第一章
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今を生きる
森下十三は京都の第三高等学校で剣道を教えている、武道専門学校において鬼とさえ言われた人物である。
やや小柄だが引き締まった身体をしておりその剣の腕から天狗だの牛若丸だの呼ばれている、流派は柳生新陰流である。
その彼にだ、ある日学生剣道部員の一人が尋ねた。
「先生は柳生新陰流免許皆伝とのことですが」
「それがどうかしたのか」
三高の道場でだ、彼は学生の言葉に応えた。丁度稽古を終えて防具を収めたところだ。
「何かあったのか」
「はい、柳生新陰流の技ですが」
「それのことか」
「先日中島敦という小説家の本を読みまして」
学生はこのことは少し後ろめたそうに話した、戦前はまだ小説はおおっぴらに読んでいると言えない風潮があった、哲学書ならともかく。
「名人伝という作品ですが」
「どんな作品か」
「弓を極め遂には弓を持たずとも気で、です」
「気の矢を放つ様になったか」
「はい、そうした作品ですが」
「私が。柳生新陰流がそれが出来るかか」
「それはどうなのでしょうか」
「無刀流という流派がある」
森下は学生にこのことから話した。
「それは知っているな」
「はい、名前は」
「この流派は文字通り最後は刀を持たずとも戦える様になることだ」
「では」
「剣道にも気はある」
これは確かだというのだ。
「このことはな」
「それでは先生も」
「そうだな、それではだ」
ここでだ、森下は目の前にいる学生に確かな声で言った。
「明日だ、明日部員達の前でだ」
「気を披露して下さいますか」
「君達に語りたいことがある」
こう言うのである。
「そのことを見せよう」
「わかりました、気を見せて頂いてですか」
「語ろう」
毅然として語った言葉だった。
「それではな」
「明日のことを楽しみにしています」
「楽しみにしなくてもいい」
「それはですか」
「そうだ、いい」
このことはいいというのだった。
「特にな」
「それはどうしてですか?気を見られるというのに」
剣道の極意の一つだ、剣道をしている者としてそれを見ることが楽しみでない筈がない、だから彼は森下の今の言葉には怪訝な顔になったのだ。
だが、だ。森下はその彼にこう言うばかりだった。
「明日語る、そのこともな」
「そうですか」
「あくまで明日だ」
その時にだというのだ。
「語る、わかったな」
「わかりました、それでは」
森下の不動の言葉にだ、学生も頷くしかなかった。それで彼の短く刈った、まるで陸軍将校の様な頭も見つつ言うのだった。
「明日お願いします」
「それではな」
森下は武士の様に淡々と返すだけだった、学生はその彼の言葉を聞いて今はいぶかしむだけで
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