皇太子ルードヴィヒの肖像
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ゴールデンバウム王朝最後の皇太子ルードヴィヒ・フォン・ゴールデンバウムの容姿について、語られることは少ない。
記録した資料は存在するのであるが、閲覧されることは極めて稀である。
何もしなかった、と言っていい人物について、興味を抱く者はほとんどいない。
新帝国暦50年代。
旧都オーディンの歴史だけは古い二流大学にアルフレット・ブルーノ・フォン・クナップシュタインという下級貴族の学生がいる。
いちおうクナップシュタイン男爵家という貴族の家系の生まれであるが、その名前──アルフレット、ブルーノはいずれもローエングラム王朝の貴族にとって挫折と死を意味する忌避すべき名前であった──から分かるように、決して愛情や期待を受けていたわけではない。
彼はクナップシュタイン男爵家の傍系から入った父親が愛人との間に儲けた子であったため、彼の誕生はクナップシュタイン男爵令嬢であった正妻の激しい憎悪を受けることとなり、第二次ランテマリオ会戦においてオスカー・フォン・ロイエンタール元帥を裏切った二人の裏切者の名をつけられたのである。成長してからも憎悪は変わらず、男爵家の相続から排除され、単なる「家名が同じだけの貧乏貴族」として一門の末席の席次すら与えられなかった。
さらにはディッタースドルフ、ゾンネンフェルス、バルトハウザー、ハーネルといったいわゆる「ロイエンタール系」の高級軍人たちに手を回して士官学校へ入学させないという嫌がらせを行った。
士官学校の校長であったバルトハウザー中将──第二次ランテマリオ会戦で戦死した叔父と才覚においては大差なかったが、任務に骨惜しみしないことにかけては叔父に倍した。叔父の階級を超えるのに三十年かかったのは、ひとえに平和な時代であったゆえである──から報告を受けた軍の長老ウォルフガング・ミッターマイヤーが白ひげを震わせて抗議し、ようやく入学は認められたが、それも一回の訪問では埒が明かず、侍従武官メックリンガー子爵、ロイエンタール伯爵家の若き当主レオンハルトやマールバッハ伯爵、コールラウシュ子爵といった一門の貴族まで登場する紆余曲折の末であった。
「軍務だけが国家に奉仕する道ではありますまい。芸術なり官僚としての道なりあろうというもの。いくら能力があっても資質に欠けるのでは、道を誤り身を滅ぼすことになりましょう。妾はそれを危惧しておるだけのこと」
「男爵夫人。貴女はゴールデンバウム王朝の貴族なのか。たとえ名誉なき死者であろうと、斯様な死後の眠りを妨げる行いは黄金獅子旗を仰ぐローエングラム王朝の貴族のやることではありますまい」
ミッターマイヤーの抗議によって一時的に改善したアルフレット・ブルーノの処遇であったが、面目を失した男爵夫人の憎しみはかえって増す結果となった。
新帝国暦49年にミッターマイヤーが
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