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『ピース』
『ピース』
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れらのことを賢いアザラシのように首を左右に動かして見ていた。勝島君は両手を組んで股間の上に置いている。勝島君の腕が長い。
 人数の少ない教室は緊張感が少なく、僕の劣等感もわずか。競争しないことがこれほど安楽であることを落ちこぼれてから知った。
試験は始まり、そつなくこなしてゆく。そこには少々の自戒がある。勉強以外取柄がなかった僕が、勉強を否定するようにすねてしまう、この逃げの心。勝てない相手にひねくれた文句を言う心。逃げる僕を追ってくる優しい学校。将来を見るなら勉強しなきゃいけないんだろ? でも手触りのない未来。怖いな。触れることの出来ない自分の限界。読字障害があっても出来るような二度目の試験。脳天を突き抜けるような全力感など味わえない。これでいいのだろうか。
 試験の途中、不確かな知識のせいで、夢の中で車を運転するような浮遊感があったがどうにか切り抜けた。知らない世界に放り出されるような、あの心もとなさだった。脇の下には汗をかいている。シャツを黄色く染めるあのいやな汗だ。それが足の裏から、手のひらからにじみ出ていた。それでも、教室の静けさは救いだ。誰からも見られていない。手のひらをズボンの腿の辺りで拭いた。僕にまとわりつくいやな空気は立小便のように、そこかしこに流れていって放埓な気分。所詮、世界は汚れているんですよ。そんな気分。
濡れタオルを絞るように試験は終わる。それとともに僕の汗は止まる。この時間、誰かが僕から生気を奪い取っていった。干し柿のように僕は少し大人になる。「experience」その単語が頭に残っていた。
 答案用紙を採点する間、勝島君は窓を開けてグラウンドを眺めていた。そこにはチームメイトがいて、声を上げて練習に励んでいる。居場所がそこにあるのかな。僕は勝島君の足元を見ていた。長い足。柔道の着替えのとき、その足に目が留まった。ぎゅううと、自分には無いものに意識を持っていかれた。その足は膝下が長く、膝の裏っかわに小さく盛り上がったふくらはぎがあり、アキレス腱は黒人のように長かった。ふくらはぎは、よく鍛えられ筋が浮いてキレがあった。この足を見たら、女子は悲鳴を上げるだろう。心奪われるような体の一部。そんなものを持っている勝島君に、「足長いね」という代わりに「足速い?」と訊いてみた。
「競争するの?」と答えたから、僕は笑ってしまった。勝島君の声が明るかったから、僕との距離はそんなに遠くないのかもしれない。
「野球部、どうなの?」
「弱いっスよ」その声は少し硬かった。「でも、アツいよ」そう加えた勝島君は笑いながら続けた。「プロ…プロとか言ってるんだよ。いや、隣の高校からプロ出たから…」
「冗談だよね」
「冗談だよ」勝島君は少しまじめな顔になって「シニアやってたからさ、どれだけすげぇやつが世の中にいっぱいいるか知ってるからさ」と
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