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水深1.73m 背伸び 遠浅
水深1.73メートル 背伸び 遠浅
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り着くまで。

 そう全力疾走で駆け抜けるんだ、マキオ。


   2

 坂巻町。丘の上の天神様に向けて大路・小路の坂が多い。都市開発の波は、この町を遠巻きにして迂回した。年寄りは「天神様がおられるから」と言い、若者は「この町捨てられた」と言う。実際、天神様は国から守られているのだ。そして町は天神様に守られているのか。天神様のおかげで。
「テ・・・テンジンサマの・・・おかげでねぇ・・・ふぅーん」
 「天神様を下ること四町、右に入る」の所に一面ガラスの家がある。昭和を彩る凡庸建築物に看板が上がっている。
「カワサキ☆上村モータース」
キュートな看板にモルタルの壁。色気のないアルミサッシと色気のない蛍光灯が東欧社会主義国の様。決して促販しない雰囲気が一寸無骨だ。
 「あっ! そう! 私の家、バイクを売っちょります」これが最近の僕の口癖だ。「ウッチョリマス」をロシア人風に言うと良い。

僕は店の正面、アルミサッシの引き戸をカラカラゆっくり引く。僕の体から滲む、母親に悪い予感を抱かせるであろう「雰囲気」を一つ残らず消し去りたい気持ち。僕の呼吸は浅く、カナリアのように敏感になる。その過敏を抑えるのに強い自制が働いている。

女の子の前にいるときのようにマキヲは曖昧になになっている。少し膨張したマキヲを見てその母が言う。
「どこ?」
マキヲは、「吉行」とだけ答える。ガラス戸の向こうに「気をつけて」が響く。その言葉はガラスに少し撥ねてマキヲの耳に届く。背中を丸めて歩き出す。左に曲がって大通りを目指す。制服の右のポケットに手を突っ込み鳩のマーク「Peace」を叩いている。とても重いタバコだ。

浅野吉行の家は天神様の丘と対を成す西側の丘にある。蔵前石の石垣の向こうに大きな枝垂れ紅葉が見える。それは庭の中央に坐し、その周囲は緑の芝生がきれいに整えられ、踏み石がその脇を経由している。その紅葉を背に、密に入り組んだ枝葉を見る。それらは同心円状に低・中・高と植え分けられている。光を求め広がる枝葉はそれぞれに宙を区切り、空の高さを柔らかに意識させる。家の造りは南に面した左右対称の凹の字になり、「超然」ないし「不動」の印象を与える。京都の庭職人「小川何某」の弟子の作品と言うことであった。見えることの無い水の流れが耳に届く。

呼び鈴を鳴らす。吉行が扉を開ける。格子戸の向こう、薄綿の闇がお香の匂いと混じる。敷居を跨がせるか否か、のヴェールを吉行が開けてくれる。
「まぁ入って」
僕は唇を歪ませて、プフゥーと息を吐いた。二人、小走りで縁側のウグイス張りを踏みながら、吉行は
「風流、風流」と唱える。
僕らが部屋に入る時には、すでに一階の応接間から「アイネ・クライネ・ナハト・ムジク」が流れていた。吉行の祖父の計らいである。表向きの「教養」は吉
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