルをその理由で切っている。
昼も夜も練習した。そしてミーティングも徹底して細かいところまでやった。
「こういう場合にはどうすべきか」
選手達に考えさせた。そして意見を出させる。広岡式のシンキング=ベースボールであった。
そして相手チームのデータもこれ以上にない程収集した。そしてそこから弱点を分析するのだ。
サインも多くなった。身体で触る部分がなくなる程であった。
実に緻密な野球であった。大沢はそんな広岡のやり方を嫌った。
「あんなチマチマした競馬の管理みたいなのはいけ好かねえな」
彼の他にも広岡のやり方を嫌う者は今でも多い。坂東英二はことあるごとに批判の限りを尽くした。西武でも東尾や太田卓司など広岡と不仲が囁かれる者は多かった。そしてそれは事実だった。東尾は後に西武の監督になった時に広岡のやり方を真っ向から否定した。そして投手出身者独特の采配やチーム育成を行ったことで知られている。
確かに広岡の野球には批判は絶えない。本人もそれは自覚しているがあらためる気はない。
「言いたい者には言わせておけばいい」
これが彼のスタンスである。
「勝てればそれでいいのだからな」
だが選手達に厳しい食事管理を強制しておきながら自身が通風になり、それを後をつけていた田淵に見つかり肉食禁止を解いたり、徹底した勝利至上主義を掲げながらロッテのゼネラルマネージャー時代にはバレンタイン監督とコーチ陣の不仲を聞いて驚いたりしている。そしてこれは彼が何故今一つ球界で力を持ち得なかったかという原因であるが口が悪い。しかも言いたいことは絶対に言わずにはおれないのだ。
「あれは長嶋君のミス以外の何者でもありません」
解説者時代に歯に衣着せず平気でこう言った。
「私がいればああはなりません」
こう言ったりもする。
「高校野球より下手ですね」
実は長嶋とは仲がわりかしいいのだが、それでもこんなことを言う。
「長嶋君に原君を次の監督にするように言ったのは私だ」
これでは長嶋も困るのではなかろうか。と思うが長嶋がこのようなことを気にする人物かといえばそうではない。そもそも長嶋の後見人を自認する時点で隠し事をするつもりなぞない広岡もある意味流石だ。その原に対しても平気でこう言ったりもする。
「優秀だがまだ若い。その若さに気をつけるように」
こうしたタイプは案外多いものだ。何か言わずにはおれない。言わないと気が済まない。かってこれで巨人を追い出されたりもしている。だが何処か腹が綺麗なのはわかる。要するに頭は切れるがプライドが高く、口が何よりも先に出てしまう。今も堂々とかっての古巣巨人を批判したりしている。
嫌う人物は多いがわかり易い。だからこそ彼については好き嫌いがはっきりと分か
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