参ノ巻
陸の魚
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、ただ、ただ見慣れた客間だった。
がらんとしていて、冷たさを感じさせるほどに暗い。
隅に灯台はあったが、明かりは点されていなかった。
鏡台はない。文机もない。櫃も、長持も、紅も衣も、なにもない。
なくて当たり前なのだ。
客間には、無くて当たり前のものなのだ。
僕は仄暗い中に入り、後ろ手にそっと障子を閉めた。そのまま数歩足を進めて、ゆっくり腰を下ろす。
瑠螺蔚さんは、いつもここに座っていた。
そっと畳に手を着いた時、明障子に人影が差し、楽しそうな声が聞こえてきた。
「瑠螺蔚さま!由良でございます。入っても宜しいですか?」
中からの返事を待たずに由良は続ける。
「瑠螺蔚さま、お外をご覧下さいませ。見事な桜吹雪ですわ。今日は晴れていますし、野洲川のあたりへでも参りませんか?ご一緒させて下さい」
うきうきと話を続けるその声に、僕はただ立ち上がり、障子を少しだけ押し開いた。
「・・・兄上様?」
障子はがたりと音を立てて開き、由良は初め笑顔で僕を振り仰いだ。しかしそこに僕を見留めるとその表情は一瞬で驚きにかわった。訳がわからないと言った体でぽかんと僕の顔を見、それから僕の肩越しに真暗な部屋を見た。それからまた僕を見る。由良の瞳に光が灯る。そこへみるみるうちに雫が溜まっていった。
「・・・ふふ、ふ。私、わかっているのに・・・わかっているのに、やはりここへ来てしまうのですわ」
由良はいきなり密やかに笑い出した。涙を流しながら悔いるように笑う。由良・・・。
「兄上様。私、やはり忘れられませんわ。どうやって忘れろと言うのでしょう。優しくして頂いたのですもの。瑠螺蔚さまは、私に、いつだって、とても、とても優しかったのですもの。私が泣いていれば、慰めて下さいました。間違っていることをしたら、諫めて下さいました。お慕いする方ができた時には、そっと背中を押して下さいました。嬉しい時には、一緒に喜んで下さいました。ねぇ、兄上様。どうやったら忘れることができるというのでしょうか?それでも毎日、ここへ来てしまうのに」
僕も由良も、陸で喘ぐ魚だ。流れゆく日々に、呼吸の仕方すら知らない。
義兄上もそれはあのような顔をする。毎日毎日、懲りもせずに誰も居ない客間へと向かう僕と由良を見ていれば。
こんなことを繰り返していても、瑠螺蔚さんが喜ぶ筈無いってことは、わかって、いるのに・・・。
でも、じゃあ、どうすればいいのだ。
ゆっくり、ゆっく
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