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王道を走れば:幻想にて
第五章、その2の2:敗北
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る。錫杖が離れたことによって『治癒』のスピードは明らかに遅くなった。目で捉えられるほどにはっきりとした光景だ。無の空間から血液や神経、脳漿が生み出されてそれぞれの組織が再生成されていく。髄液を端緒として白い骨、そしてしなやかな筋肉が作られていくのがまざまざと見せつけられる。近くで見るとよりグロテスクであるが、マティウスのような人物にとっては、それは惹きつけられるような一種の魅力を感じさせた。破壊と創造とが一緒くたに見られるのはそうない。
 魔術と、慣れない棒術の行使によって息切れしながら老人は勝利の実感を得た。

「ふぅ......ふぅ......この私に、ここまで無理をさせるとは」

 マティウスは錫杖に凭れながら慧卓を見てごちる。じわじわと皮膚が再構築され、一通りの傷が治っていったがそれでもなお慧卓は身動ぎ一つしない。軽くその足を小突いても無反応だ。まるで子供のような寝顔ーーー何かから解放されたような無垢な表情だーーーを晒している。どうやら、本当に一難は去ったらしい。
 吹きつける風が一段と強くなった。ほとんど真横から叩き付けるようで、血に染まった雪がすぐに隠れてしまい、二人の髪はばたばたと揺れる。マティウスは錫杖を軽く振るうと、周囲に半球形の『障壁』が巡らせて風雪を凌ぐ。そして眼下の青年を見詰め、重々しく言う。

「さぁ、異界の者よ。私の奴隷となる日がきた。この私、ただ一人のために全てを投げ出せ。お前に敬意を払い、最高の名誉をもって迎えよう。死霊の傘下に入るのだ」

 頭上に錫杖をくるりと回す。軌跡をなぞるように魔法陣が作られて、マティウスと慧卓を囲うように降りてきた。マティウスは杖の石突で地面をどんと叩く。その瞬間、魔法陣が掛かっている空間が非対称に捩じられ、虚空の一点に向かって一気に集約された。二人の姿がヴォレンド遺跡から消えた。
 行使者が消えたことで、『障壁』も消えて辺り一面に猛雪が広がっていく。激烈な戦いの跡がものの数分もしないうちに白い厚化粧によって隠され、僅かな血生臭さまでもが消えていった。骨が軋むような風の唸りがヴォレンドに降り頻り、すべてを飲み込んでいく。



ーーーーーー



 慧卓の意識はふわりふわりとした白い世界に浮かび上がった。病棟を思わせるような簡易なベットに寝かせられて何もない空を見上げている。ともすれば天と地の区別すらつかぬ程の空虚な世界に慧卓ただ一人だけがぽつんと取り残されていた。
 彼の心は春の陽気にあたる小鳥のごとく平静で、穏やかであった。ここに現れる直前まであたかも海神の波濤に揉まれるような荒々しい場所で、人知を超えた何かと直面していたような気がする。だがそれを深く知ってみたいという気持ちにはなれなかった。無粋とも思えた。今はただこの虚無の揺り籠のなかでまどろんでいたい
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