新しい場所
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その二人がハチミツを身体に塗りあって、豚のように舐め合ったという話に、僕らは笑った。ついさっき僕らは豚みたいだったから。
魂の温もりがスルリと抜けてゆく。その後かりそめの覚悟が生まれる。それは一人であることの覚悟のようでもあり、もう一人ではないと思えることからくる、心の強さのようでもある。彼女は帰っていった。今頃、カントクと何を話しているのだろう? 当然そこには僕が割り込むべきではないのだけれど、「コンドームを着けるとき、カリにそれが埋まってなかなか上手くいかなかった事」や、「ベッドの上でパンティーが飛び跳ねていた事」をカントクに言いたくてうずうずしていた。
「事の後の陰茎は、萎えても幸せそうに膨らんでいるんだね」つぶやきながら、シャワーを浴びている。筋肉にリラックスを感じる。以前なら不満のある肉体にこねくり回したプライドが絡み付いていたのに。
「問題の先送りか……」
いや、このタイミングでよかったのだ。これ以上問題を抱え込んだら、自分の力では一生、解決できない大きな問題になっていたのかもしれない。このタイミングでよかったのだ。
カントクから電話が来ていた。折り返し電話をかける。もうMちゃんは帰ったから、コーヒー屋に来ないか? と誘われた。
カントクは円いテーブルでアイスコーヒーを飲んでいた。その隣に、Mちゃんの残したアイスコーヒーが、まだ置いてあった。僕もアイスコーヒーを頼んだ。
「後釜になってくれないか?」
冬道の歩きにくさは、歳をおうごとに顕著になるね。そんな何気ない話の後だった。
「俺、プロになる」
「カントク。プロ?」
「ずっと、送り続けてたんだ。今までの作品」
「後釜って? 僕が演出?」
「まったく、その通りですよ」
「竹蔵くんじゃなくて?」
「竹蔵くんは後ろに控えてもらって。彼にほとんどを任せていいよ」
「なんか、お飾りじゃない? 非難轟々じゃない?」
それからカントクは、演出における自論を語ってくれた。
演出というのは、テクニックじゃない。テクニックの有無も大事だけど、それにも増して必要なのは、相手にどれだけ心をあずけられるかということなのだ。自分が緊張感をもって生きていれば、自然に役者も緊張感をもってやってくれる。自分が理想とする世界を持っていれば、彼らはそれを少しずつでも吸収するだろう。演出と言うのは、監督がどれだけ役者を信用して魂をあずけ、一緒に高みに行こうと決心できるかにかかっているんだ。役者の態度を見ていろ。気持ちを伝えるために、どんな手を使うのか。いかにしてその長い道のりに塞がる、見えない壁を突き破るか。大きな声か? きれいな涙か? 顔芸か? いや違う。その壁に納得して扉を開けてもらうだけの誠実さを持っているかにかかっているんだ。そして誠実とは己を、大事なところ以外の己を殺すことなんだ。
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