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『ステーキ』
伝説のイトウ
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 ビデオ会社の社長から電話が入った。問題が起こったのかと思った。訴えられるのかと思った。人が会いたいという話だった。『イトウ○○』という名前だ。遠い記憶にある人物と同じ名前だった。増藻の記憶によると、その男は若いときにその器量の良さで、女衒として活躍して一財を成したという。
東京によくある話。有名私立大学を出て、世の中をなめた感じの若造が女をはべらせては口説き落とし、風呂に沈める。しかし、その男はその手の人間ではなかったらしい。彼の元に集まる女は、遊びすぎてその火を消せなくなった情婦ではなく、そこを通らなければ幸せになれない運命的な女だったそうだ。そこまで聞くと、風呂に沈められた後、男に散々いたぶられて不幸を体験するのが運命という女。そんな想像に入る。幸せボケに冷や水をぶちまけるのがこの世の中なのだ。もしくは、幸せボケを利用して金を搾り取るのが世の常だから。ところがその女は幸せになるという。自分のみならず、己を抱いた男を、あとくされのない幸福で充たすのはもちろん、その姿、噂、偶然の邂逅でさえも幸せを運んだとか。いや、幸せに? うん、不幸にならない体質? あの風呂に入るってことは不幸を押し付けるってことだぜ? なんだろう。俺の見てきた、あの体液をすするような欲望に触れて幸せ? なんだろうな。イトウという男、稼いだ額が他の人間と桁が違っていたから、その世界の人間から敬われて伝説となったと聞く。

「東京。懐かしくないですか?」
「私の素性知ってますか?」
「その太さで中々活躍されたようで」
イトウは指で『握りきれない』というような仕草をした。増藻は全部「いいえ」と答えた。選挙ポスターを指したから、「叔父です」と正直に答えた。
「穴がありますね」と、イトウは壁を見た。「現実に穿たれる上次元への穴みたいですね」
増藻は、部屋に入ってくるイトウを見て少々驚いた。新鮮な『イカ刺し』みたいな肌色をしていたから。
「前に一度、あなたを見たことがあります。もっと髪の毛が茶色かったとき、多分この世界に深入りする前だったと思います」少し間を空けてイトウが増藻の目を見るような、避けるようなあやふやな視線で言う。「中野の五差路。坂を上って……いや、あれは駅前のローターリーのあたりで『芝居をやっているから観に来ないか』と、女の子を誘って……あれは下っ端の役でしたか」
「刺青は?」と訊かれたから。「入れてませんよ」と増藻が答える。「私も入れてません」とイトウは言う。「ただ単に刺青をを入れている人が好きなんです。刺青フリークですよ」
「傘が閉じる話知ってますか?」とイトウは訊いた。「知らない」と、増藻は答えた。「東京で『馬関係の傘』が閉じたから少し騒ぎになった」と、イトウは言った。
「いる場所がなくなってきまして」と言って、イトウは扉を指差した。「いる場所がなくなり
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